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「この歌を聴けるも最後か……。」
宿屋の片隅にあるステージで、歌姫・アリスは歌の最後の一節を奏でた。
彼女は最後の歌を歌い終わると、悲しく笑う。
シュヴァルツ王国は敵国ノールオリゾン国に負けた。
近いうち、ノールオリゾン国に領地は飲まれるだろう。
「セシルさん、最後の歌、聴いて下さりありがとうございました」
「いや、戦場から帰ってきて、最初にお前に会いたかったから、その……」
「私に会いたかった?」
「ああ。しかし、その大好きな歌声も、もう聴けなくなるとはな……」
そう言い、セシルは隠し持っていた花束をアリスに渡した。
赤く白いシュヴァルツ王国産の花だった。
その花言葉の意味――それは、ずっと側にいるという意味だ。
「先ほど、王様が国民をリーフィ村に逃がす事を決めたようだ」
「セシルさん、貴方も行くのですか?」
「この国を最後まで守りたいが、不可能だろう。既に、姫は逃げたと言っている。だから、どうかお前も、私と一緒に逃げ、そこで一緒に暮らそう」
「私は構いません。でも、ユウ様が……」
ユウ――彼は天使教の神子だ。
ユウという神子が歌姫・アリスを好いている事は噂になっていて、アリス自身も知っている。
神の子であるのに、ユウもまた、一人の男である。
「ユウ様が、逃げられるというのなら、私も――」
天使教はシュヴァルツ王国の国教で、アリス自身熱心な信者だった。
「知っているか。シュヴァルツ王国民の逃亡先のリーフィ村は、あの有名な元司祭であるセラビムがいるという。その話をすれば、ユウ様もきっとリーフィ村に行く決心をするだろう」
「明日、ユウ様に会う予定なので、話してみますね」
アリスがそう決心したその頃――天使教の教会では、慈悲活動が行われていた。
負傷した兵を、神子が看病しているという。
「この人達を見ると、なんだか、あたし達がのうのうと生きているのが罪に感じるわね」
一人の黒神子、モニカは告げた。
「モニカの馬鹿! あたし達は、天使教の神にずっと祈ってたのよ。罪に感じる事はないわ!」
もう一人の黒神子・リリアンがそう告げる。とは言ったものの、リリアンも負傷した兵を見て心苦しくなったのは言うまでも無い。
「でも、シュヴァルツ王国は滅ぶし、天使教も滅ぶんだろうね」
白神子のメリルが肩を落とし、負傷兵の看病に当たる。
「ねえ、ユウ。僕達も、シュヴァルツ王女と一緒に逃げるんだろうか?」
「そうですね。王女・エレン様は、我が天使教を崇拝していたと言いますし……、恐らく俺達は一緒にリーフィ村に行くことになるでしょう。ただ、俺には――」
そう言い、白神子・ユウは口を濁した。
神子でありながら、一人の女性を愛しているからだ。
だが、その女性には婚約者がいる。
報われぬ恋なのは分かりきっていた。だが、どうしても、彼女を忘れられなかった。
「あー、ユウ! 噂の人が来たわよ。歌姫・アリス、いらっしゃい!」
「ユウ様、お久しぶりです」
現れたのは、この国一番の歌声を持つ歌姫・アリスだった。
現れた途端、ユウは顔を真っ赤にした。初々しい表情に、いつもからかっている黒神子・モニカは微笑する。
「アリス、貴方はリーフィ村に逃げるの?」
「ええ、そのつもりです。騎士団長・セシルと、共に――」
「ひゅーひゅー、貴方、確か、騎士団長・セシルと恋仲だったわよねえ」
恋仲、という言葉に、ユウはずきんと心が痛む。
ああ、どうせ、自分は、崇拝する神だけ愛すれば良かったのに。
もしかすると、この邪な心こそが、シュヴァルツ王国を戦争に負かせたのかもしれない。
「僕達神子も、負傷兵の看病が終わったら逃げるつもりなんだ。ねえ、ユウ?」
「え、あ、はい。その予定です。アリスさん。アリスさんもリーフィ村に逃げられても、天使教を信仰して下さるんですよね?」
「勿論です、ユウ様」
自分への信仰が、せめてもの救いだ。
それだけで、良い。それだけで、良いのだ。
こうして、騎士団長・セシルと共に、歌姫・アリスはリーフィ村へ逃げ延びたのだった。それを追うように、白神子・ユウもまた共にリーフィ村へ逃げたのだ。
生き残ったシュヴァルツ王国の民は迫害を受けるだろう。
それを思うと、逃げたことはその者にとっては裏切りかもしれない。
だが、再起を願う姫・エレンを信じ、逃げ延びた者達は今日を生きていく。
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