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第5話 ロンドン塔
塔とはいうが、実際は城塞だ。
近代的な高層ビル群のただなかに、そこだけタイムスリップしてきたかのような石造りの城がある。城壁を隔てて、コスタやケンタッキー、スケートリンクなど。ここが確かに現代であると教えてくれる。
宮殿、牢獄、また処刑場でもあった場所に、いまは観光客が押し寄せ、一方では数百年前の予言に基づいてレイヴンマスターがワタリガラスを飼い続けている。なんとも不思議な土地柄だ。
ロンドン塔が見える石畳の広場で、ロッテとゲイルの二人組と、ピサールとオイフェの二人組が対峙している。心底、うんざりした様子のロッテだ。
「あきれたしつこさね。モテないわよ」
「ご忠告、どうも」
ピサールが、相変わらずだるそうにいう。「そろそろ諦めてくれねぇかな。正直、もう面倒でさ」
「面倒なら、やめたらどうだ?」と僕。
だが、誰も聞いちゃあいない。ピサールが、飛竜の背中で寝ているオイフェに呼びかけた。
「おい、サボるなよ。起きろ、オイフェ! 影を出せ。ここで捕まえる」
「はーい。そうねぇ、ミルタの娘なんてどうかなぁ」
もぞもぞと身を起こして、オイフェが繰り返しつぶやく。……風となって走る、ダンスは風となって走る。すると、石畳の隙間から、じわじわとモヤのようなものが染み出し、いくつもの暗い影が立ち上った。シルエットは若い女性と思えるが、黒々としていて、顔立ちなどは分からない。
「さあ立て、ミルタの娘たち」
オイフェが珍しく声をあげる。「婚礼前に死したる娘たち。さあ立て、ダンスは風となって走る」
うふふ、あはは。と、ゾッとするような笑い声だ。続けて、複数の女性の声がする。
ここはどこかしら。森の中じゃないわ。ええ、森の中じゃないわ。ここはどこかしら。うふふ、あはは。あら、素敵な方ね。
暗い影が手を伸ばすが、ロッテは舞い踊るような影たちの間をぬって、くるくると身をかわし、飛んで跳ねて避けて回る。楽しそうに。
「ふふん、捕まりはしないわ。ねえ、ゲイル?」
呼びかけたロッテが危うくこけそうになる。視線の先で、初老の男が、ミルタの娘たちに捕まって、ダンスの相手をさせられていたのだ。
「ちょっと、ゲイル。なに捕まってるの。のんきにダンスしてる場合じゃないわよ」
「油断しました。申し訳ありません、お嬢様。体が勝手に動いてしまうのです」
「おお、こわいねぇ。ミルタの娘に触れたが最後、死ぬまで踊らされるんだ。おお、こわいこわい」
にやにや笑うピサールに向かって。あなたもどう? と影の一人が誘いかける。しかし、笑う影を一瞥し、
「寄るな!」
との一声で大気が揺らぎ、高熱を発した。ひっ、と細切れの声を残して、影がひとつ消え失せる。
「調子にのるなよ、影ども」
唸るように言うと、ピサールは飛竜の背からオイフェを引きずり下ろした。
「自分で立て! 寝るんじゃねぇ」
「寝てないしぃ。目をつぶってただけだしぃ」
「いいから、しっかり起きてろ!」
はいはいと応じるオイフェの様子に首を振りながら、影に囲まれたロッテに向かって言う。
「そろそろ疲れてきたんじゃないか。死したる影どもは疲れなんか知らないぜ。いつまでもつかな?」
「ふふ、こんな奴らに捕まりはしないもの」
言って、懐から短剣を取り出した。ロッテが飾り気のない鞘からカチリと刀身を引き出した時、ざわりと空気が変わったように思えた。
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