僕が食べるということは

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 僕が人間だったのは一体いつの話なのだろう、と考えるときがある。家族がいて、友人がいたあの頃は一体いつで、どれくらい前の話だったのだろうと、ありもしない思い出を思い出すみたいに本当に意味のない行為だけれど、この姿になってからの夜の過ごし方はそれしかなかった。  夜――それは誰もが寝静まった闇の時間である。月や星が町に光を放つが、それを見上げる者も享受する者も深い眠りについている。しかしこの町には、たった一匹だけその淡い光を浴びる()がいた。  僕である。  僕は化け物だ。二本ずつの腕と脚の他に虫の足のような何かが背中から数本伸びている。顔面の皮膚は人間に似ているが、左目は血で染まったように赤い。色を失った上下の唇の隙間からは黄ばんだ牙が見え隠れしている。肩から伸びる少々筋肉のついた腕の先には、獣のような爪が生えている。絵に描いたような化け物だ。  この醜い姿は食糧を確保するために整えられた体である。化け物も生き物なのだから、食っていかねば生きられない。しかし人間のような襲わず殺さず、金を払えば生きられるような生き方はできない。化け物は獣に近い。何かを襲い、殺した挙句に食いちぎる。そんな残酷なことをしなければ生きられぬ生き物だ。牙も爪も全ては己を生かすためにある。()()の命を奪うための凶器なのである。  しかし僕はこれを活かすことを避けている。徹底的に使わないよう、気を遣っている――なぜなら、僕の食糧は人間だからだ。  人間だった僕は姿が変わっただけで元同属を食わねばならならない、人生ならぬ化け物生を進まなければいけなくなったのだ。極めて残酷な運命だと、僕は自分で哀れんだ。  だから僕は生き物として本能に逆らう生き方をすすんで選んだ――何も食わないという生き方を。  しかし、逆らったところで何も変わりはしない。ただ死が近づくだけだ。それでもいいと思った。人間を(あや)めて食うくらいなら、化け物のまま弱って死んだ方がましだと、化け物らしくない考えに決着した。  すぐに死ぬと思った。人間であれば四、五日もすればぽっくりと死ねるから、化け物であることを考えても一週間もすれば静かに死んでいくだろうと予想していた。しかしそれは大幅に外れ、もう半月も月の昇り降りを眺めている。  まだ生きるのか。  いつ死ぬんだ。  僕は日々ひどくなる空腹に耐えながら、太陽が顔を出す前に眠りについた。  そして月が東の空に昇った頃、目を覚ました。寝ぼけた目でも辺りに誰もいないことが分かる。目をこすりながら辺りを見渡すが、やはり誰もいない。  僕が棲んでいるのは町の外れにある廃墟と化したビルディングだ。壁はところどころ崩れ、かろうじて床と天井があり、雨風がなんとか凌げるような場所である。化け物の僕にはお似合いだ。人間は来ないし、人間に見つかるはずもない。僕が人間を避けるにはうってつけだ。。  起きてからこうするのは、もう習慣になっている。最初はここが人間に見つかっていないか、荒らされていないかを確認する行為だったのだが、今は食糧となる人間が()()()()()()()()確認してしている。しかし、ここに人間がいたことは一度もない。こんなビルに近づく者なんていないだろうからここを選んだのだが、大きくも小さくもないこの町の一人や二人は間違って足を踏み入れるかもしれない。そしたら間違って食い殺してしまうかもしれない。僕は毎夜目が覚めるたびにそう思って、ドキドキしてたまらない。  気配すらないことと確認すると、ようやく立ち上がる。昨夜より一層、空腹がひどい気がした。  起きてやることと言えば、夜が明けるまでビルの中をふらふらと歩き回るくらいだ。夜の町に出たりはしない。間違って人間に出会って食ってしまうかもしれないから。  今夜もやることは同じだ。夜が明けるのを一人で待つだけ。僕は適当に歩き出す。