第八話:想い

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第八話:想い

 だから…と夏男は涙を流しながら思う。俺さまは海子がいなけりゃ何も出来ない!デブチン過ぎて自分の体も洗えないんだアババーッ!  しかし夏男はそんな自分の想いを海子に伝える事が出来なかった。彼は創作に取り掛かるとまるで狂ったように膿子をいぢめてしまうのだ。彼はこのクソが!と言いながら、海子に向かって何度もインクを飛ばした。時には筆で顔に○✕と落書きをした。ウババーッ!とか言いながらインクを漏らすジェスチャーをして海子を脅した事もある。しかしそれはあくまで芸術の為だった。海子をいぢめるのも偉大な芸術作品を書きたい一心からだったのだ。偉大な芸術家は普通の人間とは違うものなのだ。時には愛する者を傷つけてでも芸術作品を完成させなければならない。夏男もまた、海子への愛と芸術家としての使命に引き裂かれながらのたうち回って創作を続けていた。  しかし海子はそんな夏男の心が痛いほど分かっていたのだ。だから夏男に顔にインクを飛ばされても、筆で○✕と書かれてもずっと耐えてきたのだった。  インクの臭いがむせかえる事務所で仕事をしている間も夏男が気になって仕事が手につかない。後から「猿山さん!」と呼ばれて、海子はハッとして振り返った。後輩の狩山が立っていた。「どうしたんですか?先輩疲れてませんか?」  海子は軽く微笑みながら「大丈夫」というと、狩山は「もう飯の時間ですよ。よかったら一緒に食いに行きましょうよ」と海子を食事に誘った。 「先輩が実は金持ちのお嬢様だっていうのはホントですか?」  と狩山がラーメンを啜りながら聞いてくる。海子は首を振って慌てて否定したが、狩山はそれを遮って話を続けた。 「いえ工員の連中は皆そう言ってるんです。大体先輩肌が綺麗だし……。彼氏さんが羨ましいっす!」 「人をおだてるのが上手いんだから!」 「マジっすよ!で、ホントなんですか?お嬢様だってのは?」  狩山はなおもしつこく聞いてきた。  海子はラーメンを食べるのを止め、丼の上に箸を置くと強い調子でこう言った。 「違うわ!私お嬢様なんかじゃないわ!私はタダの女。天才芸術家草間夏男を愛する女よ!」  狩山は海子のあまりの剣幕に動揺した。彼は慌てて話題を変えた。 「彼氏さんを愛しているんですね。ところで話は変わりますが、先輩、もうじき工場が潰れるって噂聞いてませんか?」  海子はビクリと震えた。 「いや工員の連中が言ってたんですけどね。かなりマジっぽいです」
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