残業46時間目 製作を止めろ!

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残業46時間目 製作を止めろ!

 俺の襟首を掴んだままの吉井課長の腕の中で一気に色々なものが冷め切ってゆく・・・  あまりにも違う次元から見下ろしながら吐き出される面白さすら感じ取れる偉い人たちの発言に自然と口元が緩んでしまう。  『どうなんだ園沢!配管はもう手配済みなのか?だったら即刻製作を止めさせろ!当然分かっているとは思うが、見直した設計図を私が承認するまでは工事は元より、製作もさせんからな!』  社内地位を盾とした優位性を前面に押し出しすかのようなセリフをカッコよく吐いたつもりなんだなと想像すると思わず笑い声が漏れ出しそうになる。    『それとも何か?園沢君くらいの大所長になったら配管数量減らすくらいのハシタ金はいらないってか?会社の金だから関係ないってか?鼻が高くなりすぎてるのかな?』   畳みかけるように島田本部長が純然たる嫌味をぶつけてくる。  よくまあそこまで人をこき下ろせるもんだとあきれ返りながらも、この手の人種はやったらやり返されるてことを考えずに発言してるのかと心配になってくる。  「答えろ園沢!もし製作開始しているなら業者に電話して止めさせろ!俺の見てる前で今すぐ電話しろ!」  吉井課長に関してはむしろ昔見た某グルメ漫画の富井副部長にしか見えやしない、この人たちはホントに何も理解してないんだなぁ・・・  現実を何も知らないこの人達を見てるとただの漫才にしか見えなくもない、 俺はいつの間にかこみ上げる笑いをかみ殺すことに必死となり返答することを出来なくなっていた。  「黙ってないで答えろ園沢ぁ!島田本部長がお待ちだろうがぁ!」  威きり起った吉井課長が襟首を掴んだままの拳を軽く突き上げ、俺の顎をかすめると同時にすべてがバカバカしくなっていた。    常識を疑うような工期で受注してきた営業部に文句も言わずに材料を拾い出し、配管材の先行手配をしていたことや、こんな大層でもない島田設計本部長の部下たちが作成した20枚ぽっちの設計図を読み解き、隠れて残業しまくって図面化して業者への発注を実現させてくれたアイツの働きも。  偉い人たちは何一つ理解しない、時間がどれだけかけがえのないものかを理解しようとしない発言の数々に、この世のすべてがどうでも良くなった瞬間だった。  「配管・・・作ってるかだと?」  俺の襟首を誇らしげに締め上げる吉井課長の手を振りほどく、本日3度目  「電話して製作止めろだぁ?」  胸ポケットから取り出した携帯を机の上に放り出し、電話する意思がないことを言葉なく表明する。  「承認してない・・だと?  あんたら今更何言ってんだ?」  自分でも驚くくらいの憤怒が込められた言葉が無意識のうちに零れ落ち始めていた。  「そっ園沢!お前なんてこと言ってんだ!本部長の御前なんだぞ!」  「御前も神前もあるかい!あんたらが言ってることが可笑しすぎるからやろが!」  ブラインドの下げられた窓を背にした島田部長の表情は逆光の加減で良くは見えない、だがあきらかに怒り心頭なのは醸し出される空気で感じ取られる。  俺の心の奥からひり出された発言の後、ほんの数秒しか経過していないはずの沈黙がまるで何時間にも感じ、急速に渦巻く怨嗟が目視できる出来るくらい狭い室内の空気が濁りきってゆく。  本能的にもう後には引けない事は理解できている、だからこそ、ここからどうやってこの場を支配し、このバカげた状況を覆すかに思考を張り巡らす。  島田部長も俺と同じように思考を張り巡らしているのだろう、逆光を浴びた眼鏡だけが光を放っている。  たかだか一現場所長ごときの俺に面を向って反論されたのだから設計本部長のメンツにかけて徹底的にあらゆる権限を駆使して俺を制圧しにかかるに違いない。  俺の一言で完全に蚊帳の外に置かれた吉井課長は置いといて、島田部長との攻防をどちらの発言から開幕するかの緊迫した重くるしい空気が事務所内に充満した瞬間、澱んだ室内の空気を換気するかのように、空気の読めない奴が事務所の扉を蹴破るかのように入ってきた・・・  アイツだった・・・  事務所内の島田部長と吉井課長に対して驚くほど軽い会釈をした後、この澱み切った室内の空気を一気に清浄化するような一言をあいつが放った。  「園沢さん配管の気密テストしといたよ、漏れ無し~!」  つづく    
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