君の声は中毒性が半端ないです

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 夕闇の中、校庭の芝生をサクサク踏んで歩く。  私の目の前三十cm程先には、八雲君の背中が真っ直ぐ伸びている。  ほんの少し前まで、父兄や近隣のお客さんが来てくれていたのが嘘みたい。招待客を見送った後の校内は、いつもの学生達だけだ。  あんなに色んな人達で溢れかえって騒がしかった昼間から、今はいつも通りどこか澄ましてお行儀の良い生徒たち。  ……そう言えば八雲君だけは、お坊ちゃんにしてはクラスのみんなよりも口調が普通っぽいなと、改めて思い返す。  そこかしこで篝火がいくつも立って、更に校舎から照らされるライトで、日の落ちた後も周りは十分に明るかった。  だだっぴろい校庭の芝生の上には、素敵なガーデンテーブルが置かれ、飲み物やカットフルーツや並んでいる。  まるで洋画なんかで見るガーデンパーティみたいだなぁと、一般庶民の私は場違い感で居た堪れない。  あー、ここはコミケのコスプレ会場で、私達はコスしてるとか、そんな感じに思い込んでみようか……  うん、無理だ。ふふふ、精一杯背伸びしているのがバレませんように。  少しだけ遠い目をして、私は現実逃避を試みる。下ろしたてのワンピースは着心地最高な筈なのに、どうにも今はムズムズするのだ。  結局、私には肩肘張らず楽に着られる服が一番なんだよね。何でもないように振舞って見せているつもりでいて、ガチガチに緊張した私はギクシャク歩いていたらしい。  半歩前を歩く背中から、微かに吹き出すのが聞こえた。見上げると、彼が「悪りぃ」と呟きながら口を押さえていた。 「無理しなくていい。歩き辛いなら、俺の腕掴んでろよ」  半歩前を歩く彼が、紳士の如く自分の左腕を軽く折って、肘を私の方へ出す。  ナニコレ? これが名門私立の日常なの? いや、周りの男子は彼程に恥ずかしげも無くエスコートをしてはいない。  思春期真っ盛り、中学生らしく頬を赤らめてギクシャクとエスコートしている子が大半だ。  ……え? それでも、やっぱりエスコートはしてるんだ。  周囲を見回して、グッと左手の拳を握る。私は覚悟を決めて、彼の左腕へと右手を伸ばした。  彼のジャケットの滑らかで少し冷たい感触に一瞬怯む。だけど思い切ってそのまま腕を滑らせた。  それを受けて、嬉しそうに口元を緩める彼。そんな表情をまともにくらった私は、顔に血が上って視線を逸らしてしまった。  逸らした視線の先で、ヒールの低い黒のエナメル靴が芝生の緑に映えている。  精一杯のドレスアップをした私、私も、少しは輝けているだろうか。そんな不安ばかり。周りはみんな温室育ちの手入れ行き届いた薔薇の花々。私と言えばせいぜい自生の野ばらだ。  だけど、さっき私が髪飾りを付けている姿を見た時の彼は、確かに喜んでくれていた。一番の笑顔だった。  だから、きっと。たぶん、きっと。私も私なりに輝けている筈だと、自分に言い聞かせて歩いた。  そんな私を気にしてか、さっきよりゆっくりめに歩調を落としてくれる彼にエスコートされて、私達はダンスの輪へ向かう。  チラッと盗み見てみると、彼は堂々自信たっぷりにタキシードを着こなしていた。如何にも着慣れている感じ。  こういうフォーマルな装いのシャレオツな着こなしには疎い方の私。それでも周りと見比べてみていると、彼は着こなしが上手いんだろうなと思った。多分。  ドフォーマルな遊びっ気0の礼服を四角四面にキッチリ着ている子もいれば、カフスや飾りで遊び心を加えた着こなしの子もいる。  そんな中でも、彼は程よく着崩しているが纏まっていて、堅苦しい圧を感じさせない自然な着こなしに見えた。  八雲君は微かに光沢のある鮮やかな濃紺のタキシードで、シャツの襟にはチェーンのついたカラーバー。真っ白のピンホールシャツの襟元ネクタイの上で、銀色のチェーンがシャラシャラ揺れる。もしかしたら、カラーバーじゃなくてラペルピンなのかも。  