思い出の場所

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 それからしばらくして、目的の列車がホームに滑り込んできた。望結は人気もまばらな車両内に足を踏み入れると、窓際の席へと腰を下ろす。リュックを肩から外して膝の上に置き、ぼんやりと外の景色を眺めながら発車のときを待った。  機械的なベルの音が空気を震わせ、笛の音と共にドアが閉まる。景色が左から右へと流れはじめ、少しずつスピードを上げていった。  望結はリュックのファスナーを開き、中から一冊の旅雑誌を取り出す。皺と折れ目が際立つそれをぱらぱらとめくったあと、望結は手を止めて再び窓の外へと目をやった。過ぎ去る景色を眺めるうちに、意識は去年の冬へと向けられていく。  ベランダから落ちて大怪我を負ったあの日、軽く生死の境をさまよっていたらしいことを後になって聞かされた。病室に駆け込んできた母は今までに見たことがないほど泣きじゃくり、父もその後ろで涙ぐんでいたことを覚えている。  だが、その後は何も変わらなかった。喧嘩ばかりの家庭も、退屈な学校生活も、どこか満たされない生活が以前と変わらず望結を待っていた。生死を賭けた経験は人を変えると本で読んだことがあったが、それは嘘だったのだろうと望結は落胆した。  あれから、早くも一年が経とうとしている。中学一年生だった望結は二年生になり、特に問題もなく普通の生活を送っている。平穏ではあるものの、心に巣食う虚しさはあの日と変わらず残り続けている。  何か一つでも、変わって欲しかった。少なくともあの時、望結は小さくても何かが変わることを期待していたのだ。痛い思いをした分、周囲が心の叫びに気づいてくれるかもしれないと……。
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