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Let's 新学期!
だだっ広い屋敷の広間、無駄にデカイテーブルにもたれかかったまま俺は今夜の地獄を予感する。テーブルの上にあるのは、春休み前に渡されたプリントの束だ。何で春休みなのに宿題が出るんだよ、いくら進学校だっていってもおかしいだろ。まあ、進学校っていってもレベル的には普通校とかわらねえんだけど。
「いつまで伸びてる気だ。朝までに終わらないぞ」
銀色の髪の間から紅い瞳を爛々と輝かせながら、プリントの束を叩く。つーか、兄貴夜になると元気だなあ俺はもう眠いって言うのに……振り子時計から聞こえる音は二回。今、深夜二時が経過したところか。
俺の名は死道夜死露(しどうやしろ)。兄貴の名は死道スーサイド。親父こと死道デッドと兄貴は日本に渡来したバンパイアだ。日本に俺達の正体を知るものはいない。
俺? 俺は親父達が日本に来てから知り合った人間の女との間に産まれた子供で、半分はバンパイアだが半分は人間だ。だから兄貴のように夜、元気一杯というわけにはいかない。
というか、昼間の兄貴は全くな駄目人間だが。夜は本当に別人だ。
「だって、ねみいもん」
「……春休み中遊び歩いているからこうなるんだ。遊ぶ為なら夜更かし出来ても勉強のために夜更かしは出来ないのか?しかも何故英語が完全に手付かずなんだ」
「そんなの読めねえからに決まってんじゃん。何語だよ」
「英語だ」
参考書で頭を叩かれ俺は何度目かのため息をついた。
そりゃあ、カラオケとかゲームとかダチんちなら徹夜や夜明けまで起きてても苦にはならないが、なんというか参考書やプリントなんて昼間でも見てるだけで眠くなる。それが夜なら尚更だ。
「せめて英語だけでもやれ。一晩見てやるから」
「そんなことして兄貴も明日の始業式起きてられんのか?ただでさえ、朝はだめなのに」
突然兄貴が黙り込む。兄貴は夜間部の英語担当の教師だ。大抵は夕方からの出勤なのだが、昼間教師が休んだ時やこういう行事ごとの時や会議の時は朝でも行く必要がある。
「夜間部の教師も担任挨拶とか色々会っただろ」
途端にただでさえ白い兄貴の顔が青ざめる。あれ、これはもしかして……。
「もしかして忘れてたのか」
「そのまさかだ」
さっきとは反対に今度は兄貴がうな垂れる。
「寝とかなくていいのか」
少しの空白の後兄貴は首を振る。
「いい、それより宿題を片付けるぞ。そこの答えだが」
先刻までは教えるだけでけして答えまでは言おうとしなかった兄貴が次々と答えを口にしていく。
「ちょ、早いって」
「いいから、言われた通りに書くんだ。そして早く寝るぞ、いいな」
そうして俺の春休み最後の夜は終わった。
朝、俺が着替えて広間に降りていくと兄貴が広間のテーブルにつっぷしていた。どうやらあのまま部屋に戻らずここで眠ることを選択したようだ。厚い暗幕のカーテンのせいで部屋の中は真っ暗だったので電気をつけた。俺の部屋がある二階は普通のカーテンなので二階から差し込む光もあれば、僅かに暗幕から漏れる光もある。兄貴にとっては地下室の自分の寝床ほど快適ではない筈だ。寧ろ光に当たれば皮膚に痛みが伴う。だが、そうでもなければ起きていられないと判断したのだろう。
「兄貴、生きてるか」
つついてみると僅かに動いた。そして時間をおいてのそりと頭を上げる。
「……何時」
ぼーと兄貴は広間を見渡した、時計で目を止めるが見つめていたかと思うとがくんと首が垂れる。
「起きれるか」
「大丈夫……だと思う」
手をついて起き上がるものの目は虚ろなままだ。まあ……眠くなくても昼間の兄貴が目の焦点の合わせていることなんて珍しいが。