シャツの襟元、ネクタイの逆三角の上を銀色のチェーンが優雅に横切る。チェーンをシャツの襟に留める箇所では、小さな十字架が輝いていた。  ラペルピンって、ジャケットの胸元にあるホールに刺したりするものだったと思う。それでカラーバーは、ネクタイ逆三角の下に細いピンを通して、ネクタイを立体的に魅せる物だったと思う。カラーバーとか、カラーピンとか、これまた種類があったんじゃないかな。どっちかは分かんないや。  とにかく、彼はシャツの襟元をお洒落に飾っていた。  シャツやポケットチーフは真っ白、それ以外はタキシードも中のベストもトラウザーズ(ズボン)も全部濃紺で統一されている。シルバーチェーンの襟元だって、十字架の真ん中に蒼い石が嵌められていた。靴は黒。これはもうみんな黒だ。  カラーピンで飾る筈のジャケットの胸元は、何故か男子全員共通で、薔薇の花を刺している。  もしかしたら、後夜祭でのお決まりなのかもしれない。  周りのみんなもお洒落に着飾っているけれど、中でも一番カッコいいのは彼。八雲君だ。  ちなみに、彼の胸元に飾られている薔薇の色は白。蕾が開きかけの小さな白薔薇を一輪、飾っている。  男子はみんな胸元には薔薇の花を飾っているけれど、その色は人それぞれみたいだった。 「お、八雲じゃん。お前ならサボるかと思ったけど、ちゃんと来たんだな」  ダンスをしているエリアにあと少しという所で、曲と楽しげな声を飛び越して、聞き取りやすい良く通る声が私達へかけられた。  八雲君の友人らしい声のする方を振り向けば、親しげに片手を上げて近付いてくる男子が一人。八雲君も片手で挨拶を返している。  なんとなく、組んでいた腕をそっと外して邪魔にならないように半歩下がる私。それに気付きながらもツッコミはしない友人君。 「ところで、八雲のパートナー可愛いな。見かけないけど外部の子? 俺は隣のクラスの光明院右京(こうみょういん うきょう)。宜しく」  男二人で軽口たたいていたのに、突然私へ話を振られて一瞬焦る。 「あ、はい、宜しくお願いします」  ぺこりとお辞儀をする私に『マジ、素直そうで良い子だな』と笑顔を返してくれた。  光明院君は八雲君より少し背が高くて、いかにも運動部って感じの爽やか男子。落ち着いてて、黙ってるとどこかクールな印象もする八雲君とは、対照的だった。  タキシードも、八雲君は濃紺なのに対して、光明院君はシルバーだ。何という事でしょう。私には眩しすぎる。  シルバーのスリーピースは、縁取りと中のベストが殆ど黒に近い暗い濃緑色。更には、中のベストは細い縦じま。靴はやっぱり黒だった。  胸元にベルベットみたいな深紅の薔薇をさしているのが、似合い過ぎる程に似合っている。  一応パーティータイプのミモレ丈ワンピースを着ている私だけれど、光明院君の隣に立つならば完全にロングドレス一択だろう。  それも、そんな凄いドレスを芝生で汚したとしても気にしない程のお嬢様でないと無理だ。 「もういいだろ、右京もパートナーの所に行ってこい」  ニコニコ笑顔で私に向き直る光明院君の視線を遮るように、半歩間に入る八雲君。先程より少しぞんざいに手を払う彼の様子に、光明院君は眉を片方だけ上げて見せる。  不快というよりは、興味深い。もしくは好奇心の眼差しだ。けれど大人しく『またな』と去る光明院君。残された八雲君は、珍しく少し気まずそうな表情で私の手を引いた。 「悪い。あいつとは幼稚舎からの腐れ縁でさ。ほら、行こうぜ」  引かれるままに足を運び、ダンスの輪の中に入る。  みんな華やかな装いで、色とりどりの花が咲き乱れているようだ。やっぱり私の深緑でシンプルなデザインはちょっと地味だったかなと、軽く落ち込んでしまう。  そんな私の手を取って、慣れない私に合わせるように、ゆっくりとリードしてくれる彼。  曲に合わせて、不自然にならない程度に簡単なステップでリードしてくれていた。  感嘆とはいえ大勢の中で踊るなんて初めてで、二人きりの練習とは違って私はいっぱいいっぱいだったけれど。  