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「あれ、尻尾は嫌だった?」 「いやというわけでは……でも、あの、はじめてさわられたので。なんか……ふしぎな感じ、です」  泡を洗い流し、オリハの長い髪をかき上げる。髪を後ろへ流して顔をあらわにすると、別人のように美しい『オオカミ』が現れてコルは満足した。そのまま自身の身体も手早く洗い、目が悪いというオリハを抱きかかえてたっぷりとした湯へと浸かる。初めてだったのか湯船から逃げようとしたオリハを抱きしめると、オリハはぎゅっと目を瞑ってみせた。 「そういえば、オリハはあの中庭で何をしていたのかな。外に出たのを怒られていたようだったけど」 「……あの、花と人形を……。このあいだ、亡くなったときいたので」  オリハの返事はたどたどしいが、コルにはすぐにオメガたちの間で流行った病で亡くなった者たちのことだと気づいた。 「きみの仲間のお墓にお供え物ってことかな。随分と亡くなったとはオレも聞いている。……悲しかったね」 「ぼくは、みんながすこしうらやましかったです。ぼくも、みんなと……同じが、良かった。ぼくはみんなみたいに発情期もこないやくたたずだし、もうじきぼくも死ぬのに……おいていかれた気が、して」  はっきりとした景色を映さないオリハの美しい色合いの瞳が感情もなくコルを見上げてきた。その瞳があまりにも哀しく思えて、思わず己の手のひらでオリハの瞳を覆ってしまう。そしてどうしたのかと問おうとするその小さな唇に口づけると、オリハが驚いたのが分かった。軽く口づけるだけのつもりが、近づいたことで石鹸とオリハの持つ香りが鼻腔をくすぐってくる。コルは堪えられずに慣れていないオリハの口腔を貪ってしまった。ゆっくりと手のひらと唇を離すと、驚きで目をまん丸にしたオリハが顔を赤くしている。それに自然な笑みを浮かべてコルは笑いかけ、オリハの真っ黒な毛並みの耳を軽くつまんだ。 「オレは道連れにしなかった君の仲間たちに感謝かな。そうじゃなければ生きているオリハに出会えなかったから。亡くなった君の仲間たちの分も、オリハはこれから幸せになるんだ」 「しあわせ、ですか?」  不思議そうな表情をしたオリハは、ふと何かに気づいた様子を見せた。恐る恐るといった手つきでコルの顔に指を伸ばしてきた。コルがニコニコとしているのを見てほっとしたのか、そのまま腕を伸ばしてコルの頭にも触れると、さらに不思議そうな顔になった。 「……コルさまは、お耳がないのですか?」 「ああ、オレは人間だからね。耳も尾もないけど……耳なしは嫌い?」   オリハは慌てて首を横に振ってみせる。 「におい、で、コルさまも『オオカミ』だと、思っていました。でも、コルさまが『オオカミ』でも人でも、関係ないです。ぼくは、コルさまがすきです」  それから。  照れ笑いをしたオリハに見上げられて、コルは目を瞬かせたまま固まった。 「あ、ごめいわく、でしたか?」 「いや、……オリハがあまりにも可愛くて……想定外だった」  反応が遅れたコルに、またオリハがあわあわとなる。コルは己の表情を隠すように手のひらで顔の下半分あたりを覆す。返事をした時、オリハの黒い毛並みの耳がぴくりと大きく動いた。  「オリハ?」  それからぐったりとコルにもたれかかってくる。慌てて湯船から上げて体を拭くが、目を覚ます様子がない。 「――ラケ、来てくれ!」 「どうされましたか? ……ああ、オリハが湯あたりしたんですね」  入り口にいたラケを大声で呼んで来たアスラル王にさすがのラケも驚いて駆け付けたが、ぐったりとした『オオカミ』の体全体が真っ赤で思わず苦笑する。 「神殿のオメガたちは冬場でも湯を使わせてはもらえなかったようですし、初めてだったのかもしれません。身体を冷やして、寝かせてやりましょう」  常に泰然としているアスラル王が慌てる様子を見れたのは面白かった。しかし、気を失っているオリハを抱き上げようとして、背筋が凍るような冷たい視線に気づきラケは目を瞠った。 「オレが連れていく」  簡単に着衣を済ませたアスラル王は、小柄な『オオカミ』を大きな布で包み込むと優しい手つきで抱き上げる。    「先日まで弟御を冷かしていた方とは思えませんね」 「……ひとりで死ぬ日を待ちながら怯えていたらしい。そんな子から、慕われるとは……オレ自身も驚いている」  ラケの知るアスラル王は快活に笑うばかりで、自身の本当の感情を見せたこともなかったと思うのだが。笑顔を見せることもなくそう言いながら小さな『オオカミ』を見つめているのを見て、男の心情を垣間見たような気がした。 (まさか――な)  アスラル王の弟、ファルクは『オオカミ』の血が強く出ていて、オメガであるノクスを伴侶として迎え入れている。だが、兄であるアスラル王は人の血を濃く受け継いだようでファルクのように『オオカミ』の匂いをアスラル王から感じたことはない。彼らの祖父母のように、純然とした人と『オオカミ』が結婚できないわけでもない。けれど、アルファとオメガ――本来なら引き合うはずのつながりすらもないのに、思いやるその感情に他人である己が名付けるのは難しい気がする。  自身に割り当てられた寝室へとオリハを連れていくアスラル王の背を見送りながら、ラケは数回己の耳を動かしたのだった。
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