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ローブの隙間から腕が伸び、ゆったりと這い寄るようにイサへと差し出された。腕は針金のように細くしなやかで、艷やかな黒が見える範囲をすっぽりと覆っている。おそらく肘から上まではある、革の手袋を嵌めているのだろう。
影の言葉の意味が理解できず、イサは差し出された腕を避けるように一歩後ずさった。このような得体の知れない存在に、半身と呼ばれるような覚えはまったくない。
イサは不信感を剥き出しにし、フードの奥に隠れた顔を睨みつけた。
「知らないはずはないだろう? それとも、自分の役目すら忘れるほど弱ってしまったのか?」
影は腕をローブの中に戻し、イサに一歩近づく。淡々と紡がれる言葉には、どこか冷ややかな感情が宿り始めていた。それは哀れみとも冷笑とも取れる雰囲気だったが、どちらもイサを見下していることは変わらない。
「ここは、彼女の心。この世界のすべては、彼女の記憶をもとに作られている」
影は空を仰ぎながら、詩を読み上げるように言葉を紡いだ。
「お前が彼女と巡った場所……あれはすべて、その本から彼女が想像したことによって生み出されたものだ」
ローブの中から黒い腕が伸び、手のひらが上へ向けられる。針金のような指の内側に白いもやが現れたかと思うと、影はそれをイサの目の前に放り投げた。もやはボールのように弧を描いて飛び、ばさりという乾いた音と共に着地してかき消える。もやが消えたあとに現れたのは、少女がいつも抱えていた旅雑誌だった。直前までイサが手にしていたはずのそれは、いつの間にか影の手に渡っていたらしかった。
イサは雑誌を拾い上げる。震える手でページをめくると、今までに訪れた場所の写真がいくつも載っていた。写真の下にはその土地の紹介文と思しき文字が敷き詰められているが、かすれていたり白く抜け落ちていたりして読むことはできない。かろうじて読めたのは、「那須」という地名らしき二文字のみだった。
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