ト モ ダ チ

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(ハルト)はあまり学校に行かない、所謂「不登校(サボり)」とクラスで揶揄される人間だ。 だけど僕は思う。 大体、あんなに集まって騒いで何が楽しいんだ。 あんなのが友達って言うのか?あれは、仲間って言うんじゃないのか?つまらないボタンの掛け違いで直ぐに話さなくなるじゃないか。 仲間は友達とは一線を引く纏まりの人間関係だ。 (ハルト)は友達だと認めている人はとても少ない、いや、ほぼいない。 表面上の挨拶と必要最低限の義務的な会話以外クラスで口を開く事はない。 理由(わけ)だから居ないに越した事はないからだ。 ゼイニクというと皆んな身体に着く余計な脂肪の塊の事をイメージする。 その贅肉だ。 (ハルト)にとって友達や人間関係などゼイニクでしかないと思っている。 贅肉の贅は、贅沢の贅でもあるので、それをありがたがる価値観を否定するわ気もない。 デブこそが裕福、富豪という、前時代的イメージを捨てきれない人もいるはずだからだ。 (ハルト)の個人的価値観でいうなら、贅肉は少ない方がスッキリする。 友達なんていう贅肉は、出来るだけ少ない方がいい。 ゼロならゼロが一番なのだと思う。 その方が、余計な重みに縛られる事がなく、ストレスもなく、毎日思うままに動けると思うからだ。 たまに、担任や他の教師から言われる。 「一人でいて寂しくないのか?学校にきな。皆んな受け入れてくれるよ。」 こんな甘い言葉、嘘(まみ)れだ。 大体、人の気持ちを察しようという事自体が偽善と傲慢で溢れている行為だ。 それに、人の感情を読み取る事が完璧にできる人間はいない。 一人で居たいという価値観を理解していない。 いや、理解しようとしていない。 普通の教師とカウンセリングした場合、普通の教師は自分で処理し切れない重大な生徒の悩みに直撃した時、あっさりと他の教師に広めてしまう。 自分が対応仕切れない内容であろうとも、口外する事は相談した生徒の名誉に関わる事だ。 本来なら懲戒免職にしてもいいレベルの事だ。 話を戻すと、普通の教師に生徒の心を理解する事は出来ないという事だ。 そんな人が言う「皆んなが受け入れてくれる」というのは根拠のない話だという事だ。 正直に言って、一人で過ごす青春も良いはずだ。誰もが等しく笑えるなど、それこそ夢物語だ。 こんなつまらない事で無駄な時間(とき)を過ごすのは無駄ではないか。 (ハルト)は心からそう感じている。 どんな青春の過ごし方も否定はしない。 ただ、毎日が《自由》であれば…
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