第十連鎖 「命ニ嫌ワレテイル」

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第十連鎖 「命ニ嫌ワレテイル」

顧問の教師の自殺のニュースに、合唱部員達はパニックに陥っていた。 何故なら、その顧問本人からメールが一斉送信されてきたのである。 しかも送信時刻は踏切事故の後だったので尚更だ。 自殺直前に作成したメールを、死んだ後に予約送信するなんて…。 更にそのメールはパスワードを打ち込まないとリンク出来ない代物。 まるで真綿で首を絞められる様な恐怖に、誰もが戦慄した。 だがそれは予約送信なんかではなかったのだ。 事故死した本人が、死後に作成して送信したものだったのである。 そして、その直後に同じ合唱部員の行方不明の報せが届いた。 同じクラスメイトの男子も一緒に行方不明だというのだ。 …センターとピクが駆け落ち? …ピクがセンターを拉致誘拐? どちらも全く想像すら出来なかったのでミステリーであった。 その想像を遥かに超えた場所で、二人は手を繋いで眠っている。 …上半身だけで。 下半身は招かれざる客も含めて、地下で混ざってしまっていた。 更にテレビのニュースで学校での悲劇を知る事になる。 それは緊急職員会議での、PTA副会長の射殺事件と犯人の逃亡。 その犠牲者は、自殺した生徒の内の一人の母親でもあった。 たった二日間で、これだけの非日常的な事柄が怒涛の様に押し寄せる。 生徒と父兄、及び関係者全員が既にパニックを起こしていた。 学校は台風で休校からの、事件による一時的閉鎖で再開時期は未定。 校長は入院中、教頭は重傷により同病院に救急搬送。 当然の如く学校周辺にマスコミが押し寄せてきている。 川に挟まれていながら、事故により通勤手段が遮断されてもいた。 そして大型台風の接近により事故処理は遅れに遅れ、再開未定。 小さな地域が周囲から切り離され、大きなうねりに翻弄され始めている。 一般の報道関係者以外にも、一連の騒動は食指を動かさせていた。 特にスキャンダルやオカルト系を扱う雑誌媒体に取っては絶好の題材。 色々な記者が色々な方法で取材を開始していた。 更に一連の関連情報をまとめるネットのサイトも出現し始める。 だが、いずれにしても全貌が捉えられていないのは共通していた。 そんな中に自殺した女性教師の両親の自殺が報道される。 事件性は無いとの警察発表だが、世間に取っては充分に事件であった。 イジメ関連による生徒二人の自殺、担任教師の自殺。 生徒二人の行方不明、担任の両親の自殺。 自殺生徒の母親の射殺事故、加害者の巡査の逃亡による指名手配。 とある少年のイジメによる自殺が、こんな状況を作り出したなんて。 全容を掴む事が出来ないながらも恐怖している者がいた。 単なる自殺を呪いに昇華させ、仕返しに手を貸した第一発見者の青年。 彼も情報が増える度に、自分自身の正常な部分を削られていった。 …もしかしたら自分が、何かの最終スイッチのボタンを押したのか? そして情報を追い掛けつつも、外界と自分を遮断してしまった。 最初のドミノを倒したのは彼かも知れない。 だが次々と倒れていくには条件が揃っていなければならないのである。 他にも情報を収集して状況を判断しようとしている合唱部員達がいた。 そんな彼女達を更に驚愕させる事が続くのである。 彼女達に行方不明になっている女生徒からグループラインが届く。 男子生徒と行方不明となり、捜索願が出されていた友人。 センターの名に相応しいアイドル志望の女性徒である。 そんなセンターからの突然のグループライン。 それは英単語のNEGATIVE、たった一言だけであった。 部員の殆どは困惑しただけで、その意図が理解出来なかったのである。 彼女達は複数のSNSによって情報の整理が困難だったのだ。 だが部員の一人は気付いてしまった、顧問のメールとの連携に。 彼女は合唱部ではピアノ伴奏専門の部員である。 よく独りで練習している曲名からカノンと呼ばれていた。 カノンは時間差の在った二つのメールを関連付けてしまったのである。 他の部員達とは違って極端に友人が少ない彼女。 その二つの連絡が、他のメールやSNSによって流される事が無かった。 それにより、その二つだけの連絡を関連付けてしまったのである。 