母の手料理

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手紙を読んで思い出した。 小学六年生の時に道徳の授業の一環として『お世話になった人に感謝の手紙を送ろう』という課題があった。 私は迷わず両親を選んだ。 今よりも汚い字だったけれど、私なりに何度も書き直して渡した記憶がある。 いや、正確にはリビングのテーブルに置いた。 直接渡すのは恥ずかしくてできなかったのだ。 けれどまさか返事が来るとは思っておらず、目を輝かせながら中身を読んだのを覚えている。 読み終わった後は少し照れくさかったが、今日まで大事にしまってあったのだ。 それにしても─── 【大きくなっても久美らしくいてね】 その言葉に胸が締め付けられるような感覚がして苦しくなる。 私らしくって何だろうか。 ふとそう思った。 目を閉じて自分なりの答えを探す。 学生時代の私はもっと笑っていた気がする。 毎日が驚くほど楽しくて、やり甲斐のある日々だった。 このまま充実感のある日常が続くと思っていた。 けれど社会人になってから、その日常は大きく変わってしまったのだ。 毎日会社に行くのが辛くて泣く日も多い。 先輩から仕事を押し付けられたり、責任を負わされたこともあった。 ああ、辛いなって。 思い出してまたジワリと目に涙が浮かび、それが頬を伝おうとしたけれど─── 「久美、ご飯できたわよ」 「…っ、あ、うん!すぐ行く!」 突然お母さんが部屋のドアを開けてきた。 慌てて泣かないように涙を拭い、手紙を咄嗟に隠すようにして振り返る。 「さっきから呼んでるのに」 「ごめんね!学生時代のアルバムとか見てたの」 適当に嘘をついてその場を乗り切った私は、お母さんと一緒にリビングへと向かった。 リビングのテーブルにはすでに料理が並べられており、とても豪華だった。 仕事を終えたお父さんも座っていたため、後は私が来るだけだったらしい。 「今日はいつもより頑張ったのよ。 たくさん食べてね」 「お母さんの手料理、懐かしいな…」 お父さんのお弁当も、お母さんの作るご飯も私は大好きだった。 けれど都会に出てからは食べられるはずがなく、ずっと恋しいと思っていた。 もちろん反対を押し切って上京したのだから、もう二度と食べられないと思っていたけれど、目の前にはお母さんの作る懐かしい料理が並べられていた。 お昼にはお父さんの作った自慢のお弁当も食べることができて、夜はお母さんの料理を口にできる。 この上ない幸せだった。 「いただきます」 いつもなら主菜や副菜などをそれぞれ一品ずつ出すのがお母さんの定番なのだが、今日は主菜や副菜が複数用意されていた。 まず主菜は鰹と昆布からとった混合の出汁がたくさん染み込んでいる筑前煮に、お母さん特製の甘辛タレを使った揚げたての手羽先、さらには鮭のムニエルまで用意されていた。 副菜は()った胡麻の風味豊かなインゲンと枝豆の白和え、体に良いほうれん草のお浸し。 汁物は和にぴったりな具沢山の味噌汁。 炊きたてのご飯と急須で入れた熱々のお茶を前に、私はゴクリと唾を呑んだ。 いつ振りだろうか。 こうして家族で食卓を囲み、食事をするのは。 思い出すだけでまた泣けてくる。 いつのまにこんなにも弱くなったのだろう。 まずは熱々の味噌汁を飲み、それからゆっくりと筑前煮のしいたけを口へと運ぶ。 噛んだ瞬間に染み込んでいた出汁が口いっぱいに広がり、お母さんの味を思い出した。 美味しい、本当に美味しい。 私には再現できないこの味をすっかり忘れていたようだ。 お母さんの味は優しくて、温かい。 お父さんとお母さんから視線を感じる。 きっと私が泣いているからだろう。 気づけば頬に涙が伝ってきた。 二人の表情は涙のせいで見えないけれど、優しい空気が私をさらに泣かせた。 「───久美」 お父さんが私の名前を呼ぶ。 お母さんの料理を噛み締めながらも、箸を止めてお父さんの言葉を待つ。 厳しいお父さんにしてはひどく優しい声だった。 何となく、次に来る言葉が予測できる。 「もう家に帰ってきなさい」 涙で歪む視界からは、優しく笑うお父さんと涙ぐむお母さんが映っていた。
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