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僕はいつからここにいたのだろう?
上下左右の感覚もなく、漠と大きく広がった空間であるようにも思えるし、
ペタリと紙の上にでも張り付けられたような気もしている。
視界はクリアであるような気がするのに、目に留まるものが何もなくて焦点は定まらない。
様々な音が響いているようでありながら、どこまでも静謐であるようだ。
そもそも、五感以前に自分の身体の感覚が捕らえられなくなっている。
記憶が判然としない。
僕は誰だ? 21世紀の地球、日本で生まれ育ったおっさんだ。
名前は……仮に三十郎とでもしようか? もうすぐ四十郎だがな……って、三船ごっこをしてみる。
本名も含めて自分が誰かははっきりと認識できている。
しかし、この場所にいつ来たのかというのが曖昧になっている。
死んでしまってここにいるとか、次元の裂け目に飲み込まれたとか、昨日の夜に眠りについて意識が覚醒したらここだった……という風でもない。
ここに来る前に2018年を迎えた気もするし、2017年の記憶が最後であるような気もする。いや、まて2020年東京大会を見に行ったような気もすれば、もっと先まで生きていた気もするぞ?
加えて、ここに来てからどれくらいの時が立っているかも定かではない。
もしや、念願かなって異世界転生をしようとしているのだろうか?
この不思議な場所は、異世界転生する途中の神様があらわれる空間ではなかろうか?
できれば、転生する先は美少女がいい。
それも三次元の美少女よりは、二次元の美少女がいい。
ここでの「二次元」というのは便宜上の名称であることを伝えておきたい。言葉通りの二次元に転生して、奥行きのない世界に閉じ込められたくはない。いわゆるマンガ・アニメの世界のような感じということである。
もちろん、二次元キャラクターのデザインでは骨格やら筋肉やら、網膜の仕組みやらが成立しないから、生まれ変わった瞬間に死にゆく定めであるとかは勘弁してほしい。
「そんなに警戒しなくても、『二次元に行きたい』に込められたニュアンスに適応する世界に行ってもらうから安心して下さい」
と、そんな声を感じる。聞こえるというよりは感じるというものだった。
――誰ですか? やっぱり神様でしょうか?
僕は敬語口調で思念を飛ばす。身体の感覚がないので発声しているという感じではない。
「そうだね、神様ってことでいいかな? まあ、元は君と同じ人間だけどね」
――元人間の神様ですか。日本の神社ではそういう神様も多いですよね。あ、まさか、「のぼり旗に描かれている銀髪美少女みたいになりたいです」と明神様に何度もお参りしていたから……。
「ボクはそちらの神様ではないけどね。というか、そんなことを願っていたのですか。であるなら……偶然か、本当にそちらの神様のご厚意か」
――え? じゃあ、僕、あののぼり旗の銀髪美少女みたいになれるんですか?
「容姿は決めていなかったけど、君の希望があるならそうするよ。えーと……あー、このキャラか。かわいいよね。今は神社がこんなコラボをやってるんだね」
今、頭の中を覗かれたような気がする。そして、僕が思い浮かべていたキャラクターを見て、それで納得したみたいだ。
――えっと……あれ? そういえば、まだお名前を聞いていなかったですね。あなたは地球の出身なのですか?
「ああ、ボクの名前は藤岡董治。君と同じくらいの時代の日本で生まれ育ったんだけど、神様の手違いってやつで異世界に転移しちゃったんだ。まあ、お詫びに色々とチート能力を貰ったんだけどね」
――藤岡董治様……ですか。まるで転移系のチート無双のネット小説みたいですね?
「そうだね。ハーレムも作ったし、冒険はレベルの高い神龍や魔王、邪神なんかとやりあってさ。殴り合いから友情で強い味方も増えて、そうしてるうちに神様にスカウトされて神様の一人にもなってるね。今は神界で嫁たちと楽しく暮らしてるよ」
何そのインフレ。
「で、ネット小説みたいって言ったけど、実際、ボクの活躍はネット小説になってる。書籍化、コミカライズから順調にアニメ化もされたね。ボクが強すぎるから展開が淡々としていて、山なしオチなし意味なしとか、虚無とか、○○太郎なんて叩かれたりもしたみたいだけど」
――藤岡董治なんて名前の主人公、聞き覚えないです……。いえ、全部のアニメをチェックしてるわけじゃないですけど。
「ボクが生まれ育った日本と君が生まれ育った日本、微妙に違うからね。パラレルワールドで重なっている点が多い。でも、同時に少しずつズレている個所がある」
――そうなんですか。というか、自伝がネット小説になるってすごいですね? 自分で投稿したんですか?
