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部屋を出て中庭へゆくと、まだ宴は続いていた。
談笑しながら酒を酌み交わす男は六人。あの六人が、頭領と共にやって来た山賊であろう。思った以上に少ない。迷惑をかけないと気を遣ったのだとしても、仮にも祝いの席だろうに、寂しすぎないだろうか。
だが、楊鷹にとっては、都合がよい。さらに都合のよいことに、全員かなり酔っぱらっているようだった。どいつもこいつも頬を赤く染め、聞こえてくる話し声はやけに明るく、時折舌が回っていない。
山賊の他に春全も宴の場に残っており、山賊達にかいがいしく――というより、やたら忙しなく――酒を注いでいる。あんな風に次から次へと注がれるままがぶがぶと飲めば、酔っぱらうに決まっていた。
足音を立てないように気を付けながら、楊鷹は慎重に宴の輪に近づいていった。人数が少ないうえに、皆頭領並みに酔っぱらっていそうだが、油断してはならない。
まず楊鷹に気が付いたのは春全だった。酌をしながら、ちらりと楊鷹に視線を送ってきた。これは丁度よい。楊鷹は視線で自身の近くに来るよう示した。
すると早速、春全はそそくさと下がり、楊鷹の近くまでやって来る。その動きに気付いたのか、山賊の一人がちらりと振り向いた。楊鷹は前に出る。そして、担いでいた頭領を地面に降ろした。両手両足を縛られている憐れな男は、ただただ転がることしかできない。
「お、お頭っ!」
楊鷹に視線を向けた山賊が、すっとんきょうな声を上げる。すると、残りの五人も一斉に振り向いた。
「一体、何やってるんですか!」
「ど、どうしたんですか!」
頭領の窮状を目の当たりにして、山賊たちは一気に醒めたらしい。彼らは慌ただしく酒杯を置くと、頭領に向かって走ってくる。
楊鷹はさらに一歩前に出ると、棍を脇に構えて向かってくる男たちの前に立ちはだかった。進路を遮られた山賊たちは立ち止まり、怪訝な眼差しで楊鷹を見てくる。
「ああ? なんだ、てめぇは?」
先頭にいた、顔に傷のある山賊がどすの利いた声を出す。
しかし、楊鷹は質問を無視した。
「残りはお前たちだけか?」
「はぁ?」
傷の男が眉間に皺を寄せる。もともと鋭かった顔貌がますます尖り、迫力が増した。楊鷹はその鋭利な視線を真っ向から受け止める。
「頭領は捕らえた。お前たちも大人しく投降しろ」
楊鷹がそう言うと、傷のある山賊は歯を鳴らし、握りしめた拳を震わせた。そして、半歩前に出てくる。
「なめたことを……!」
「よせ!」
頭領が制止したにもかかわらず、男は素手のまま突っ込んできた。真正面から挑んでくるとは、度胸があるのかそれとも考えなしなのか。
楊鷹は構えていた棍を素早く回し、勢いよく傷の男の脇腹を打った。くぐもった声をもらしながら、傷の男はどうと地面に倒れ込む。
「あ、兄貴!」
倒れた男に、仲間の一人が駆け寄った。それを尻目に、楊鷹は山賊たちに言い放つ。
「大人しくすれば、痛い思いはさせない」
他の四人の山賊たちは、それぞれ頭領と未だに痛がっている仲間とを見やっている。明らかに迷いが見て取れる。
だがそれも束の間。山賊の一人、無精髭の男がきっと楊鷹をにらみつけてきた。鋭い視線に、楊鷹は悟る。これは、やる気である。楊鷹は山賊たちを見渡しつつ、精神を研ぎ澄ます。
楊鷹が棍の先を山賊達に向けるのと、彼らが動いたのは同時だった。
無精髭の男と小太りの男が、声をあげながら楊鷹に突っ込んでくる。楊鷹は冷静に二人の動きに目を配った。右の無精髭の方がやや速い。瞬時にそう判断した楊鷹は半歩踏み込んで、鋭く棍を振るう。まずは、無精髭の右脇腹に一打、そしてすぐさま左に棍を返して、並んで走っていた小太りを打ちすえる。軽快な連打の音と共に、山賊二人はもんどりうって倒れた。
二人が崩れ落ちたその時、楊鷹の視界の右端で何かがうごめく。すぐさま視線を向ければ、杯が飛んできた。楊鷹は素早く反応し、すっ飛んできた杯を棍で払い落とす。
赤い頭巾を被った山賊が、卓の近くに立っていた。先ほどの杯は、どうやら奴が投げてきたようだ。赤頭巾の男が、また何かを投げつけてくる。今度、飛んできたのは皿だった。楊鷹はさっと体をひねって、それをかわす。
かわした途端、左方から雄たけびが上がった。
「うおおおおっ!」
楊鷹は声の方に視線を滑らせる。残りの一人が、椅子を振りかぶりながら突っ込んでくる。
楊鷹はすかさず突っ込んできた男へと体を反転させた。反転させながら思い切り棍を払う。楊鷹が狙ったのは山賊ではなく椅子であった。狙い通り、鋭い一打は椅子に直撃。木製の椅子は砕け散った。
