26 好きだった

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26 好きだった

 その日からずっと、俺は七海の傍にいた。  七海がひとりぼっちにならないように、毎日七海といっしょに遊んだ。  お絵かきとか、積み木とか。どれもあまり好きな遊びではなかったけれど、べつによかった。 「かんちゃんとあそぶのが、いちばん楽しい」  七海がいつも、そう言って笑うから。  本当に心の底から、楽しそうに。  外で遊べない七海には、仲の良い友達なんてほとんどいなかった。だから保育園にいるあいだ、七海はいつも俺といっしょにいた。  いつも俺の後ろをついてきて、離れないように俺の服の裾をつまんで。振り向くと、ぱっと頬を赤くして、うれしそうに笑って。 「かんちゃん」  俺はそれが、好きだった。  俺を見つけるたび、そうやってうれしそうに顔を輝かせる七海を見るのが。 「かんちゃん、いつもありがとう」  七海がことあるごとに繰り返すようになったのは、小学校に上がった頃。  七海はあまり勉強ができなかったから、俺がよく教えた。  あいかわらず病弱で引っ込み思案だった七海は、その頃も友達が少なかった。だからそんなふうに七海が頼っているのは、俺だけで。 「かんちゃんがいてくれて、よかった」  そう言うときの七海は、いつも、まっすぐに俺の目を見つめた。  うれしそうな笑みの中に、ほんの少し、媚びるような色をにじませて。  そんな、彼女の少しだけ卑屈な表情が、好きだった。  ああ、七海は俺がいなくなったら困るのだと、そんなことを実感できるから。それがうれしくて、――気持ちよかったから。  大きくなるにつれ、七海の身体も少しずつ強くなった。前ほど、倒れたり寝込んだりすることもなくなった。学校を休む頻度も減って、少しだけなら外で遊べるようにもなって。それで自信がついたのか、七海の性格も少しずつ明るくなって。いっしょに遊ぶ友達も、だんだん増えていった。  俺は、それが。  たまらなく、嫌だった。  成長とか自立とか。七海はそんなの、しなくていいと思った。  しないでほしかった。  昔のまま、二人きりの教室でずっと絵を描いていた、あの頃のまま。俺がいなければなにもできない、そんな彼女のままで。ずっと、俺を頼ってほしかった。“かわいそう”な七海を、俺に守らせてほしかった。これからもずっと。  ずっと。  かんちゃんがいてくれてよかった、といつまでも、彼女が言ってくれるように。    いつの間にか、俺が七海に望むことなんて、それだけになっていた。  七海が傷つこうが、悲しもうが。ただずっと俺の傍にいてくれるなら、それだけでよかった。あの日みたいに、おいていかないで、と、俺を追いすがってくれれば。  ……ああ、なんだ。  喉の奥が震えて、笑いがこみ上げる。死にたくなるほど、苦い笑いだった。  大きく息を吐くと、いっしょに身体からも力が抜けていく感覚がした。柵に手をかけたまま、崩れるようにしゃがみ込む。 「土屋くん」  そうして途方に暮れた気分で顔を伏せていると、後頭部に季帆の心配そうな声が降ってきた。 「大丈夫ですか?」 「……あんまり」  今更、気づいてしまった。  べつに、あのとき壊れたわけではなくて。  もう、とっくに壊れていたのか。俺と七海の関係なんて。 「どうかしたんですか?」 「なんか」  だって、俺は。 「死にたいなと思って」  七海と対等になんて、なりたくなかったから。   「……そうですか」  静かな声と、じゃり、と砂を踏みしめる音がした。  ふと顔を上げると、目線の位置に季帆の赤いスニーカーがあった。  展望台の柵に載ったそのスニーカーが、また地面に降りる。柵の向こう側、切り立った崖とのわずかな隙間に。 「……は?」  我に返り、間の抜けた声を漏らす。  片手を柵に置いたまま、季帆がこちらを振り向く。その背後には、水平線が広がっている。遠くのほうでは、海鳥が群れを成して飛んでいた。足下から響くのは、絶えず波が岩に打ちつける音。 「いや、なに? なにやって」 「言ったじゃないですか」  まっすぐに俺を見つめた季帆の顔は、怖いほどに真剣だった。  はじめて、彼女が俺の前に現れた、あの日みたいに。 「死ぬなんて、死んでも止めるって」
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