自殺したと思われる顧問のメールの不明のパスワード。 行方不明の部員からの英単語だけのライン。 それらが結び付くのは自然であった。 当然それを打ち込めば、二人の意図が明らかになる筈だと考えたのだ。 そして彼女は、それを実行に移してしまった。 顧問のメールにラインの英単語をパスワードとして打ち込む。 それでリンク先が開いて、写真が閲覧出来る様になっていたのである。 カノンは何の躊躇いもなく閲覧してしまった。 …地獄の扉を開いて、覗いてしまったのだ。 「…?、…!」 それは違うクラスの男子生徒の、自殺後の頭部だけの写真。 アプリや加工だと思わせないリアルな恐怖。 見てしまった者への、最後通告を突き付ける呪力を漲らせている。 …彼女は固まってしまった後に、失神してしまった。 暫くしてカノンは帰宅した家族に発見され、救急搬送されて入院した。 校長と教頭に続いて同じ学校から三人目の入院。 交差点を挟んで直ぐの立地なので、全員が同じ病院である。 …それはまるで地獄から、蜘蛛の糸に縋り付いて逃げてでも来たかの様に。 カノンは意識を取り戻してから、点滴を受けて入院療養する事になった。 病院に来てから一言も発していないが、その事に周囲は気付いていない。 勿論メールの事も失神した理由も口にしなかった。 彼女は顧問からのメールを削除してしまったのだった。 祖父も他の人達も巻き込む訳にはいかないし。 この少年の自殺の証拠写真も見せるのは無理だ。 彼女は写真を見てしまった事により、状況が一変したのを感じる。 彼女は自分自身の周囲に、猛烈な死の匂いがするのを意識していた。 …リアルな死の気配に取り囲まれている。 彼女は聡明で状況判断力にも優れていた。 …優れ過ぎていたのだ。 既に自分自身が、その死から逃れられないのを悟っていた。 それを受け容れざるを得ないとした上で、どう対処するか? 何を選択するのが最善の策なのだろうか? …彼女は不思議と死を恐れている訳ではなかった。 生まれた時から父親がおらず、母一人子一人。 その母も過労からの脳内出血で突然この世を去ってしまった。 祖父と同居する為に、この団地への引っ越しと転校。 ただでさえ少なかった友達が一人もいなくなってしまった。 彼女は状況を理解して諦める。 祖父は反対を押し切って結婚した母が理解出来なかった。 その反対した相手の娘の自分を、好いてくれる筈もない。 そんな二人が同居しても辛い毎日が続くだけである。 彼女は早く独立して生活したかった。 …だがしかし、祖父の経済状態から進学は困難であろう。 大好きだったピアノ教室も辞めざるを得なかった。 それも自分の手の小ささを理由にして折り合いを付けたのだ。 彼女は色々なものを失くして、色々な事を諦めてきた。 更に今回の写真を見てしまったという事実。 自分の人生は何だったんだろう…? あんな写真を見てしまった後の人生に、幸福なんて在る訳が無い。 思い出すだけで全身が戦慄して気絶しそうになってくる。 これからは眠るのにだって睡眠薬じゃないと不可能だろう。 それなら一生分を先に飲んでしまえば良いのだ。 そうすれば大好きだったママに、また逢える。 …彼女は死を恐れてはいない。 ゆるりゆるりと近付いてくる台風の影響で雨も風も強い。 鉄道網を中心とした計画運休が発表され、明日も休校となった。 踏切事故よりも今や大型台風で交通が遮断されつつある。 一連の事件を報道する関係者も取材に四苦八苦していた。 世間の関心は、もはや大型台風の情報だけで満たされている状況。 消灯時間が過ぎて暫くしてからカノンは病室をそっと出た。 母親に最後に買って貰った上着を羽織って。 もう死からは逃げる事が出来ないのは理解出来た。 それなら、どんな死を選択すれば良いのか? 始めに思い付いたのは、睡眠薬に頼ってのものであった。 だが、多量の睡眠薬なんて盗める訳が無い。 彼女は階段を昇って屋上へと向かった。 5階建ての病院なら、一瞬で確実だと思ったのである。 途中の携帯電話の許可スペースでスマホを取り出した。 そしてセンターから送られてきたグループラインの返信をする。 それが、自分自身の最後の言葉として。 「既読スルーされそう…。」 カノンは自分自身の独り言に、自分で笑ってしまった。 最期の最後の言葉なんだけどな…。 