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父の作るお弁当
数ヶ月に一回あるかないかの連休が重なったその日、私は実家に帰ることにした。
手紙を送ってから間も無くして返事が届いたのだ。
メールではなく、向こうも手紙だった。
久しぶりに見た父の達筆な字だった。
特に長々と書かれることはなく、【たまには顔を見せなさい】という言葉と共に白猫のユキが写った写真が送られてきた。
カメラ目線のユキを見ながら、思わず涙した私。
限界の超えた心はコントロールが不可能であった。
大きめのリュックに荷物を詰め、電車に乗り込む。
一時間半ほど揺られれば景色がガラッと変わった。
高層ビルなどはなく、マンションがいくつかある程度。
代わりに自然が増えていた。
田んぼや畑、それから生い茂る木々。
都会に比べればずっと田舎のこの場所は私に安らぎを与え始める。
家の最寄駅に着いた時、その安心感は胸いっぱいに広がっていた。
やっぱりこの場所が好きだ。
空気が美味しい。
時間の進み具合が遅くなった気がした。
都会にいた時は毎日が必死で、追われていた日々。
気づけば一週間が終わっていることも多く、疲労感に苛まれていた。
「久美…!」
小さい頃よく買い物に行かされていたスーパーを通り過ぎようとした時、懐かしい声が耳に届いた。
思わず俯き加減だった顔を上げれば、視界に映るお母さんの姿。
まだ何も言葉を交わしていないのだが、それだけで泣きそうになってしまう。
およそ一年ぶりに見たお母さんは随分と痩せた気がした。
「久美…あんた、そんなに痩せてっ…」
お母さんも私を見て同じことを思ったらしく、涙で目を潤ませながら私のすぐ側までやってきた。
「ちゃんと食べてたの?コンビニ弁当ばっかり食べてたんじゃないでしょうね…?」
鋭いお母さんはすぐに見抜いてしまう。
遅くなった夜にスーパーやコンビニで割引されたお弁当を買うのが日課になっていた。
「ちゃんと自炊してたよ」
けれど心配かけないため、嘘をつく。
いや、辛うじて自炊はしていたと思いたい。
休日の夜はちゃんと作っていたはずだ。
朝や昼はインスタントラーメンなどで済ましていたのだが。
「とりあえず早く家に行くわよ、お父さんがお弁当を作ってくれてるから」
「お父さんが?」
それは驚いた。
私のお父さんは弁当屋を営んでいる。
お母さんは店主であるお父さんのサポート役として、共に弁当屋を切り盛りしていた。
決して世に出回るほどの人気ではないが、ここの地元では有名の弁当屋だ。
地元の人たちとの距離感も近く、その多くが常連であり、お父さんの作るお弁当を楽しみにしてくれていた。
私はそんなお父さんの営む弁当屋を継ぐことはせず、反対を押し切って都会に出たのだ。
怒っているものだと思っていたが、私のためにお弁当を用意してくれているらしい。
「お父さんも久美を心配していたのよ」
その一言で心が温かくなる中、家へと向かう。
木造建築の一階は弁当屋で、二階が私たち家族の住む家になっている。
「ただいま」
いつもは裏口を通って家に入るのだが、今日は帰省ということもあり弁当屋の入り口から中に入った。
「……ああ」
表にいたお父さんは一度私に視線を向け、素っ気なく言葉を返すだけだった。
「お父さん、久しぶりに久美が帰ってきたのよ」
「…今さっき電話注文が入ったから俺は厨房へ行く」
お母さんは呆れたように声をかけたのだが、お父さんはそれだけ言って裏の厨房へと行ってしまう。
「絶対に嘘ね、あれ。さっきまでずっと表で待ってた挙句、私に『迎えに行け』って言ってたくせに。本当に素直じゃないんだから」
小さく笑ったお母さんは全部話してくれた。
どうやらお父さんは照れ隠しに厨房へと行ってしまったらしい。
話を聞いた私は思わず苦笑しながらも、お母さんと二階のリビングへと向かう。
「みゃー」
「あっ、ユキ。久しぶりだね」
二階に上がるなり、毛が真っ白で美しい猫であるユキが私を出迎えてくれた。
「ふふっ、ユキは一番久美に懐いているみたい」
「そうかな」
ユキがすり寄ってきたため、嬉しくなった私は屈んで頭を撫でる。
するとユキは気持ち良さそうな顔をするものだから、私まで癒された。
「あら、もうお弁当を作り終えていたみたいね」
その癒しに手を伸ばし夢中になっていると、先に奥へ入っていたお母さんが声を上げた。
ようやく私も立ち上がりお母さんの元へ行けば、テーブルに二人分のお弁当が置かれていた。
それはお父さんの営む弁当屋の代表作であるのり弁当。
親戚のおじさんから直接仕入れたスケトウダラの白身を使用した白身フライは絶品である。
自家製のタルタルソースとの相性が良く、店を開いてから今日まで変わらず一番人気の商品だ。
久しぶりに食べる父の作ったお弁当。
揚げたての白身フライはサクサク食感の上、中はふわふわしていて噛んだ瞬間に旨味が口いっぱいに広がった。
お父さんの作るタルタルソースがさらに白身フライの旨味を引き立て、鰹節の効いたのりご飯が進む。
ああ、お父さんの味だと。
「やっぱりのり弁当が不動のセンターよね」
お母さんもお父さんの作るお弁当にベタ惚れだ。
もちろん私も思う。
お父さん以上の美味しいお弁当は存在しないと。
懐かしくて美味しい。
箸を持つ手が止まらない。
小さい頃から何度も食べてきたというのに、決してその味に飽きることがなかった。
むしろ家を離れてからずっとこの味をまた口にしたいと思っていた。
涙で視界が滲む。
それが溢れないように瞬きをせず箸を進めていたら、すぐに食べ終えてしまった。
「お父さん」
「なんだ」
「ありがとう。やっぱりお父さんの作るお弁当が一番美味しいよ」
愛情たっぷりのお弁当は私を笑顔にさせる。
食べ終わった後、自然とお父さんのいる厨房に足が動いていたのだ。
「そんなの当然だろう、俺の作る弁当はどの店よりも美味しいんだ。今も客を飽きさせないように新作の考案をしているんだぞ」
お父さんは照れると早口になり、聞いてないことまで話す癖がある。
それはお母さんから教えてもらったことだ。
そのため今のお父さんを見た私は思わず笑みを溢さずにはいられなかった。
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