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扉の開く大きな音が響いた。随分と乱暴な開け方である。
「あれー、蘭ちゃんどこぉー」
続けて聞こえてきたのは、舌足らずな男の声。その声に重なる、不規則な覚束ない足音。相当酔っていることが窺える。
よろよろとした足音であったが、しかしそれは確かに楊鷹が隠れる寝台の方に近づいてくる。
足音がぴたりと止まり、衣の擦れる音が響く。この衣擦れは、寝台の帳を開く音。そして、強烈な酒の臭いが鼻をつく。
男はすぐそばまで来ている。
「蘭ちゃん、見っけー」
先ほどと同じ、舌の回っていない男の声が聞こえた。楊鷹はじっと息をひそめて、感覚を研ぎ澄ます。そうして、相手の気配を探ることに注力する。
「うーん……?」
うなり声が聞こえた次の瞬間、楊鷹の体に何かが触れる。十中八九、近づいてきた男の手だろう。ぺたぺたと体を触られた後、さすられる。
「あれー? 蘭ちゃんってこんなにごつごつしてるかなー?」
さすがにこれだけ触れば気が付くか。飛び出すならば、今だろうか。と、楊鷹が体を動かそうとしたその時、ふっと男が息をもらした。
「そっかあ、実はけっこう鍛えてたんだね! さすが俺の嫁になる子!」
男は訳の分からないことを、さも嬉しそうな声音で叫びながら、がばりと楊鷹に覆いかぶさってきた。
掛け布の中で、楊鷹は呆気に取られた。
そもそも、真っ暗な部屋の中、春蘭が先に上掛けにくるまって寝てしまっている状況に違和感を覚えなかったのだろうか。そして、呼びかけても反応がないのに、おかしいと感じなかったのだろうか。そして何より、あれだけ体を触ったうえで体格が厳ついことに気が付きながら、「俺の嫁になるから鍛えてるんだね」と意味不明な納得をするだなんて、一体全体どういうつもりだ。
つまりあれか、それほど酔っているということなのだろう。これは、酩酊どころか泥酔である。
(これが手練れの山賊なのか……)
油断は禁物といえども。むしろ好都合であっても。それでも、楊鷹は心底呆れ返った。全く、酒の力とは恐ろしいものである。
討伐隊を追い返したという山賊の頭領の男は、上掛けごと楊鷹を抱きしめたまま、「えへへー」と嬉しそうな声を上げている。だいぶ気味が悪い。
これ以上、この男の痴態に付き合う必要など微塵もないだろう。
楊鷹はぱっと跳ね起きた。男と目が合う。刹那、半眼だった男の目がこれでもかと見開かれた。が、当然楊鷹は取り合わず、男を押し倒す。今度は楊鷹が上になる番だった。男の上体を押さえつけるように覆いかぶさると、すらりとした男の腕を取り、捻じった。
「あーっ! 痛い痛い痛い!!」
悲痛な叫びがこだまする。男はかろうじて動く右手で、楊鷹の胴体をばしばしと叩いた。しかし、たいして痛くもない。楊鷹は全く動じることなく、男の腕を捻り続けた。
「勘弁! 頼むから! 止めて! 折れる!」
「大人しくすると約束するか?」
「はいっ、お、大人しくしますっ……!」
息も絶え絶え、必死の懇願といった様子である。楊鷹が拘束を解けば、男は腕をさすりながらぐったりと横たわる。
小柄な男だ。頭には大振りの花を挿しており、なかなか粋な出で立ちである。山賊の頭領、という言葉からは想像できない背格好であった。だが、今この場にいるということは、間違いなくこの男が頭領なのだろう。
男はすっかり戦意を失ったらしい。と思いきや、突然がばりと起き上がった。素早い動きであったが、楊鷹は冷静だった。すぐさま男の首に腕を回して捕らえ、ぐいと自身に引き寄せる。
「くそ離せ! はめやがって! 野郎に用はないんだよ!」
背後から羽交い締めにされているのに関わらず、男は手足をばたつかせながら喚く。楊鷹は、そんな威勢のいい男の首に回した腕に力を込めた。その途端、彼の態度が変わる。
「すみませんすみません、黙ります、大人しくします。だからもう痛いのとか苦しいのはやめてください」
都合のいい男である。さっきはそう言っておきながら、大人しくしなかったというのに。
楊鷹は声を低くして言った。
「本当に大人しくすると約束しろ。暴れたら三度目はないからな」
「分りました、分りました!」
男は口早に答えた。そんな彼をうつ伏せに寝転がせると、楊鷹はその背中を膝で押さえつける。今度こそ、男は言葉の通り大人しくしていた。
楊鷹は腰に下げていた縄を取ると、男の手足を縛る。これで頭領は捕まえた。残るは一緒に来た手下たちを片付けるのみ。
楊鷹が寝台から降りると、ごそごそと物音がして長靴と棍が足元にすっ飛んできた。これらは、寝台の下に隠していたものだ。毛翠が投げて寄越したのだろう。勝手な真似に文句を言いたくなった楊鷹であったが、ぐっとこらえる。今大事なのは山賊を捕まえることだ。毛翠になど、構っていられない。
楊鷹は絹の上着を脱いで靴を履き、棍を手に取った。それから、縛り上げた頭領を肩に担ぎ上げる。
「くそっ……」
楊鷹の肩の上で男は小さく毒づき、もぞもぞと手足を動かした。
「暴れるなと言ったはずだぞ」
楊鷹が言えば、男の動きは面白いくらい唐突に止まる。
寝台の下で、またしても何やら小さな物音がした。楊鷹はさっと視線を走らせて、その音の出どころを制する。
物音はすぐさま止んだ。しかし、視線を感じる。暗がりの中から緑色の目が、じっとこちらを凝視していた。獣のように爛々と輝く瞳は、物言いたげな素振りを感じさせた。しかしながら、やはり構っている暇はない。
楊鷹はくるりと踵を返すと、寝室から出て行った。
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