交わした約束

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交わした約束

 カカッ。軽くて尖ったものが打ち付けられるような軽快な音が響く。チュンチュンと大きく鳴く雀の声に意識を引っ張り上げられて、美来はパチッと目を開いた。カーテンも閉めずに眠ってしまったせいで、部屋の中には朝の光が満ちている。  カカカッ。何の音だろうと不思議に思い、ベッドのすぐ右隣りの窓の外を見上げると、庇から小さな頭がのぞき、美来と目があった瞬間に、ババッと(くう)を切る羽音をさせて、小さな黒い影が飛び立った。  あの音は雀が庇を歩いた音だったのかと納得した美来は、小さな訪問者が覗き込んだ時に小首を傾げる仕草を思い出し、見知らぬ人間をそっと観察していたのに見つかってしまって、とても驚いたに違いないと想像すると可笑しくなった。  父の母であり、美来の祖母にあたる山吹沙和子が暮らす田舎に、連れて来られて三日目になるが、都会のマンションでは今まで体験することもなかった小さな出来事で溢れていた。今までだって、ここに何度も来たことはあるが、田舎嫌いの母と一緒に来ると、数時間で帰ってしまうので、家の外に出たことが無かったのだ。  美来が見つけることは、祖母の家では気に留めることもないほど当たり前のことらしく、こんなことがあったと話すたびに、沙和子はそんなことが面白いの?と笑いながら、耳を傾けてくれる。自分に向けられる優しい笑顔が嬉しくて、美来は何かしら発見するものはないかと、祖母の家を取り囲む自然へと目を凝らした。  田んぼや畑に囲まれた田舎は、三月の中旬ということもあり、美来が知らない花や色に満ちていて、あれこれ質問をしては、貸家の状態や、月極めの駐車場を見て回る沙和子の邪魔をしてしまった。  祖父は美来が生まれる前に亡くなっているが、沙和子はこの辺りでは広い土地を持っていて、昔住んでいた家を人に貸したり、空き地を駐車場に変えたり、コンビニに土地を貸したりして、不動産収入で悠々自適に生活している。  あちこち見て回るうちに、疲れが出たのと、痛み止めの薬を飲んだせいか、美来は布団に入ってすぐに眠りに引き込まれてしまい、たった今、雀に起こされた。  三月の朝は陽が昇るのも遅くて気温も低く、北側の壁にかけてある時計を確認するとまだ七時前だった。布団から出ていた肩が冷たくなっているのに気が付き、顎まで布団を引き上げてもう一度眠ろうとしたとき、一階の庭から子供の声が聞こえた。誰だろうと気になって、起き上がろうとすると、脇腹に走った痛みに美来は顔をしかめ、身体に巻いたコルセットを(さす)りながらベッドに手をついてゆっくりと身を起こす。  薄いベージュ色のコルセットの金具が指に触れ、美来はせっかくの楽しい気分が急に冷め、一昨日の土曜日に起きた恐ろしい出来事へと引き戻された。  最近、収まっていた母の暴力は、会社でミスをしたことでイライラが募り、ストレスのはけ口を求めて、再び美来へと向かった。 「何よその目!馬鹿にして!親を何だと思っているの⁉」  いつもと変わらないように接していたにも関わらず、一度切れた母親の怒りは収まらず、朝食を食べようとしていた美来をいきなり張り倒した。  突然のことで避けることができずに椅子から落ち、床にしりもちをついた美来に向かって、母の足蹴りが始まる。このままじゃまた元通りに殴られ続ける毎日になる。美来はとっさに蹴り上げようとした母親の軸足を蹴っ飛ばした。ふらついた母親が椅子につかまり倒れた拍子に、椅子が床に打ち付けられる大きな音がした。  廊下の突き当りの寝室から父親が飛び起きて走ってくる。あまりの勢いでドアを開けたので、バタンという音に驚いて弟が泣きだした。  父親がダイニングで見たものは、美来が母の上に馬乗りになって髪を引っ張って叫んでいる姿だった。
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