もう一度生まれ変わったら、もっと友達を作ろう。 あっ、ママと一緒だから生まれ変わらなくていいや。 屋上へと続く階段を昇りながら、ママとの想い出を反芻してみる。 ずっと休み無く働いていた母の姿しか思い浮かばなかった。 二人で出掛けたのは近所の中華料理屋だけだったかも知れない。 ことっ。 そんな事を考えていた時に階下で音が聴こえた。 連れ戻しに来た看護師かも知れないと思い焦るが、違っていた。 再び屋上へと階段を静かに昇り続ける。 全く人の気配はしなかった、上にも下にも。 しかし、その気配は確実に彼女に近付きつつあった。 人の気配ではない、だがしかし…。 がたり。 カノンは屋上へのドアを開けた。 …いつもなら掛かっている筈の電子ロックが外れている事など知る由もない。 彼女は再びドアを閉めた。 建物内の灯りが届いている範囲の外は真っ暗である。 屋上には雨が降り注いでいた、だが風は不思議と穏やかであった。 彼女は屋上へ歩き出した。 柵は意外と高いが乗り越えられない程ではなかった。 雨に濡れながら柵に向かって進んでいく。 …その時である。 がたり。 確かに背後でドアが開けられる音が聴こえた。 カノンは再び看護師ではないかと焦る。 しかし何の声も掛からず、誰も近付いて来ない。 だが死の気配が突然、濃厚になったのだけは皮膚感覚で分かった。 …何かが近付いてきている。 …何かに取り囲まれている。 だが自分は死を選んだのだ。 何が来ても怖くなんかない。 もう直ぐママに逢える。 それで終わり。 私の終わり。 怖くなんかない。 …そう思った瞬間に、彼等は姿を現し始めたのだった。 暗くて上半身が見えていない少年が、ゆるりゆるりと歩いてくる。 その斜め後ろから足を引き摺っている女性も続く。 更に血まみれの巨大な体躯の少年も。 全員が明かりから外れているのでハッキリとは見えない。 こんな事が現実に在っていいの? これは現実なの? カノンの全身には鳥肌が立ち、震えが止まらなくなっていた。 こんなに震えていて柵が越えられるのかな? 彼女は後退りしながら柵に手を掛ける。 そして、やっとの事で柵を越えて外に立った。 ふと下をふと見れば病院の庭のコンクリートが濡れている。 後は飛び降りるだけで終わりだ。 それから視線を彼等に向ける。 その時、より近付いていた彼等をハッキリと見る事が出来た。 彼等は死の具現化であり、視覚化である。 今や三つの死は彼女を取り囲んでいた。 その姿を見た彼女は後悔し始める事になる。 私も死んだら、こんな姿になってしまうのだろうか…? 此処から飛び降りたら、もっと酷い姿に…。 カノンは怖くなってしまった。 後から後から溢れてくる涙が視界を遮ってくる。 これは恐怖からくる幻覚だ、彼等は実体なんかじゃない。 本当に存在している訳なんて無いじゃない。 私の心が弱いんだ、…弱かったんだ。 彼等は実体じゃないから私を遮られない。 遮る事なんて出来ない筈だ。 彼等を通り抜けて病室へ戻ろう。 恐怖の正体が判ったから、克服も出来るかも知れない。 もう一度、人生をやり直そう。 やり直したい。 カノンは意を決して柵に手を掛け直した。 そして柵を乗り越えようと身体を持ち上げて跨いだ。 …その時である。 突然、何処かに隠れていたかの様な突風が吹き荒れた。 まるで空が台風であった事を思い出しかの様に。 それは小さな竜巻とでも呼べるレベルの突風である。 「ママ…。」 柵を登りかけていたカノンは風に連れ去られてしまった。 空に巻き上げられてから、10メートル以上の高さから叩きつけられる。 彼女の望み通り、一瞬で確実な死。 彼女は望み通り、母親に逢えたのだろうか…。 彼女は病院の白いコンクリートの庭に、紅い花を咲かせた。 …降り注ぎ続ける雨が、やがて散らせてしまうのだろうけれども。 彼女がいた屋上には、もはや誰もいなかった。 そこには何の気配も残されてはいない。 不思議な事にドアの鍵はロックされたままであった。 夜が明ければ彼女の亡骸が見付かる。 そして直ぐに自殺と断定されるだろう。 彼女が直前に送信した言葉が、それを裏付ける事となる。 遺書代わりの、たった一言が。 「命に嫌われている。」
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