11人が本棚に入れています
本棚に追加
/14ページ
2
彼女と遭遇したのは、二週間前の雨の日の夜だった。
仕事が溜まっていて残務整理に追われて、自宅に帰った時には、十一時を過ぎていた。
風呂に入ろうと服を脱ぎ、下着一枚になった時、彼女に気付いた。
ほのかに明るい蛍光灯の光の下、クローゼットの前にボーっと突っ立っていたのである。
もちろん身体は見事に透き通っていた。
オレはビクッとし、背筋に悪寒が走った。変な冷汗が額から流れ、身体が金縛りになったように動かなくなった。
――出た、ついに遭遇してしまった。
なんだかんだ言ったって、幽霊なんて一度も見たことはなかった。それらしい背中にゾクッと感じたことは何度かあったけど、まさか、こんなにはっきりと目の前に出現するなんて、何万分の一の偶然であったとしても、これは歓迎できるものではない。
その時はあまりの突発的な出会いに恐怖なんか微塵も感じなかったのである。
「アンタ誰? なんで、オレのとこに現れたんだ? いや、そんなことより、早くあの世に旅立った方がいいよ。現世で彷徨ってると、悪霊と化して、大変な化け物になっちゃうよ」
オレは、真面目に至極当然なことを言ってるなと思いながら女の幽霊に尋ねた。
幽霊はキョトンとした表情をしていた。
――日本語がわからないのか? この幽霊は言葉が理解できないのか? もしかして、外人さん? 東洋系の……。
しばし緊張感が続いた後、何気なく彼女の太腿に視線がいった。
白く透き通った綺麗な足だった。
もちろん透き通っているのは当たり前のことなんだけど、スラッと引き締まったふくらはぎにオレは釘付けくぎ付けになってしまった。
ハッと気付き、視線をゆっくりと上の方へ移していった。
フリフリの付いた白いワンピースが透けて、裸体が見えるどころか薄汚れた壁を映し出していた。一層のこと裸が見られた方が良かったのにと、この状況の中、そう思った自分にあきれながら、彼女の顔をじっくりと眺めた。
何というか、かなり濃いめの厚化粧だった。
ひょっとして、生前は夜のお仕事でもしてたのかと思った程にケバいメイクだったのだ。
「アンタ、キャバクラとかで働いてたの?」
幽霊さんにそんなこと聞くのなんか変な気がするんだけど、口が勝手に動いていた。
そうだった。彼女は日本語が理解できないのだった。じゃあ、どーすればいいの? オレ、困ってしまうじゃん。
このまま、ずっと、この状況を保つことになってしまうというの?
誰か教えてよって、誰もいないんだけど……。
その時、なんか聞こえた。
「あのー、ここどこですか?」
何だ、日本語話せるじゃないか。それなら早く喋って欲しかったよね。日本に働きにきた外国人かと思ったよ。
あっ、幽霊だったんだ。ここどこって、それはね――。
「オレの家に決まってんだろ。それより、さっきも言ったけど、早く成仏しないと大変なことになるよ」
我ながら冷静な自分に感動するなあって、何思ってんだろ?
「そうじゃなくて、ここは東京なの?」
――アンタ歩いてきたんだろ、違うか幽霊だったな。そらそうだよな、突然現れたんだものな。ここがどこだか把握していないのも仕方ないか。
「そう、日本の首都・東京だよ」
――地方から出て来たのか?
一瞬、戸惑ったように見えた幽霊さんだったが、納得したように、
「そうですか」
と答えた。
「で、アンタは、どこの出身? っていうか、どこで死んだんだよ」
一直線に聞いてしまったが、その方がいいだろう――。
「あたし、死んでなんかいないよ。勘違いしないで」
彼女はそうは言ったが、信じられるわけないじゃん。だって、身体が透けてるもの……。
「冗談言うなよ。実体を通り越して壁が見えてるよ。影だって映ってないし」
オレの言葉に彼女は自分の影を探し出し始めた。
「ホント、何も映ってないみたいですね……」
彼女はなんの動揺した素振りも見せずにボソっと呟いた。
「そうでしょう。だから、早く成仏してください」
感情も込めずに話している自分に、オレは薄情な人間なんだと思いながらも、いや、これでいいんだと無理やり納得させた。
「でも、あたし、幽霊なんかじゃないよ。ちゃんと息だってしてるもの」
急に彼女が近付いてきて、フッと息をかけた。
瞬間、オレの頬に風を感じた。
それと共にいい香りのする香水が漂った。
何とも言えないくらい、清々しい香りがした。
オレの好きな匂いだな、心が安らいでくる。
思考が穏やかになって、夢を見てるんじゃないかと錯覚してきた。
「これは夢……」
そう言いかけた時、彼女の唇がオレに触れた。ビクッとした刺激が身体に走った。
ますます夢見心地になり、後は楽園に住まいする天上人になった気分のようだった。
翌朝、窓から射す陽の光で、ベッドに横たわる彼女の裸体は見事に薄く透けていた。
最初のコメントを投稿しよう!