愛情

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 次々と溢れる涙を手の甲で抑えようとする。  千代さんは、私の手を握ったまま逝ってしまった。  こんなに家族がたくさんいる中、私の手を握って最期を迎えた。 「家族よりもまどかさんといる時間の方が多いよね?」  こんな時にあまねくんの言葉が蘇ってきた。千代さんとはまだ一緒に過ごしたかった。  だけど、こうして千代さんの最期に立ち会えたことも、面会を許してもらえたことも特別なことで、悲しみや悔しさと共に感謝も溢れた。  これ以上、千代さんと家族との時間を削るのもしのびなくて、「ありがとうございました」と息子さんに頭を下げ、私は逃げるようにしてその場を去った。  いたたまれなかった。それが正しいかもしれない。  感情の矛先も、涙の捌け口も、どうしたらいいのかわからなかった。  ただ、家族でない私が、家族と一緒になってあの場で泣くのは違う気がした。  駆け足で車に戻り、私は子供のように声をあげて泣いた。  こんなふうに大人になってから大声で泣くことがあるだなんて思ってもみなかった。  次々に溢れてくる涙は、拭うことなど困難で、そのままにしておいた。ハンドルを握って震える手にに力を込めて、額をそこに押し付けた。  そのまま自然に涙が出なくなるまで泣き晴らした。  涙が止まった頃には体力も消耗し、疲れだけが体に残っていた。瞼は重く、こんなに泣いたのは、あまねくんに1度振られた時以来だと思い出す。  あの時は、結局彼がついた私を守るための嘘だったのだけれど。  呼吸を落ち着かせて、平常心を取り戻す。大切な人を失った時、それを補う何かにすがりたかった。  鼻を啜りながら、スマホを取り出す。あまねくんからメッセージが届いていた。それに目を通す前に、彼に電話をかけた。 「まどかさん? どうしたの?」  暫くしてから彼の声が聞こえる。朝まで一緒にいたのに、懐かしく感じる彼の声。  千代さんは亡くなってしまったけれど、私の大切な人は、まだ生きている。  こうして私の名前を呼んでくれて、優しい声を聞かせてくれる。彼が生きていることを実感できることが、今の私を少しだけ満たしてくれる気がした。 「あまねくん……」 「ん?」 「昨日言ってたおばあちゃんね」 「うん」 「今、死んじゃった……」  彼の声を聞いたら安心できると思ったのに、「死んじゃった」と口にしたら、更に実感が湧いた気がして、ようやく止まった涙が再び溢れた。 「そっか……。間に合ったの?」 「うん……。病院、運ばれて……今お見舞い行った。会えたらね、すぐ死んじゃった」 「そう……。じゃあ、頑張ってまどかさんに会えるまで待っててくれたんだね」 「え?」 「その人も最後にまどかさんに会いたかったんじゃないかな」 「……うん」  彼の言葉を聞いて、少し暖かい気持ちになった。あれだけ長い時間待たされていたのだから、あの間に既に亡くなってしまっていてもおかしくはなかった。  けれど、あまねくんが言ってくれたように、私が声をかけるまで待っていてくれたのなら、最期に私の声が届いてよかったと思えた。 「あまねくん……」 「なあに」 「会いたい……」 「うん。お迎え行く?」 「ううん……」 「うちくる?」 「うん……」 「待ってるね」 「うん……」  急な申し出なのに、彼は快く了承してくれた。  それにいつもよりもうんと優しい声で受け入れてくれた。  私は電話を切ってからまた暫く涙を流し、ようやく車を発進させた。
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