十二月三十日  (曇り)

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十二月三十日  (曇り)

 今、ぼくが何処に居るか、わかるかい? 長い付き合いだったけれど、いよいよ君ともお別れだ。もう、君に愚痴をこぼすこともなさそうだよ。そんな悲しい顔をするなよ。それとも、楽になった? まだたくさんの白いページが残っているのが惜しい気もするけど、君だって、君の愚痴を書きたいだろうから、その為に残しておくよ。だけど、訳もわからぬままに君と別れたんじゃ、君も変な気持ちだろうから、少し説明しょうか。そして、本日をもって書き納めだ。  日記君。ありがとう、ご苦労さまでした。  昨夜、午後十時少し前に駅に着いたんだ。そうしたら、改札口で一人寒そうに震えているチコを見つけたんだ。間に合わないと思っていた汽車に、間一髪で滑り込みセーフ。それで、三十分ほど早く着いたんだって。僕は十時だと思って、ゆっくり出ただろう・ 三十分も待たせちゃった。チコ、怒ってはいなかったけど、やっぱり不機嫌だった。でもね、すぐに機嫌を直してくれた。  駅前の店で、ラーメンを食べた。最近はこの駅前がサラリーマンのたまり場だね。この町も意まではベッドタウンになってしまったということかな。ぼくにしても、そうだもんな。仕事は車で30分くらいの田舎の方だ。少し広めの土地がいるからって、随分と前に本社とこの製造工場と物流センターに別れたんだって。  まあ確かに、インターネットという手段があるからね。でもさ、顔が見えないというのは色々と問題があると思うよ。メールによる連絡が主体だから、言葉の使い方が難しいらしいんだ。謙譲語のダブりとか尊敬語の使い方の間違いとか誤解があるらしい。そういったことで取引先のお偉いさんに苦情を言われたりもしているらしい。それと、面と向かって話せば笑い流せる和んだ雰囲気を作るためだったらしいんだけどー相手にはそれが伝わらなかったとか。  そんなことはどうでもいいや。それからどうしたと思う?   ジャ、ジャーン! チコがね、この町にアパートを借りていたんだ。でね、ぼくがそこに引っ越すことになった。電話を引いてあるから、いつでも話ができるんだ。へっへっへー!  でね、そのままアパートに直行。ところが、着いた途端にチコはダウン! 疲れたんだろうな、ヘナヘナと座り込んだよ。ホント、へなへな、と。それで、水をすぐに渡した。これじゃ、どっちがお客か、わかんないよ。ま、いいか、ぼくの方がいつもこの部屋に居ることだし。僕のアパートのようなものだから。そうなんだ、引っ越しておいでって、さ。  駅前にしたかったらしいんだけど、さすがに家賃が高くて諦めたらしい。でもバス停が近くにある三階建てのアパートで、交通の便だけは良いところにしたんだって。それと、作りがしっかりしている防音のしっかりしていることも条件のトップにしたらしい。夜中とかでも発声練習とかができるようにね。さすがにプロ歌手だねって感心して見せたら「ほんとにそう思ってる?」って、少しはにかんでた。可愛いんだよ、そういうところは。ぼくより年上だけど、ときどき年下に感じるときがあるんだ。でなきゃ、こんな風にはいかないさ。  座り込んでいるチコの希望通りに、ベッドに運んだ。抱き上げる力はないから、引きずるようにしてね。重いんだよ、チコ。そう言ったら、怒ったけれどね。おいおい、変なことはしてないよ。正直、初めての女性の部屋だろう、緊張したよ。  まだ家具類は無いけれど、CDとDVDの山だ。さすが、歌手だね。そう言えば、楽譜も山積みだった。だけどひどいよな、隠してるんだから。十日位前なんだって、ここに入ったのは。言ってくれれば手伝ったのに。驚かすつもりだったって、年明けに。 帰らなくちゃと思って、チコの寝顔をのぞき込んだよ。すごく感動した。だって、綺麗な寝顔だったもん。それでね「サヨナラ」って、小さく声をかけた。そーっと、ドアを開けようとしたら、後ろから天使の声。 「あら、帰るの? もう遅いから、泊まっていったら?」って。「でも……」「あら、いいじゃないの。それとも、だれかが待っているのかなあ」だって。  一瞬、おふくろの顔が浮かんだよ。今日迎えに来るだろう。昼過ぎまでに帰ればいいかって、帰るのを止めたわけだ。迎えになんか来なくても、ちゃんと帰るからって言ってるんだけどさ、「部屋を確認しておきたいの」って聞かないんだ。自堕落な生活を送っていないかって、それが心配なんだろう。  そうそう、チコがすごく気にしてる。いつも君を持ち歩いているだろう、だから。見たいと言われても、君だけはチコにも見せられない。今、後ろのチコから隠すようにして書いてるんだ。ピッタリとくっついてくるチコの、ほのかなというのかな、包み込まれるような素敵な香に、体が熱くなった。安心しろよ、見せなかったから。  だけど、今日で君ともお別れだ。短い付き合いだったけれどね。半年、かな? こころがさ、疲れてたんだよね、今思うと。あのことがきっかけではあったけれども、その前から寂しさに耐えられなくなっていたと思う。こんなに弱い人間だとは、本当に思わなかった。自分では強い人間だと思っていた。けれどそれは、認めたくはないけれども、母親のお陰だったんだな。  たまたま読んだ週刊誌だったかな? 「日記に悪口を書くと、少しは気が晴れますよ」という、いわゆる知識人のひと言があった。ほんとかな? と思いつつも、始めたんだ。案外に効果があるような気がして今までつづけられた。そして瑛子さんとのことがあり、また落ち込んだ。  主任、ありがとうございます。チコに出会えたのは、主任のおかげです。いくら感謝しても感謝しきれません。みんなは色々言いますが、ぼくは主任を信じます。  それから、日記くん。本当にありがとう、今まで。
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