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 春子がグレたのは、突然だった。 「……なんだ、それ」  朝、通学路で顔を合わせた幼なじみの頭を指さし、俺は乾いた声で呟く。 「昨日ね、染めたんだー」  彼女のほうはちょっと照れたように笑って、自分の髪をつまんでみせる。  その、金色に染まった髪の毛を。 「どうかな?」 「似合わない」  声は、ひとりでに喉からこぼれていた。お世辞なんて言う余裕はなかった。 「似合ってないよ、お前、それ」 「えー、やっぱり?」  俺の心からの忠告にも、春子は呑気な調子で笑いながら 「たしかに私も、鏡見て、なんか変だなあとは思ったんだけど」 「わかってんなら戻せ。今すぐ。なんか変どころじゃないぞ、それ」  俺は必死な声で、早口に告げる。むしろお世辞を言うほうが、彼女のためにならないと思った。だってほんとうに、絶望的なまでに似合っていない。黒髪だった頃のほうが数百倍かわいい。そもそもその髪色は、日本人には難易度が高すぎる。 「だいたいそんな髪、校則違反だろ」 「わかってるよ。それは仕方ない」 「仕方ないってなんだよ。いいから戻せって。お前、マジで似合ってないから」 「そんな何回も似合わない言わないでよー」  口をとがらせて反論しながらも、春子にこたえた様子はない。肩まである自分の髪に触れながら、「傷つくなー」とあっけらかんとした調子で笑う。 「だいたい、なんで急に、そんな」  つい昨日まで、春子はごく普通のいい子だった。保育園からいっしょだったのだ。彼女のことはよく知っている。小学校は皆勤賞だったし、宿題を忘れたりもしなかった。そのわりに勉強はあまり出来なかったけれど、でもとりあえず真面目で、校則違反なんて一度もしたことはなかった。はずなのに。  混乱しながら、俺は目の前に立つ春子の姿をあらためて眺めてみる。  金髪のインパクトのせいで気づかなかったけれど、よく見れば薄く化粧もしている。スカートの丈も昨日までより格段に短い。さっきから落ち着きなく髪をいじる指先には、赤いマニキュアも塗られている。ぜんぶ、校則違反だ。そしてぜんぶ、彼女にはおそろしく似合っていない。 「なあ、とりあえず、帰ろう」 「へ、なんで?」 「そんな格好で学校行ったら大変なことになるだろ」 「大丈夫だよー。うちの学校、ゆるいし」  たしかに、たいした偏差値も伝統もないうちの高校はゆるい。校則なんてほぼあってないようなものだ。ちょっと派手な女子ならたいてい皆スカートは折っているし、化粧もしている。髪を染めた生徒も何人かいる。だけど皆、せいぜい明るめの茶髪だ。金髪なんて、一人もいない。 「……もしかして、自分で茶色に染めようとして失敗したとか?」 「失礼な。違うよ、ちゃんと美容室で、金髪にしてくださいって頼んでしてもらったの」 「なんで金髪。似合うと思ったのか?」 「まあ、さすがに無理あるかなーとは思ったよ。でもまあ、仕方ないかなって」 「仕方ないってなんだよ、さっきから」  仕方なく金髪に染めるってなんだ。しかもさっきから、俺にさんざん似合わないと言われても、春子に後悔した様子はない。むしろすがすがしくも見えるその横顔に、俺はふと眉を寄せると 「……まさか」 「ん?」  俺のせい? と尋ねかけた言葉は、さすがに思い直して呑み込んだ。  べつに自惚れるつもりはないけれど、このタイミングでこんなことをされたら、もう、そうとしか考えられない。  そうか、と俺は心の中で呟く。春子、そうだったのか。  春子との付き合いはだてに長くない。家が近所で、親同士も仲良しという絵に描いたような幼なじみだった。お互い、私立に行くほど出来の良い子どもでも裕福な家の子どもでもなかったから、保育園も小学校も中学校もいっしょだった。高校までいっしょになったのは、二人の成績が同じぐらいだったからたまたまだと思っていたけれど、もしかしたら、そうではなかったかもしれない。春子が俺と同じ高校を選んだ理由は。  いや、きっとそうなのだろう。だから今、傷心の彼女は、こんな、自分を傷つけるようなことをしている。  考えると、胸が締めつけられた。ちょっと鼻の奥までつんとする。  俺は足を止めた。 「――春子」 「ん?」  振り向いた春子の顔を、まっすぐに見据える。そうして、短く息を吸った。 「俺は、金髪より、黒髪のほうが好きだ」 「……うん?」  一言一句はっきりと告げた俺に、春子はきょとんとした顔で首を傾げる。 「だから、黒に戻してほしい」 「……え、なんで?」 「え?」  純粋にわけがわからないという顔で聞き返され、俺はちょっと狼狽する。  予想していた反応と違う。 「べつに智の好みなんて知らないよ。そのために染めたわけじゃないし」 「え、だって、お前」 「なに言われたって戻さないからねー、私」  ふてくされた子どもみたいな声で言って、春子はまた歩き出す。けれど数歩進んだところで、「あ、そうだった」と思い出したように足を止め 「私、どっか寄り道していかなきゃ」 「どっかって?」 「うーん、どこにしよう。とりあえず駅前の公園にでも」 「遅刻するぞ」  腕時計に目を落とせば、もう始業時間の10分前だった。  俺の至極まっとうな突っ込みに、真面目な顔でこちらを見た春子は 「遅刻するんだよ」  表情と同じだけ真面目な声で、そう言った。 「は?」 「だって、この髪で真面目に始業時間きっちりに登校したらおかしいでしょ。私、不良なんだから」 「……お前、不良なの?」 「そうだよ。だから私は遅刻します。じゃ、またね。智は早く行きなよ、遅刻するよ!」  最後まで真面目な顔で真面目なことを言って、不良になった春子は踵を返す。  そうして学校とは反対方向に歩き出した彼女の背中を、俺はあっけにとられて眺めていた。  朝の日差しに、目に痛いぐらいの金髪が、キラキラと光っていた。
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