セキュリティの甘い鞠枝

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■  風は冷たかったが、速足で歩くと、少し汗ばむ。  今更ながら、浅木はなんで鞠枝のスマートフォンを持ってこいなどと言ったのだろう、と思う。もしかして、無理矢理僕からこれを奪ってデータでも消去しようというのだろうか? ……もう意味ないか、それは。  もし「鞠枝さんに返しておきますから、預かりますよ」とでも言われようものなら、僕は奴に掴みかかってしまうかもしれない。  僕は日々山公園のベンチに座り、腕を組んで、努めていかめしい顔を作った。  十五時、十分前。  いつでも来い。第一声は何と言ってやろう。 「あの」 「はい!?」  声を掛けられて、つい大きな声が出た。目の前には、中学生くらいの女の子が立っている。 「す、すみません私……ご気分でも悪いのかと思って」 「い、いえこちらこそごめんなさい。失礼しました、大丈夫ですから」  親切な子に、悪いことをした。腕時計を見ると、五分前だ。 「あの」 「はい!?」  また顔を上げると、そこには小太りの中年男が立っていた。だらしなく皺だらけのネルシャツを羽織っており、お世辞にも格好いいとは言えない。  ええ……。鞠枝、これはないぞ。 「お兄さん申し訳ないが、そこを少し横へどいてくれませんか。紅葉の写真を撮りたくて」 「はあ」と、また肩すかしだ。 「あの」  今度こそ浅木か。  キッと睨むと、そこには二十代半ばと思しき女の人が立っていた。 「あ、失礼しました」と慌てて謝る。  女性は「隣、よろしいですか」と僕の脇を指差す。 「もちろん。僕はちょっと待ち合わせしているだけなので、相手が来ればすぐにどきますから」  女性はちょこんと僕の左に腰を下ろす。長い黒髪が風に揺れた。淡いグリーンのカーディガンに、アイボリーホワイトのロングスカートが似合っている。  とうとう、十五時になった。だが、周囲に男の姿はない。 「遅刻か。いい度胸じゃないか」  つい独り言をこぼすと、隣の女性が僕を伺ってきた。下から覗きこんで来る薄化粧の顔は、派手ではないが、かなりの美人だ。 「十五時にお待ち合わせなんですか?」 「ええ、まあ」と、僕は正面を向いたままぞんざいに答える。 「どなたと?」  まさか、恋人とスマホアプリで出会っちゃってる男ですとは言えない。 「いえ、ただの知人ですよ」 「もしかして、恋人さんとスマホアプリで出会ってしまっている、浅木ハルオですか?」  僕は、がばっと顔を上げて、彼女の顔を正面から見た。  向こうもまっすぐに僕を見ている。視線がぶつかり、互いに互いの瞳を覗き込んだ。  秋の陽を映し込みもしない、黒い、丸い瞳。  まさか。この人は。  疑いはすぐに確信に変わった。間違いない。  女性は、おずおずと言ってきた。 「末実(まつみ)といいます。浅木の、妻です」
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