調理実習

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調理実習

 美来が祖母の山吹沙和子家に来て2年目になり、美来は中学生になった。  最初は物珍し気に見られたり、影でひそひそ噂をされて、萎縮したりすることもあったが、ある日を境に、美来は大人への態度を改めた。  その日は、祖母に頼まれた物を買うためにスーパーへ行き、またもや好奇心剥きだしの目を向けられて、俯きながら店内を歩いていた。すると渚紗のお母さんに声をかけられて、美来は、知らない人達のなかで救世主に会った気分になり、にっこりと笑って挨拶したところ、渚紗のお母さんと一緒にいた人までが、好意的に微笑み返してくれたのだ。  それを見て、渚紗は大人の扱い方を知り、実践するようになった。自分の噂をしているのに気が付いても、興味本位で話しかけられても、にっこりと笑顔を返せば、一瞬は固まるけれど、背中越しに、あらいい子じゃないと声が聞こえるのだ。  今日もあと少しで登校時間だが、シャコシャコ歯を磨きながら、美来は自分の顔を客観的に見て、目つきは悪くないか、拗ねたり暗い表情をしていないかをチェックした。  沙和子の家に来てたった一年と数週間しか経っていないのに、美来はここに来た時の顔はあまり覚えていない。というか、親から完全に存在を拒否された子供が、自分の顔なんて見たいと思うわけがなく、自分でもずいぶん輪郭のぼやけた存在の薄い子供だったのじゃないかと思う。  分析していたら、泡と唾が口にいっぱいたまってこぼれそうになり、美来は慌てて洗面ボールにそれらを吐いて、口をゆすいだ。 「あー、口の端がピリピリする。おばあちゃんは口の中がスースーする歯磨き粉が好きだからなぁー。よしっと……」  水で濡らした指で白く残る泡を擦って取ると、美来はにかっと口角を上げて笑顔の練習をする。笑顔は自分のためではなく、美来を引き取った祖母が、他人から悪く言われるのを防ぐためのアイテムなのだ。  わざとらしい笑顔を取り去った美来の顔は、年齢よりうんと大人びていて、ふと見せる陰りがミステリアスな雰囲気を醸し出す。別に老けているわけではなく、整った造作の一つである薄い目の色は、冷たいくらいに澄んでいて、感情を表すのを拒んでいるようにも見える。  無表情のまま口も利かないでいると、周囲は途端に話しかけるのを躊躇してしまうほどの孤高オーラが漂うらしい。だから、みんなが顔を見合わせるのに気づいたときは、美来はにかっと笑ってみせる。その途端に周囲の緊張感が崩れ、安心モードに切り替わるのだ。  瞳の色と同じで、少し色素の薄い長い髪を梳きながら、美来は今日の家庭科の調理実習のことを思い憂鬱になっていた。  一年前に交わした約束を実行するために、最近理久がやたらと美来に絡んでくる。小学校六年生の時には美来だけ違うクラスになり、話がそれに及ぶのをのらりくらりと躱したけれど、信じられないことに、中学生になって四人が同じクラスになってしまった。
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