烏賊の塩辛だけで生きていける

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烏賊の塩辛だけで生きていける

 とある家の晩餉、一家四人が卓袱台を囲み一家団欒の時を過ごしていた。 献立は主食のご飯、リビング中央に置かれたLED照明の光を反射し、真白に瑞々しく光り輝いている。主菜(メインディッシュ)は豚の生姜焼き、その下には座布団のようにキャベツの千切りが敷かれていた、更にその横にはミニトマトが三つ添えられている。副菜は小鉢が二つ、ホウレン草の金胡麻和()えと卯の花のおからの炒り煮。汁物はしじみ汁、近所にしじみ取りを趣味とする夫婦がいて、しじみを分けてもらい作ったものである。食後には皆で摘むためのシャインマスカットが予定されている。 つまり、バランスの取れた食事であった。 この家の台所を任されている妻はこのような食事を日々毎日考えて作っている。主婦生活が長い故にもう慣れていることであった。 一家の家長である夫は毎日飯が出てくるのが当然であると思っている節があり、妻の苦労なぞ知るよしも無い。 「おい、アレは無いのか?」 夫は妻に尋ねた。妻は憮然そうに言う。 「アレじゃわかりません。きちんと名前で言って下さい」 「アレだよアレ!」 夫はスッと立ち上がり冷蔵庫に向かった。夫は冷蔵庫のドアポケットより「アレ」を取って戻ってくる。 「やっぱりこれだよな。いかのしおから」 夫は満面の笑みを浮かべながら烏賊の塩辛の瓶を開ける。海産系発酵食品独特の潮の薫りがリビングにふわぁりと広がる。ピンクに光り輝くそれを真白に光り輝く白米の上に乗せた。 ぱくり 一口、口に入れた瞬間に夫は満面の笑みを見せる。そう、夫は烏賊の塩辛が大好物であった。夫と烏賊の塩辛の付き合いは長い。幼稚園ぐらいの年齢になり、親が子供にご飯を出す頃にたまたま食卓の上に小鉢で乗っていた烏賊の塩辛、それを一口食べた瞬間にもう病みつきとなってしまった。親は「塩辛いのが好きなんて変わってるわねぇ」と笑顔で見ていたが、食事の度に「いかのしおからないの?」と要求してくるようになり、実際に出せば烏賊の塩辛一瓶を一回の食事で完食するようになっていた。親は幼稚園の頃から塩分過多になるのはとんでもないとして、烏賊の塩辛禁止令を出したのだが、夫(少年時代)は泣きじゃくるようになってしまった。結局、それに根負けして適切量にするという「お約束」をして食事に烏賊の塩辛を出すことになった。 それ以降、食卓には常に烏賊の塩辛が用意されるようになったのである。 その生活は大人になり、結婚し、家庭を持つようになっても続いている。 妻は「烏賊の塩辛が好きなのねぇ」ぐらいの気分でいたのだが、さすがに毎日続くとなると塩分過多を心配するようになっていた。中年に差し掛かるようになれば当然である。 夫は今日も今日とて烏賊の塩辛に舌鼓を打つ。息子二人はいつものことであるためにもう気にすらしない。一人で瓶の半分を食べたところで、夫は腹をぽんぽんと叩きながら言った。 「いやー、本当にいかのしおからは美味しいわ。これとご飯さえあれば他いらんわ。おい、お前たち俺の豚食べていいぞ」 夫は息子たちの主菜(メインディッシュ)の皿に自らの豚の生姜焼きを入れた。息子二人は育ち盛りで肉が大好きなおかげか喜んでその肉を食べる。 夫のその発言を聞いた妻は丹精込めて作った栄養バランスを考えた食事を烏賊の塩辛以下であると烙印を押されたと思い、腹を立てた。 そうですか、他の飯はいらないのですか。 言質は取った。それならば好きなだけ烏賊の塩辛を食べなさい! ついに妻の堪忍袋が切れたのである。
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