第二章

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第二章

 越前大野の短い旅をして帰ると、そのまま出勤を日延べして次の明け方には気だるさが残る夢を見た。それは暑い夏の夢だった。  確かにじっとしていても噴きだして、拭いても拭いても汗が滴り落ちてくるのに女は涼しげな瞳で立ち、あざ笑う瞳を投げつけられて飛び起きてしまった。彼は過去の思い出を道連れに横臥(おうが)したがつかの間の静寂が寂しさを呼び戻し、ますます眼が覚めてしまった。  仕事に出るにはまだ早く、時間に余裕のある分、手が自然と枕もとの煙草に伸び、次に半身(はんみ)を起こして煙草に火をつけた。  漸く部屋に漂っていた紫煙は、風を追って急に窓に向かって動き始めた。入れ代わりに朝の明かりが差し込めてくる。  昇る朝日が、研ぎ澄まされた(やいば)のごとく、彼の全身に突き刺さってくる。その後に更に一撃を食らうように、電話のベルが鳴り響いた。けたたましく鳴る電話のベルは、夢だけを貪る寝床が、安住の地でない現在を彼に告げていた。 着信は係長の松本さんであった。それだけで用件が分かった。小旅行での休暇を更に一日伸ばした翌日の今日である。 「山路!いつまで休むンや」と云う出勤の催促である。 彼の勤めるタクシー会社は一車制である。一台の車を一定の勤務時間内乗り続けられる。 「どないしたんや、とうに旅行から帰っているはずやのに、旅行ボケしたんか。ええ、たった三日間の旅行で1日日延べして・・・どっか具合でも悪いんか?」 ええ、と山路は言葉を濁すと、だいぶ重症か、と笑いながら係長は訊いてきた。  係長は本社に有る百台の内の五十台を任されている。もちろん賄いきれない場合は他の部署にも車の都合を聞くこともあるが管轄内で集中して勤務態勢をまとめている。部署内で休む者が多くて車がだぶつくと社長の風当たりがきつくなるのを恐れている。だから係長の松本は語気を強めたり、口調を柔らかくしたりしては出社を促していた。
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