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夢の中で
宵闇に沈んだ白い部屋で、イサはぼんやりと天井を見つめていた。隙間なく敷き詰められた長方形のうち、右手側の窓に近い角には小さな茶色い染みがある。普通の人なら気付かないほど薄く小さな汚れだが、イサならば夜の闇の中でも正確に場所を当てられる自信があった。
誰かに自慢する気など毛頭ないし、そもそも誇れることではないことはイサも分かっていた。大して広くもないこの部屋を隅々まで知っているということは、長い間ここに居ざるを得ない身だということの証明にしかならない。
胸に沁みるような痛みを感じて、イサは体をくの字に折り曲げながら咳き込んだ。咳は程なくして治まるが、胸に残る痛みはすぐに引いてくれない。イサはやせ細った白い手を胸に当て、息をするたびに生じる痛みにじっと耐えた。何度も胸をさすっているうちに、生気のない表情がさらなる陰りを帯びていった。
これで何度目の入院なのか、イサ自身にも分からなくなっていた。数えることすらも放棄したのが数日前なのか、何年も前なのかもはっきりとしない。元気に外を走り回る自分が想像できないほど、イサは長い時間をこの病院で過ごしてきた。
胸の上に被さっていた布団を掴むと、イサは身体を左へと捻った。布団を体に巻き付け、大きなガラス張りの窓に背を向ける。夜空に煌めく星々も、遠くで行き交う車のライトたちも、今のイサにとっては何の感慨もない背景に過ぎなかった。
秋が深まってきたのか、室内は少し冷えていた。もっとも長い間布団に包まっているイサにとっては、顔と時折露出させる手足でしか冷えを感じられない。温かいほうが快適かもしれないが、あまりにも長く浸り過ぎたせいで逆に気持ち悪くも感じられた。
イサは目を閉じ、しつこくまとわりつく温もりに身を委ねた。不快感はあるものの、凍えるよりはずっとマシだと思ったのだ。
一度眠りについてしまえば、ひと時とはいえベッドや病院から解放される。咳や痛みを感じることなく、夢の世界を自由に動き回れる。
そしてイサには、夢の中で何よりも楽しみにしていることがあった。それが空虚で退屈な毎日の中で、唯一の楽しみと言っても過言ではなかった。
今夜、彼女はどこに連れて行ってくれるのだろう。考えるだけで胸が高鳴り、イサの顔に自然と笑みが浮かぶ。それが普段なら決して見せることのない表情だということを、イサ自身は気づいていなかった。
イサはうっすらと笑みを浮かべたまま、静かな呼吸を繰り返す。やがてそれは寝息へと変わり、彼の意識は深い夢の中へと沈んでいった。
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