武器を失った山賊は大きく体勢を崩し、万歳をした格好で横に傾く。楊鷹は、払いぬいた棍をくるりと回しながら体制を低くして、一歩踏み込む。そして、がらあきになった山賊の脇めがけて、下方から棍を振り上げた。痛烈な一撃は容赦なく命中、山賊は「げっ!」と蛙のようなしゃがれ声を発し、ずるりと地面に沈んだ。
しかし、山賊の攻撃はまだ止まらない。また、皿が飛んできたのだ。楊鷹は皿をかわしながら、再度卓の方を見た。赤頭巾の男が、慌ただしく杯に手を伸ばす姿が見えた。
皿が飛んでくるより早く、楊鷹は動く。足元に散らばっていた椅子の破片を蹴りあげて、それを棍で打つ。木片は勢いよく飛んでゆき、見事赤頭巾の頭に命中した。男は頭を抱えて、その場にうずくまる。
さて、これで終わり、ではない。倒した山賊たちから目を離さぬまま、楊鷹は棍を後ろ手に突きつけた。背後で短い悲鳴が上がる。
「動くな」
「は、はいっ!」
裏返った声の返事が返ってくる。楊鷹が後ろを窺い見れば、山賊の一人が頭領のそばにいた。一番初めに襲い掛かってきた傷の男が倒れた時に、彼に駆け寄った男だ。他の仲間が楊鷹とやりあっている間に、頭領に近づいたようだ。恐らく助けるつもりだったのだろうが、出し抜くならばもう少し上手くやるべきだ。足音や息遣いなど、気配が駄々漏れだった。
「離れろ」
「は、はいぃっ!」
はたまた無様な声を上げながら、男は一歩二歩と後ずさる。頭領は舌打ちしながらじたばたともがくが、拘束を解くには至らない。当然だ。相当きつく縛ったのだから。
これで、本当に終わり。そうなるかと思いきや。
「てめぇ……調子に乗るなよ」
苦々しい低い声が聞こえた。楊鷹が前方に視線を戻せば、顔に傷のある山賊がよろよろと立ち上がり、楊鷹をにらんでいた。その目は全く死んでおらず、爛々としている。
「やめろ。これ以上痛い目にあいたいのか」
静かな口調で楊鷹は言った。だが、山賊は引き下がらない。傷の男だけでなく、倒れていた仲間の山賊たちも立ち上がり始めた。
「うるせぇ! このまま黙って引き下がれるか!」
傷の男が大声を張り上げる。
楊鷹としてはなるべく穏便に済ませたかったが、この様子である。どうやら無理な話のようだ。頭領を捕まえればあっさり仲間も捕まえられるかと思いきや、それほど気骨がないというわけでもないらしい。
楊鷹は再度棍を構えた。
「その気なら、容赦はしない」
低い声でそう言いつつ、楊鷹は傷の男を睨みつけた。傷の男がわずかにのけぞる。明らかに怯んだ。楊鷹は地を蹴ろうと、体重を落とす。
その時、闇の中に弦音が鳴った。この音は、間違いなく弓弦だ。反射的に楊鷹は体を低くした。まさか、他に仲間がいるというのか。
しかし、矢は楊鷹には当たらなかった。楊鷹には当たらず、どうしてか山賊の方に命中していた。突進してきた傷の男の頭頂部、団子状に結った髪の中心を、かんざしのように貫く一箭。
「……俺の頭、無事?」
声を震わせながら、傷の男が言った。彼はすっかり青ざめた顔で、固まってしまっていた。周囲の仲間たちも、呆然とした表情のまま微動だにしない。誰かがかろうじて「頭は大丈夫」と答えたきり、言葉を失ってしまう。
果たして、一体何が起こったのか。彫像のようになってしまった賊たちはさておき。楊鷹は屋敷とは反対の、門の方に視線を投げた。矢はそちらの方向から飛んできた。
開きっぱなしになっていた門の向こう、前庭のところに人影があった。手に何か持っているようだが、間違いなく弓であろう。前庭は明かりが少ないため、あまりはっきりと見えない。だが、あの影の姿形に楊鷹は既視感を覚えた。
人影が歩き始め、門を潜って中庭に入ってくる。
煌々と輝く灯に照らしだされたのは、袍をまとった精悍な顔立ちの青年であった。高い位置で結んだ艶やかな黒髪が風に揺れる。楊鷹の視線は、彼に釘付けになった。
「あ、兄貴? どうしてここに?」
突然、頭領が青年に向かって叫んだ。
「お前たち、やめ……」
頭領に応じた青年であったが、はたと言葉を止めた。その流麗な桃花眼は頭領ではなく、楊鷹を捉えていた。
「楊鷹、か?」
名を呼ばれて、楊鷹は確信する。間違いない。
「王教頭……?」
楊鷹は呆然と呼び返した。
突如現れた青年。彼は楊鷹の見知った人物、かつての禁軍師範、王嘉だったのである。
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