六月十六日(雨)

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六月十六日(雨)

 今日、二十歳になりました。大人してのスタートを切る日。そしてまた、ある意味特別な記念日になるかもしれない。会社から頂いた歌謡ショーのチケット。ファンというわけでもないんだけど、演歌歌手のショーを観てきた。散々迷ったあげくに出かけたんだけど、良かったよ。いや、演歌歌手じゃない。前座で歌った女性がさ、ホント素敵だった。今日だけは主任に、感謝、感謝! 「愛とは、与えること!」  信じられないような言葉を、ぼくは口走っている。  今でも思い浮かべられるんだ、くっきりと。その女性(ひと)は、大きなどっしりとした緞帳の前に居た。心の奥底まで染み通りそうな美しい声と共に、スポットライトを身体いっぱいに浴びて現れた。彼女は、祈るように全身全霊を打ち込んで歌う。派手な衣装をまとうでもなく、派手な振り付けをするでもなく、唯空(くう)を見つめて歌う。そしてその瞳はいつしか潤み始め、暗い波間でその妖しい美しさー一服の絵としての美しさーを、その為だけに光りを放つ夜光虫になった。そして、さくらんぼのような唇から流れ出る声は、甘く、しかも軽やかだ。時に母のように、時に姉のように、そして時に恋人のように。  無名の歌手だった。拍手もまばらの前座歌手に過ぎなかった。けれどもぼくは口走っていた。 「愛とは、与えること!」
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