「頭が痛い、紅茶は――」
がんっと思いっきり額をぶつけて兄貴が床に崩れ落ちる。
こりゃあ、待ってたら遅刻だな。というか、もう結構ぎりぎりの時間なのだが。俺は急いでテーブルの上に散らばったプリントを鞄につめた。どうやら俺が寝た後も最後までやってくれていたらしい。兄貴も出来の悪い弟を持つと必死だなあ可哀想にと胸の中で手を合わせながら最後のプリントをしまおうとして俺は手を止めた。
進路希望調査、第三志望まで書きなさいというやつだ。俺は三つの項目全て『ニート』で埋めておいたのにご丁寧に全部斜線で消してある代わりに歪んだ字で「吸血鬼」と書いてあった。朝の兄貴の字だ。ということは頭が働かなくなる夜明けまでかかってやってくれていたのか。
おおきなお世話だ。っていうか、何だよ吸血鬼って。職業じゃねえじゃん。まあ朝の兄貴には何の期待もしていない。
いい加減時間がやばくなってきたので俺は慌てて家を飛び出した。
まあ、別に遅刻したってなんてわけはないんだけど流石に新学期だしなあ。正直、教師の俺の心象は余りよくない。両耳にあけたピアスのこともあるし染めた髪のこともある。学校なんてどうでもいいとは思うんだが、兄貴が教師をやっているから最低限の印象を守りたいというのはある。
だって兄貴がクビになったら誰が俺を養うんだよ。俺は働くのなんか絶対ごめんだし。
考え事をしていた俺は前に人がいるのに気が付かなかった。急には止まらずぶつかってしまい、そいつを押し倒す形で倒れ込む。
「いってえ、気をつけろよ」
何だよ、避けてくれてもいいじゃないか。こっちはいそいでんのにという憤りを込めて俺は倒れたやつを怒鳴った。倒れたやつは何も言わない。真っ赤な顔で俺を見上げていた。
金髪で亜麻色の瞳。日本人には見えない。中途半端に肩まで伸びた髪の男……いや、女か。うちの高校の女子の制服を着ている。つけているリボンが緑なので俺と同じ、今年から二年になるやつか。ん?女?
そこで俺は初めて自分の手のおいている位置に気が付く左胸。
「……ねえな見事に」
呟いた俺の言葉を聞いて女は更に顔を紅くして俺の頬をひっぱたいた。なんなんだいきなり。そのまま女は鞄を拾いあげて走り去っていった。
世の中には乱暴な奴もいるもんだと学校についた俺は靴箱に向かった。クラス割が張り出してある。
自分の名前を見つけてほっとした俺は視線をあげ気が付く。同じクラスに見慣れない名前がある。英語は苦手なので、よく分からないが多分名前はアンナと読むのだろう。
「まさか朝のやつじゃないよな」
嫌な予感がしつつ俺は教室に向かった。教室の前でぎくりと俺は立ち止まる。いた、朝のやつが。
女は俺を見るなりずかずか歩いて来た。ぶつかった時は分からなかったが身長は百七十ぐらいあるのではないだろうか、俺より少し低いとは思うけど大して変わらない気もする。胸元には銀の十字架をつけている。
うっわあ、なんで来るんだよ。
けど逃げるのもなんかなあと言う感じなので俺は女を睨んだ。女がぴたりと立ち止まる。
「お前もこのクラスなのか」
綺麗な日本語だった。ちょっと女にしては声が低い。
「だったらどうかしたのか」
にこりと女が笑う。俺はたじろいだ。なんていうか、その綺麗だった。女とも男とも取れる中性的な顔立ちが尚更その美しさを際立たせている。
「僕はアンナっていう。今年一年、このクラスに留学する。お前……」
「俺はお前って言われる筋合いはないけど?」
「じゃあ夜死露、僕はお前が気に入った」
え、どうして俺の名前を。そう聞こうして俺はタイミングを失う。いきなり、女が俺の頬にキスしてきたからだ。
……今の何?
