『Greedy for food』

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『Greedy for food』

 山本(やまもと)は、塵も積もれば山となる、という箴言を自身の行為によって改めて身に染みた、と省みる。  突発的かつ情動的とはいえ、たった今、知人の大沢(おおさわ)を殺してしまった事を。酔い。そして、細々と溜まっていた大沢への怨嗟も含めて。  激しく呼吸を乱している山本とは対照的に、心臓を一刺しされた大沢の骸は血に塗れながら静かに横臥している。  だが、山本は肉体的には汗かき過呼吸気味にも関わらず、さらに死人の傍らにいる、そんな状況に置かれている一方で、彼の脳内はグルグルと機転をきかせ、自らが次に進捗すべき行為を、瞬きもせず微動だにしない大沢の亡骸を見つめながら分析的にに考えていた。まるで血の通ってない、冷徹で鋭い視線をもって。  よく考え直せ。吟味しろ、今までの流れを。会社の同僚である大沢が酔っ払った勢いで、アポもなく勝手に俺の部屋に乱入してきた。俺はコイツの事は生理的に受け付けないので、部屋への進入を拒んだが、奴はコンビニで買ったであろう酒とその肴を片手に、結局、強引に俺は飲みの相手にされてしまった。そして、些細な事で口喧嘩になり、俺はキッチンから包丁を持ってきて、酔いの影響もあり衝動的に大沢の心臓を一刺し。呆気なくこの馬鹿は死んでくれた。つまり、問題はこれからどうやってこの死体を処分するかだ。床に浸っている出血は夥しいが、フローリングの床なので拭き取れば支障はない。大沢の俺の部屋への出現は、突拍子もない珍事だったので、目撃者云々の保証はないが、俺が大沢と最後の接触をした人間であるという担保の痕跡はないはずだ。あくまで会うを想定した約束立った出来事ではないから、その辺りのアシはつきにくい。それに人間関係的にも俺は内心は嫌っていたが、最低限の社交辞令をもって表面的には薄い付き合いで無難にこなしていた。他の同僚にも大沢の陰口などわざわざ漏らした事はない。だから大沢なんぞとはほとんど何の接点はない。ただ、不覚にも俺が酩酊もあって、俺には全く関係ない事と思っていた殺人とやらをやらかしてしまった事だ。これが最大の失敗だった。愚かにも程が過ぎる。自分自身のアイデンティティとやらも、この年になったら安定すると考えていたが、甘い判断だった。人間は成人になっても未完成なものなのだな。  何やら自己言及的な哲学を思考している山本ではあるが、とどのつまり、己の突発的な殺人行為に対する失態をどうリカバリーする事に腐心しているだけの懸念。  それ即ち、どうやって死体を処理するか? だった。  大沢が自分の部屋にやって来た事は、山本が考える限りではアシがついてないだろうと、山本自身推測していた。誰かに、これから山本の家に行くわ、などの類の話をして来たとは、先ほどまでの泥酔状態を見ると考えにくい。恐らく一人飲みをしている最中、急に思い立って自分の家が近い事を思い出し、その酒処からフラリとやってきたのだろう、とさらに山本は忖度する。  詰まる所、大沢がこの部屋に入って来た事に関しては、概ねバレていないと思われるので、アリバイの一つにはなる、と山本は判断した。  入り、に問題はないが、出し、にはリスクが伴う。  山本が考えている、出し。つまり、死体を外に出すこと。いつまでも室内に放置しておくわけにはいかない。いずれ異臭を放ち始める。  何にせよ、この死体をこの部屋に隠し通せる事は出来ない。だが、この死体を担ぎ上げて、車に乗せて何処かの山中に埋めるなんて行程をした所で、途中、人に目撃されない保証はないぞ。モロに死体を外に運ぶのは危険すぎる。となると、やはり死体をバラバラにしてゴミ袋入りか? いや、これだってズタ袋越しにゴミ回収作業員が臭いで気づいたり、持った感触で違和感を覚えてバレてしまう恐れがある。だいたいバラバラ殺人ってヤツはニュースなどで見聞する限りは、案外、見つかりやすい。俺は犯罪なんて素人だ。余計に凝った事をした所ですぐにメッキが剥がれるだろう。だが、この死体さえ完全に無くせば、さすがに殺人の疑いはかからないはずだ。多分、事件性の帯びた事故程度か、運が良ければ大沢が突如何の脈絡もなく蒸発して失踪したか……のようなくだりで俺や他の同僚、大沢の親族や関係者に警察が質問するぐらいで収拾がつくのではないか? 喫緊の問題は、死体を無くす、という事だな。そういえば殺人の証拠を残したくなければどっかの狂った犯罪者が、ボディ(死体)を透明にすれば良い、なんていう台詞を口にしていた記憶がある。死体を透明にするって事は、つまり、溶かすという意味だ。そのイカた犯人がどう死体を溶かしたかは知らないが、恐らく硫酸とか硝酸か。いや、そんなもの一般人がどうやって手に入れれば良いんだ。第一に例え入手出来たとしても、バレたらその時点で当局から注目視される危険性がある。どうして俺がそんな物を購入したか、という見解で。クソ! あまりにもこの死体処理ってのは難しすぎる。  冷静かつ慎重に殺人アフターの計画を練っている山本ではあるが、やはりどうにも妙案が浮かばない。死体処理。単にそれだけの作業なのに、ここまで悩ますか、と思いつつ、自分の家が火葬場だったらな、と不毛な夢想をする山本であった。  ネックなのは肉の部分なんだ。コイツさえどうにかすれば、骨は念入りに砕いて粉末状にすれば良い。肉……肉……しかし、溶かすというアイディア自体は実に使える。透明にする。つまり、真っさらに死体を無くす。