君の声は中毒性が半端ないです

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 夕暮れに染まる、小さな空き教室。  クラスの看板描きも一区切り。習い事や塾があるからと、一緒に看板を描いていたみんなは帰って行った。  私はと言えば、彼に誘われて社交ダンスの練習中。  床一杯に広げた紙は、男子達で教室の後ろへ張り付けてくれた。  美術室の隣にある空き教室。作品を作った時なんかに乾かす為に置かれてあったり、画材が積まれていたりする。  けれど今は、文化祭前で画材やなんかも各クラスへ振り分けられて空いている。  まだ少し絵の具の匂いが残る小さな空き教室で、私は彼と踊っていた。  机に置かれたスマホから軽快な曲が流れて、二人きりの教室に響く。  いつもなら、きっと彼も習い事やなんかで帰っている筈なのに、ただ一言「やるぞ」って、ダンスのステップを私に説明し始めた。  私が文化祭の後夜祭で踊れずに困るだろうと、練習を申し出てくれたのだ。  まずは、動画でダンスを見せてくれた。けれど動きが速いし、全く知らない私にとっては、全然覚えられない。正直、あまり要領が良い方じゃないし。  せっかく見せて貰っている動画を、全く分かっていない事が顔から伝わったんだろう。暫くして彼は動画を消すと、スマホを持つ手を下ろした。  ああ、時間を無駄にさせちゃって申し訳ないな。呆れられて恥ずかしいな。  そう思った。  並んで座って動画を見ていたのに、私の隣から離れて背を向ける彼。ごめんなさいと思いながら、俯いて私も立ち上がる。もうおしまい。帰るんだ。  けれど彼はスタスタ歩いて、教室のドアとは制反対へ。スマホの音をスピーカーにして曲を流したまま、隅に寄せた作業台へスマホを置いた。そうして私を振り返り、所在なく垂れる私の手を、流れるような手付きで攫って踊る。  ついさっき口で説明してもらった時は、今一つ頭に入らなかったステップ。それをゆっくり踊って教えてくれる彼。何度もステップを間違えたけれど、おかげで少し分かってきた。  多分、一番簡単なのだろうけれど、私にとっては人生初の社交ダンス。二人向かい合って、手に手を取って踊るダンス。  近い近い近い。制服越しに体温が伝わってきそうだ。いや、分厚いブレザーの制服だ。易々と温もりを通しはしない。看板描きの間はジャージだったけれど、片付けて今は私も制服姿。ぎこちないステップに、膝丈のスカートが揺れる。  いやでも近いって、これは。無理無理無理。みんな平気で履修済みなの? 幼稚園のお遊戯以来、男子と手をつなぐ事だって無い私だ。恥ずかしさに、脳みそポップコーンで弾けそうだ。  けれど、貴重な時間を割いて教えてくれている彼の厚意を無駄にはしたくない。そう思って、私は必死に身体を動かした。  教えてくれるのは2種類。  一つは、シャルウィーダンスで見たような、男女ペアで踊るスタンダードなもの。  もう一つは、チャチャチャとかいうペアだけど、あまり密着しないで踊るもの。 「肩に力が入ってる。抜いてみな、ゆっくりでいい」  その一言一言が私の耳に届くたび、何とも言えない甘い痺れのような感覚がして、私は視線を落としてしまう。  二人きりの教室、すぐ近く耳元で囁かれるのは、いつもより抑えた声。曲を邪魔しないようにか、すぐ近くだからか、抑えて微かに掠れたウィスパーボイスは容赦なく私の芯まで響いた。 「だから、下見んな。こっち見る。っはは、ヒッデェ顔。緊張するにも程があるだろ」  ガッチガチに強張った私の表情筋へ、苦笑が向けられる。  たったそれだけで、私は涙ぐみそうになってしまった。  初めての社交ダンス練習で、それも密かに想っている彼相手で…… 只でさえ、恥ずかしいやら上手くできないやら、変な汗をかいてしまっている。  それでも必死に練習していたら、やっぱり笑われてしまったのだと。頭のキャパオーバーで、もうなんだか気持ちが高ぶってしまう。  嫌だ、恥ずかしい、折角教えてくれるっていうのに、メンドクサイ奴だって呆れられたくない。私ってば、舞い上がってるって知られたくない。  こんなみっともない顔、見られたくない。 「悪い、こっちから練習言い出したのに、笑うのはナシだよな。初心者なのに、頑張ってるよ。ただ…… ちょい、必死過ぎっつーか、いやっ、悪かったって、ごめん」  涙ぐむ私に気付いたのか、慌てた様子で彼は繋いでいた手を離した。  そのまま彼は机上の鞄を開けて、何かゴソゴソし始めた。  私はと言えば、こっちを見てない隙にグッと目元を拭いた。 溢れそうだった雫が、手の甲を濡らす。  情けない。彼はただ、クラスメイトとたまたまクジでペアになっちゃったから、仕方なく練習に付き合ってくれているんだろうに。勝手に舞い上がって、勝手に落ち込んで。  きっと彼は、外部生で庶民の私が恥をかかないようにと、優しい彼は面倒見良く助けようと思ってくれているだけなのに。  私ってば、私、恥ずかしい。せめて、呆れられたくない。 「これ」  丁度、私が泣きそうな顔を隠した所で、彼は振り向いた。  私の手を取って、小さな包みを置く。  それは、手の平サイズの小さな包み。  真っ白な布地の袋に、お洒落な英字が金糸で刺繍されていて、深い緑のリボンを結んである。  戸惑って、包みと彼を視線で往復していると、彼は少し照れ臭そうに笑った。 「お前、いつもなんか頑張ってるから。なんつーか、その、ご褒美! 誰だって、頑張ったらご褒美くらい欲しいだろ」  え、どうして私が頑張ってると思ったんだろう? 同じクラスになってまだ数ヶ月。  特に話した事も無かったし、接点なんてこの文化祭まで全然無かった筈なのに。  こんな、ご褒美を貰える程の頑張りなんて、彼に見て貰えてはいないと思う。それとも、このくらい彼にとっては別になんでもないのかな。  疑問に固まったままの私の手の上で、置かれたままの包みを彼の細長い指が開く。  リボンを解かれて出てきたのは、可愛い髪飾りだった。  結った所に挿して飾るタイプの、小さなもの。グラデーションが綺麗な、花の髪飾り。  彼の手が包みから花開かせたのは、虹色の花にパールが付いたような、小ぶりだけど素敵なバレッタ。  まるで雨上がりの花が虹を写して輝いているような、可愛くて綺麗なものだった。  それを私の手の上に置いたまま、彼は視線を外す。少しだけ、いつもより高い。ほんの微かに上ずった声。 「その、ダンスの時、気に入ったなら付けてくれ」  みんなが帰った空き教室で、大きな窓から差し込む夕焼けのせいか、彼の頬はほんのり色付いていたのだった。  いつもより少しだけ上擦った声も、君の声なら、やっぱり私の深い所に響いてしまうよ。
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