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「――花?」  オリハとコルは別々の寝室になる予定だった。しかし、オリハのことが心配なのもあって結局コルが使っている部屋にオリハも寝泊まりすることになった。オリハはとても早起きで、コルが目を覚ますころにはとっくに目を覚ましてラケの母親たちを手伝っていることが多い。話を聞けば、神殿にいた頃も自分たちのことは何でもやらされていたらしい。 「オリハ様が陛下のために、朝一番で摘んできたそうですよ。陛下の目を覚まさないようにと、それはそれは慎重に……」  コルがアスラルから連れてきた侍従の一人が微笑ましい早朝の光景を笑顔で報告してきた。寝台のすぐそばにあるテーブルに置かれたのは、小さな花瓶に生けられた色とりどりの花々だ。コルが身支度を済ませたところで、オリハが顔を出した。 「コルさま。おはようございます」  オリハの黒い耳が緊張のせいかぴくぴくと動いている。あの黒い耳には何色の耳飾りが似合うかな、とぼんやりコルが考えていたところでオリハがふいに顔を近づけてきた。 「おはよう、オリハ。朝からいいものを見せてくれてありがとう。何ていう花なのかな」 「ええと、名まえは……おしえてもらってきますね」  『オオカミ』たちは挨拶をするのにお互いの顔を近づける。コルの問いかけに、ぱっと顔を離そうとしたのを掴まえると、オリハがまん丸に目を見開いた。 「花の名前は後からゆっくりでいいよ。朝の挨拶はしてくれないの、オリハ?」 「あ、そうでした」  オリハがコルの首筋に顔を近づけてくる。オリハの鼻先が首筋に触れるか触れないかというところで、オリハの細い身体を抱きしめると再びオリハが驚くのが分かる。初めて中庭で出会った数日前が嘘のように、顔色が良くなってきたのを確かめながら小さな唇をついばむ。慣れていないのだろう、抱きしめようとするたびに体を緊張させるのはかわいそうだったが、朝の挨拶と称して口づけをしてきたのがやっと効いたらしい。オリハがたどたどしい動きで、コルの口づけにほんの少し応えてくれた。 「コル殿。朝食の用意ができましたが」  廊下に面する窓から、布をよけてラケが顔を出した。小さな『オオカミ』を抱きしめている人間の王に眉根を寄せると、ラケの登場に慌てたオリハがコルから離れた。オリハはラケの弟が呼びに来て、コルたちに一礼するとラケの弟に手を引かれながら部屋を出ていく。それを見送ったところで部屋に入ってきたラケが口を開いた。 「……貴方も『オオカミ』がお好きなようですね」 「いやだなー、オレは『オオカミ』だけじゃなくて生きとし生けるものは大事にしているつもりだけど。ところで、貴重な朝の時間を邪魔しないでもらえるかな?」   笑顔だが目は笑っていないアスラル王に、ラケも真剣な表情を見せる。 「貴方にとっては、何もないこの地での暇つぶしか何かのおつもりなのでしょうが、あの子は他人から親しくされることを知らずに育っている。貴方があんなに接触していたら簡単に好意を抱くでしょう。『オオカミ』は一度これ、と相手を決めてしまうとその者だけを思うところがあります。オリハのためにも、戯れは程々にお願いします」 「暇つぶし――ねえ。オレが暇つぶしにかわいそうなオメガの『オオカミ』で遊んでいるって?」  自嘲するような笑みをコルが浮かべると、ラケが再び眉根を寄せた。コルが何を考えているのか分からない、といった表情だ。 「あの子は、ノクスの代わりにはなれません。『オオカミ』のことすらほとんど知らず、発情期も迎えられるかすら分からない。オメガは短命と言われている上に、大病を患いながら過酷な環境に置かれていたあの子はあまり長くないでしょう。アスラルの王であり人である貴方が、つがいとして発情期のないオリハをただ一人を選ぶなんて出来やしない。……つがいになることも絶望的なのに、恋を覚えさせるのは……とても残酷なことです。我々『オオカミ』にとっては」 「……ノクスの代わり、ね。確かに、君たちの言う『つがい』になるのは、難しいかもね」  笑ったような顔で淡々と答えてきたコルに、ラケは「分かって頂ければよいです」と告げて踵を返した。ラケの耳に、部屋から慌てて離れていく小さな足音――自分の弟妹とは違う――が聞こえた。
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