それには強酸の液体が必要。それを自前で手に入れる……いや、手に入れるのではなく、既に手にしているのならば?  その時、山本の頭におおよそ正常か異常かの判断に困る発想が生まれた。  胃液がある、と。  そうだ。胃液は塩酸が含まれているんだ。だから、つまり、死体の肉の部位を剥ぎ取って食って処理すれば良いんだ。そうしたら溶ける。どっかの漫画でそんな話があった気がするぞ。死体を隠蔽するために自らが食して完全犯罪を実行しようとする内容の。そう、人肉食は狂気の沙汰じゃない。戦争中の戦場では飢餓の為に死んだ兵隊の肉を喰らっていたなんて話はゴマンとあるじゃないか。そう……食ってしまえば良いんだ……食べてしまえば全ては解決するんだ……。  山本は血走った目で瞬きもせず大沢の屍を見つめた後、その死体を抱えて浴槽へと姿を消していった。  そして、山本の人肉食生活が始まった。  まずは時間をかけて包丁で大沢の死肉を剥ぎ取り、それらを冷蔵庫に詰める。骨は予定通りハンマーで粉々にして処理。防音設備はしっかりしている自らの賃貸住宅に初めて山本は有り難味を覚えた。全身の体毛は削ぎ取り、血も全て搾り取って、鮮度の良い人肉を調理。肉野菜炒め風にしたり、ミキサーで攪拌して餃子の具にしたりと、工夫を加えて山本はなるべく料理に飽きがこないように大沢の死肉を少しずつ処理していった。胃の中で。最初の内は初めての味なので違和感を覚えたが、徐々に人肉自体の味覚には慣れ、スジがあるのは難点だか、上腕二頭筋や太腿は意外と旨いという事を山本は知った。  案外、食える。  それが山本の素直な感想だった。  山本が人肉処理作業、つまり、人肉食を続けて一ヶ月後。大沢の死体は全て山本の胃袋に収め終えた。その間に山本の身の回りに起こった出来事は、やはり大沢の唐突の行方不明は警察沙汰になり、大沢の同僚として山本に警官からの尋問はあったものの、特に重要参考人のような扱いにはならず、事件性及び事故性を懸案しながらの失踪案件として、一旦は落ち着いた。  つまり、山本への大沢の殺害疑惑などは浮上しなかった。  計画は成功した、と山本は安堵し、しばらく一人酒の日々で祝っていた。  普段と変わらぬ日常の維持を山本は手にしていた。  だが、山本には違う煩悶が生まれていた。  大沢の死体。その人肉食の味。  それが忘れられなくなっていたのだ。喰い尽くしたはずのあの人間の死肉の味の旨さが、山本の身体に染みついてしまったのだった。  牛肉、豚肉、鶏肉ていどぐらいしか肉の味は知らなかったが、そういえば人肉は美味だった。いや、繊維質としては同属なのであるから美味しいのは自明の理だ。旨いのが当然なんだ。それに戦場で喰らった人肉の味を忘れられなくて、社会に復帰してからも人肉を求め殺人を繰り返すなんて映画もあった記憶があるぞ。そうだ。人肉食を味わった人間なら中毒性があって依存性が高いって事が理解できるんだ。シャブと一緒なんだ。一度やったら止まらない。だから俺が狂ってるわけではないんだ。この美味しさは至高。死肉の味にどうやら俺は覚醒したらしい。それも憎き知己であった大沢のお蔭というのが皮肉。まさかこのような形で大沢から恩恵を受ける事になるとは思わなかった。人間万事塞翁が馬とはこのような事を言うのか。大沢よ、南無阿弥陀仏。  謎の大沢への感謝。そして、再度、猟奇性を帯びた思考をして自らを正当化する山本。  そして、思い立ったが吉日。  以来、今度は無差別かつ通り魔的に山本は連続殺人を始め、色々な人肉食を嗜むために老若男女問わず殺しては喰らった。  当初、大沢を殺害してその死体の処理に熟考していた頃とは支離滅裂、本末転倒の行動に今は走っている山本。なるべく自分の家からは離れている所で、人間狩り、を車に乗って行い、実際に二桁レベルの数の殺人に成功をして警察からの捜査の目から逃れているが、それはあくまで被害者との接点がないだからであって、欧米の猟奇的変態食人連続殺人鬼も殺人者数は多いが、意外と発見される時は呆気なく目撃される捕まれ方が多い。あまりにも場当たり的で無計画だからだ。  その点は山本も自覚していて、いずれ自分もイモを引いてバレるだろう、と予想はしていた。そこで山本はせめて捕まる前に、後悔がないような、食、を追求しようと思った。  最後にして最期の、究極の、食。  それは自分自身を喰らうこと、だった。  自分自身はどのような味がするんだろう? これは純粋な好奇心の結晶でもある。決しておかしな事ではない。確かドイツかどっかでとある男が自分の局部を一緒に食べてくれる人間をネットで募集したら、本当にやって来て一緒に食したなんて事件を聞いた事がある。そんな実例があるんだ。俺の考えている事は決して特殊なものではない。痛みが勝るか、旨味が勝るか分からないが、取り合えず、包丁で自分の臀部辺りから切ってみるか。あ、肉といえば猪肉や鹿肉なんかも食っておけば良かったなあ。  奇妙な山本の思考回路は訥々と淡々と山本自身に包丁を握らせ、そして、山本は徐にパンツを脱ぐと自らの尻に、切りやすくするためにしばらく冷凍庫で冷やした包丁を当てた。  包丁を尻臀(しりこぶた)当てた瞬間、ヒンヤリとしたその刃に快感を覚えた自分に山本はちょっとした変態性を自らに感じた。  人肉食を癖(へき)とする事よりも。                                                      了
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