交わした約束

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 折しも春休みに入る直前だったので、美来は何度も謝る父親の車に乗せられ、高速道路を一時間ほど走ったところにある田舎の祖母の家に連れてこられた。  一度家に戻って泊まりの荷物をまとめたかったが、お母さんの顔はもう見たくないと吐き捨てた美来の気持ちを重んじて、父親は途中で必要な衣類を購入した。  昼過ぎについた美来と息子を迎えた沙和子は、美来が服をめくって見せたコルセットに涙を流し、息子にびんたを食らわせて、小さな子供に暴力をふるうなんて許せないと怒鳴りつけた。   それでも沙和子の怒りは収まらず、馬鹿な嫁にたぶらかされて、罪もない美来にけがを負わせるなんて、親の資格などないと激しく罵倒したが、父親は項垂れて黙って聞いていた。  その様子を見ても、何もかもに疲れすぎた美来の心には、父親に対してかわいそうなどという気持ちは微塵も湧いてこなかった。それよりも、ようやく助かったんだと深い安堵に包まれ、いつの間にか眠っていた。  眠っているうちに父親は家に帰っていき、美来が目覚めたときは、もう夕方で、当たりは暗くなっていた。父親の姿が見えないので美来が不安がるのではないかと心配した沙和子が、寂しくないかいと聞いたが、 「ううん。ちっとも。私、ずっとここにいてもいい?」  と美来が答えたのを聞き、沙和子はぐっと喉を鳴らすと、何度も目をしばたかせた。 「おばあちゃんは構わないけれど、何にもない田舎だから、美来は飽きるかもしれないよ」 「それでも、安全だもの」  沙和子はクシャッと顔を歪めると、溢れた涙を袖口で拭った。 「いいよ。美来が居たいだけ居ればいい。お家に帰りたかったら帰ればいいし、ここに住めるなら、うちの子になってもいいよ」 「ほんと?じゃあ、私、拾われっ子から、もらわれっ子になるんだね。おばあちゃんは私を欲しいと思ってくれる?」  沙和子は、美来の言葉に涙が引っ込んだようで、急に笑顔まで無くし、美来が怖いと思うほど真剣な表情になって訊ねた。 「誰が拾いっ子なんて言ったんだい?」 「あの人。あんたみたいにかわい気の無い子なんて拾うんじゃなかったって…」  安心できる環境に来て緊張が解けたのか、最近は涙も流さなかったのに、美来は急に過去に傷つけられた自分を哀れに思って声が掠れた。それでも泣くまいとして、両手を握って我慢していると、沙和子にそっと抱き寄せられた。 「もうあなたをあの家に帰さない。うちの子になりなさい。おばあちゃんは美来が欲しいよ。あなたのお父さんより美来が大事だ」 「…っ。お…ばあ…ちゃ…おばあちゃ…ん……」  笛みたいに喉が鳴った。びっくりしたけれど、しゃくりあげてしまって、今度は吐き出す息とともに泣き声が漏れた。祖母顔に寄せた美来の頬に流れる涙は、沙和子と美来の二人分が合わさって、ぐちゃぐちゃに顔を濡らしながら、顎から胸へと滴り落ちた。  チュンチュンという声を聞き、美来は我に返った。コルセットを見て、ここに来た時のことを思い出し、目が潤んでしまったことに気が付いた美来は、パジャマの袖でごしごしと目を擦った。  階下からはまだかわいい声が聞こえてくる。庭を覗き込んで確認しようとしたが、一階の屋根に視界が阻まれて見えなかった。すっかり目が覚めて二度寝しようという気は失せてしまったので、美来は味噌汁の匂いが漂う階段を一階へと降りていった。
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