だんだん焦ってリズムが崩れてきた私。少しずつ、少しずつステップが遅れてきて余計に焦る。  もうダメ――  そう思った時、少し抑えた彼の声が、そっと私の耳朶に触れた。 「大丈夫だから。 俺がリードしてるのに、無様な真似させるわけ無いだろ。 安心して、もっと力抜いてみな」  周りにぶつからないように足を踏まないように、必死すぎて目の前の彼すら見えなくなっていた私へ、心地よい音が響く。  その言葉に、強張っていた肩の力を恐る恐る抜いてみた。  緊張でつい固く握りしめてしまっていた手も、少しずつ少しずつ力を抜こうと意識する。  あ、なんか、さっきより動きやすいかも。  少しだけマシに踊れるようになった気がして、嬉しくて顔を上げた私。すぐ目の前の彼と目が合う。リードしてもらっているというのに、必死過ぎて今迄まともに顔を見れなかった。  いつもなら余裕たっぷりで口元を綻ばせるだろう彼が、何故か目を彷徨わせてから視線を外す。  横を向いた八雲君の耳が、照明の加減か少しだけ赤みを帯びている気がした。 「うん。それで良い。その髪飾り、気に入ったなら良かった」  視線は微妙にずらしたままで、彼が小さな声で話す。 「うん、ありがとう。おかげで華やかな感じになれてるといいな…… 深緑は、ちょっと地味だったよね」  周りの色とりどりお花畑のような女子達へ視線を走らせて、自嘲気味に笑う。  初めてのパーティドレス、シンプルなミモレ丈のワンピース。あんまり派手なのは恥ずかしいと思ったんだけど、こういう場所に来ると逆に地味なのは浮いちゃうんだと今日知った。  上品で良いなって気に入った筈なのに、みんなを見ていると、なんだか恥ずかしくなってしまったんだ。  私の声に、彼は外していた視線をしっかり合わせる。 「良いと思う、俺も。そのワンピース、上品でお前に似合ってるよ」 「あ、ありがとう……」  まさか面と向かって褒めてもらえるとは思ってもいなかったので、また俯きそうになる。 「だから、下向くなって。なぁ、ダンスのペアは運だけどさ、運も実力のうちって言うだろ?  少なくとも俺は、前からお前の事気になってた。今回のダンスも、お前じゃなかったらサボってたから」  いつもの余裕ある笑みで、まっすぐ視線を外さない彼。反対に私は、どんどん挙動不審気味に視線を彷徨わせてしまう。  そんな様子に、彼は私の腰に添えた手をグッと引き寄せた。 「せっかくのチャンス、無駄にする気は無いから。お前が嫌じゃ無いなら、もっとお前と知り合いたいと思ってる」  さっきより近付いた分だけ、落とした彼の声が頭の中で響く。  まるで甘い毒のように、じわじわ染み込んで絡め取られるような声音。  彼だけの、私を虜にする音。 「あ、の、はい」  顔が熱い。  おそらく真っ赤になっているだろう私へ、彼は不敵に笑んで見せた。  ダンスの曲が途切れて、その隙に私は慌てて身体を離した。 「あ、えっと、飲み物もらってくるね!」  彼の止める声も聞かずに、私はドリンクを並べているガーデンテーブルへと小走りで向かった。  はーーーっ  心臓に悪い。  ドキドキしっぱなしで、失神するかと思った。  彼の過剰摂取は、大変に毒である。  気持ちを落ち着けようと、一先ずテーブルの炭酸を一杯ぐっと飲んだ。  冷たい微炭酸が喉を過ぎて、火照った熱を身体の内から冷ましてくれる。  呼吸を整えて彼の所へ持って行く飲み物を選んでいる私に、やや後ろから険のある声がかかった。 「ちょっと。ねぇ、あなた一年の外部生よね?」  声の方を向くと、見かけない女子がいた。  制服ならばリボンの色で学年くらいは分かるけれども、今はドレス姿で全く分からない。  それでも、わざわざ「一年の」と付けるって事は、上級生だろうか?  見るからにお高そうなロングドレスに豪華なアクセサリーをつけている彼女は、完全に私を見下した声を投げかけてきた。
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