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 開演を告げるブザー音が流れた。  会場の照明が落とされ始めると、ざわついていた空気が落ち着き始めた。  夕陽の落ち切った直後に見せてくれる自然の優美さー暗い紅色の空に、二羽の白鳥が互いを慈しむように飛び立っていくーそんな絵柄の緞帳の前に、一筋のスポットライトが下りてきた。  そしてそこに薄紅色の振り袖姿の女性が浮かび上がった。深々とお辞儀をして、右手が白鳥を追うように挙げられて、静かに澄んだ歌声が会場に響いた。その声を追いかけるようにバイオリンの音が流れ始めた。  会場内のあちこちから、大きなため息が漏れた。「まだなの、時間は過ぎてるでしょうに。こんなのいいから、、、」と非難の声があちこちから聞こえる。またざわつきの空気が流れ始め、歌声をかき消すような話し声が、そこかしこで上がった。  派手に着飾った中年女性ばかりの中に、場違いな青年が縮こまって座っている。肩をすぼめ、薄暗さの中に身を潜めている。覇気のなさを上司から叱責され「背筋をピンと伸ばしてみろ」と、毎朝毎夕に背中を叩かれている。叱咤激励だとは分かっているが、同僚からの「パワハラだって訴えてみろ」という、冗談とも同情ともとれる言葉を受けると「嫌われているのかな」と思ってしまう。 「二十歳の誕生日プレゼントだ。中年おばさんたちのパワーをもらってこい」と、数十年前に一世を風靡した歌手の招待券を渡された。好きでもない歌手の歌謡ショウではあったけれども、後日に「どうだった?」と聞かれた際に、「行きませんでした」が通る相手ではなく、またなおざりな返事が通る相手ではない。  員数あわせの券だろうと高をくくっていたが、ほぼ満席状態の会場だった。人いきれの中、辟易した思いに囚われて息苦しささえ感じている。元来人混みが苦手な彼は、休日の外出さえ控えている。母親から逃げるように飛び出したワンルームの部屋に、終日閉じこもるのが常だ。隣人との付き合いも殆どなく、顔を合わせても目をそらせてしまう。隣人もそうらしく、視線が重なったときだけ、軽く頭を下げる程度だ。そんな彼に訪ねてくる者もなく、月に二、三度届く通販の配達員が唯一の存在だ。  自分の人生に対し、傍観者として対処してきたこの二十年間。人との交わりを煩わしいものとして、敬遠してきたこの二十年間だった。その因となるかも知れない、彼には手痛い出来事があった。中学生の折に、何気なく聞こえてきた女子生徒たちの会話に、耳をそばだたせてしまったー彼に言わせれば、会話が耳に勝手に飛び込んできたということになるのだが。 「進学先、決めた?」「うん。両親がすすめる高校にした」「どこどこ? あたしもそこにするから」  その時に耳にした高校は、彼の志望校ではなかった。彼としては工業系の学校に入り、一人でできる仕事に着きたかったのだが、母親の懇願で大学受験に有利な進学校になった。担任からは「少し厳しいけれども頑張ってみるか」という言葉もあり決まった。しかしそれは女子生徒の会話から知った高校ではなかった。女子生徒が口にした高校は、商業高校だった。父親の病気が元で、大学進学を諦めるといのが理由として語られた。  彼にとって初恋の女子が通う高校に行きたいという思いが強まり、母親の金切り声に耐えて入学した。同じクラスになり、出身中学が同じ彼との同伴通学が始まるはずだった。そして楽しい朝の会話が始まるはずだった。決して、それ以上のことを望んだわけではない。ステディな関係にまで発展するなどとは、まるで考えない彼だった。  ところが、切望した事態は来なかった。彼の思いをあざ笑うかのように、母親が彼に勧めていた進学校に女子生徒は進んでしまった。 思いの外父親の手術がうまく行き、解雇も覚悟していた父親の復帰が叶えられたということだった。その事実を知ったとき、すでに手続き変更の出来ぬ時期になっていた。そしてまことしやかに流された女子生徒の噂ー好きな男の同情を買うための嘘じゃないのかーが彼を苦しめた。 ー嫌われてるんだ。ぼくの進む学校を変えさせるために、あんな嘘を……ー  そんな思い込みが、大げさな言葉ではなく彼を奈落の底へと突き落とした。幼児期から人見知りが激しく、常に母親の後ろに隠れる彼だった。異常なほどの母親の愛情が注がれたせいだと、陰口を叩かれることもあった。しかしそれでも、母親の態度は変わらなかった。他人からの「可愛いお子さんですね」といった挨拶言葉すら、彼の耳を塞ぐほどに警戒した。「少しは外で遊ばせてやれ」という父親の言葉にすら、「病気をもらってしまったらどうするのよ」と、取り合わない。彼もまた己の欲することすべてを受け入れてくれる母親に全てを委ねる日々を送った。  学校で「ママのおっぱいがもう恋しいだろう」「マザコン男!」と色々の陰口を叩かれても、家に帰り母親の笑顔を見れば、それで全てが消えた。中学に入ったときに両親が離婚した。幼児期における彼にとっての父親は、ただの親戚感覚だった。平日に顔を合わせることはなく、休日にしても夜の食卓を囲むだけのことだった。何やかやと話しかけてくる父親に彼が答えようとすると、すぐに母親の声が被さり、父子の会話が成り立たない。母子家庭のような生活がつづいた彼だった。  そんな彼が、歌謡ショーを観た後に、初めての日記を書き始めた。元々が文章を書くことには抵抗のない彼だ。どころか、未来の小説家を目指して、独学ながらも毎日少しずつ書いている。まだ習作の段階だと自覚している彼で、ブログなりホームページなりを作りたいと考えながらも逡巡している。そんな彼だったが、県外に就職先が決まったことを機に母親からの自立を図った。孤独感に苛まれながらも、何とか頑張りつづけた彼だった。
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