「いや、ボクの小説を書いたボクじゃない。見ず知らずの作家さんだ。ボクが神様をやっている異世界でおきる出来事と、日本のネット小説との関係は複雑なんだよ。神様たちの研究者が何年も頑張ってきたけど、どちらが先であるのかははっきりとわかっていない」
――ややこしい話ですね。どっちが先かわからない。つまり、地球で書かれたお話がそちらの世界で再現される可能性と、そちらの世界で怒った出来事が作家の脳内に送信されて物語になる可能性があるんですね。
「加えて、本当にただの偶然の一致って可能性もある。そして、これから君が主人公になるラノベはさらに複雑だ」
――僕がラノベの主人公に?
「君が転生する先は、君が将来書きあげるかもしれない小説の主人公なんだ」
――異世界に行ってから自伝を書くってことですか?
「いや、今、君の意識は概ね2017年くらいの君によって構成されている。けど、君がその小説を書きはじめるのは2018年以降なんだ。これはパラドックスを防ぐためだね」
――自分が転生したって設定のお話を書くとして、自分が作者だから物語の展開、つまりは未来を知っているというパラドックスが起きる、からですよね?
「そうか。そこまでの理論には、すでに辿り着いているんだね。あらすじを知っている前提で行動を変更したとするお話を書いても、その前提で書いたお話について知っていることになるのでさらなる行動変更……その繰り返しは無限ループだ」
――だから、僕は2018年以降の未来の記憶が抜かれて、自分が考えるお話について知らない状態になってる、と。ついでに僕がいつ、どこで、どのように死ぬかも知らない。下手に30代の終わりとか設定してしまうと、40歳になると同時に物語、というより転生する未来が成立しなくなってしまうから。
「いやはや。ネット小説の主人公は作者の自己投影なんてよく言われるけど、君のように積極的に自分との同一化に理論を考えているのは、少なくともメジャータイトルでは見かけなかったね。とにかく、その辺りは君のいうとおりだね」
――「物語的に主人公に前世があることに意味があるのか?」 そんな批判をからかってやりたいって願望もありますけどね。様式美ですらない、作者がそうなりたいっていう願望から生まれた設定だってあるんだってね。
「まあ、そんなわけで、君の特殊な創作物は観測に値するものであるんだ。ボクたちの世界の出来事と、君たちの世界の創作物の関係性を調べていくのに貴重なサンプルになる」
――あれ? おかしくないですか? 僕は自覚はともかく、もう来世に行くんですよね? ってことは既に死んでいて、作品はすでに完成しているってことですよね?
「ところが2017年以降の君の存在というのは、来世も含めて非常に不安定で流動的なんだ。キミが作品をちゃんと書き上げるのか、それともいつものようにエターナるのか、それも今のボクらにはよくわかっていない。多分、この会話はプロローグになっているはずだけど、ボクが君に影響を与えて、この状況が物語にしているのか? それとも、君の作品がボクに影響を与えて、この状況を作り出しているのか? 今も偉い研究者たちがリアルタイムで観測しているところさ」
――いつものようにエターナるって言葉が痛いですね。事実ですけど。
「そういうわけで、ボクは君を異世界で美少女に転生させることにしたんだ。ライトノベルの主人公と同じ条件を整えてね」
――しかし、ラノベの主人公っていうことなら、僕はいつも第四の壁の向こうから観察されてるってことになりますね。
「そうだね。ぜひ、頑張ってください。エッチなラノベの主人公だから、かなり気持ちよくなれると思うよ」
――って、マジですか?!
そこで突然、僕の意識、あるいは魂は新たな世界へと旅立っていった。
その日、僕は神様に出会ったのだ。
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