幸い、チャイムが鳴った後ということもあって廊下に生徒はいなかったため誰にも見られていない。
一体、なんなんだこの女は。
教室で簡単にアンナが留学生であることを聞いた後、体育館に始業式の為移動することになった。しかし、紹介の時もそうだが今もアンナはじっとにこにこしながら俺の方を見ている。
これは朝胸を触った復讐か何かなのだろうか、冗談じゃない。ぶつかって来たのはあっちの方だ。俺はちょっと考え事をしていただけだ。避けなかったあっちが悪い。
クラス担当の教師を紹介されている時も女子の列の後ろからぞわぞわとした視線を感じて終わるまで寝てやろうと思って言ったのに逆に目が覚めてしまう。
アンナの雰囲気が変わったのは、夜間部の職員が紹介され始めた時。俺の兄貴が他の教師と並んで前に出た時だ。ふっと俺に向けられていた視線がなくなるのを感じる。変わりに今度はぞくっとした寒気を感じた。おそるおそる振り返ってみるとアンナは銀の十字架をぎゅっと握りしめたまま俺に向けた眼差しとはうって変わったものを兄貴に向けている。それは恐らく敵意。
だが、兄貴の名前が呼ばれた時アンナはきょとんとした顔で口の中で呟いた。
「死道スーサイド?」
そして俺を見る。
「……死道夜死露」
どうやら苗字が同じことに気がついたらしい。というかだから何でこいつは俺の名前を知っているんだ。
その答えは帰り分かった。ダチと別れて人気のない道に入った時声をかけられる。
「夜死露」
呼び止められて振り返るとアンナが手に小さめのプリントを持っていた。
「これ、朝落としただろ」
差し出して来たのは進路希望のプリントだった。このプリントだけは今日の提出物じゃない。そのせいで気づかなかったのか。プリントには俺の名前が書いてある。
「吸血鬼……どうして吸血鬼って書いた?」
戸惑ったような表情でアンナは俺を見る。
「最初は面白いやつだと思った。でも、銀髪に赤い目の男もお前と同じ名前だった」
「なんでそんなこと気にすんだよ」
俺はプリントをひったくる。
「日本にはいないと兄から聞いていた。だが、銀髪に赤い目はバンパイアの証……」
ぼそりと呟いた言葉にびくっとした。
「な、何言ってんだ。兄貴は別にバンパイアじゃ」
「そうだよな」
アンナは安堵したように胸を撫で下ろした。
「びっくりしたんだ。夜しか出歩けない筈のバンパイアが昼に出歩くなんて、もしそんなバンパイアがいたら直ぐに始末しないと」
おいおい物騒だなあ。まあ兄貴が動けるのは特殊なクリームとコンタクトのお陰だ。だからカラコンにしとけって言ったのに。
って、始末する?
「信じないかも知れないが、僕はバンパイアハンターだ。吸血鬼と書いてあるのを見て、ちょっと期待したんだ。人間の敵の名前を書くのはいただけないがそういう話平気な人なのかなって」
照れたように笑う。仕草は多少男っぽいが赤らめた表情は少し可愛い……じゃない!今ハンターとか言わなかったか。
「へ、へえだから俺を見てたんだ」
やべえやつと係わり合いになっちまったなあ。俺は兄貴と親父に養ってもらいながら一生楽して生きていく予定だったのに。
「ううん、それはまた違う」
更に顔を赤くして俯き、アンナは俺の腕に自分の腕を絡めた。
「初めてだったんだ。兄以外の男に胸を触られたの……その、叩いたのはごめん。びっくりして……」
なんだかすごく嫌な予感がする。
「僕と付き合え夜死露」
「冗談じゃない!」
俺は腕を振りほどいて逃げた。彼女なんか出来たら苦労せずに生きていく俺の素敵な人生設計がおじゃんだ。養って貰う誘惑も捨てがたいが……他人に気を使うのは冗談じゃない。しかもバンパイアハンターなんて正体がばれたらたまったもんじゃない。
「照れるな夜死露、また明日学校で」
絶対嫌だ! 明日から即効無視してやる。
高校生活二年目の新学期、バンパイアハンターことアンナとの出会いで俺はこの一年の受難を思わずにいられなかった。
なんでこうなるんだ、俺はただ楽して生きたいだけなのに。
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