目的地はない。ただ朝が来るのを待つ。 「おーい」  そんな声がして、僕は足を止めた。このビルは大きな空間であるから、声がよく響いてきた。  僕は近くの物陰に身を潜めた。 「ねえねえ、いるんでしょ?」  また声が聞こえた。女の声だということにようやく気付いた。多分、そんなに年の行っていない女だ。全く怖がっている風には聞こえず、まるでかくれんぼで友達を探すようだった。  足音がして、だんだんと近づいてくるのが分かる。ここには僕以外いないから、きっと僕を探している。 「どこにいるの?」  その声に反応しない。見つかるかもしれないと緊張しながら、近づく足音に耳を研ぎ澄ます。  しばらくすると足音はぴたりと止まった。 「……なあんてね。分かってるんだよ、そこにいるのは」  とても嬉しそうな声だった。それこそ、かくれんぼで友達を見つけたみたいに。  僕はそっと顔を出した。声の主は分かっているから。  そこに立っていたのは、確かに若い女だった。そして知っている顔だった。 「……陽向(ひなた)」  僕は女の名前を呟いた。  月明かりが壁の欠陥から入ってきて、顔がよく見えた。一つに結った髪は闇に溶けるような黒色で、肌はとても艶やかである。 「まだ何も食べてないんでしょ。いろいろ持ってきたから、一緒に食べよ」  (かか)げているのはコンビニのビニール袋だった。この中に入っているのはきっと食料だろうが……僕は食べられない。  陽向は僕のことを知っている。人間の僕ではなく、化け物の僕を知っている。だから食糧のことを知っている。知った上でこうして僕に会いに来ている。食料も持って、毎晩僕のもとへ。  陽向は僕の手を引いて、広いところへ連れてきた。そこにはどこかで拾った段ボールがテーブル代わりに置いてある。僕らがこうして会うとき、即席のダイニングで向かい合って座るのだ。 「だから、毎回言わすなよ。僕は普通の食べ物が食べられないんだってば」 「だから、毎回言ってるでしょ。私を食べればいいんだって」  彼女はそんなことを言う。何かを覚悟した風でもなく、ただの会話の一つとして。  僕らは向かい合って座った。陽向はコンビニの袋から段ボールの上に持ってきたものを広げた。パンにおにぎりに惣菜。りんごやバナナが丸々入っていて、お菓子もいくつか入っていた。 「新発売のパンあったからゆーくんのも買って来たのになあ」  と、彼女は同じパンを二つ出した。ゆーくんというのは僕のことだ。彼女が付けた僕のあだ名だ。 「食べちゃってよ」 「本当にいいの?」 「食べられないんだから、仕方ないよ」 「分かった。いただきます」  陽向は二つのうちの一方を手に取って袋を開け、かぶりついた。特に味の感想を言うでもなく、ただ食べた。口の中が空になったらまた齧って、ごくんと飲み込む。人間の食事だった。  彼女はパンを一つ食べ終えると、「ごちそうさま」と呟いた。 「それだけでいいの?」 「実は夜ご飯食べて来ちゃったんだ」 「そっか」 「いろいろ持ってきたんだよ。果物とかお菓子とか……ご飯にしては不健康なメニューだけど」 「ありがとう」 「ゆーくんの好きなりんごも持ってきたよ。ナイフあるし、剥こうか?」 「君が食べたいなら」 「ゆーくんも食べるんだよ」 「僕は食べられないんだって」 「……分かってるって。いじわるなことやっちゃったね、ごめん」  陽向はナイフで器用にりんごの皮むきを始めた。  化け物の僕は、女の子にこんなことを言わせてしまうのだ。最悪だ。きっと僕が人間だったら、一人でご飯を食べさせることも、こんなことを言わせることもない。  僕が化け物であるばっかりに。  人間しか食べられないばっかりに。 「そうだ」  陽向はぽつりと呟いた。 「どうした?」 「伝えなきゃいけないことを思い出したの」 「伝えなきゃいけないこと?」 「この前の事故の話」 「……ああ」  僕は掠れてしまった声で反応した。  この町では半月前、大きな事故があった。車と車の衝突事故である。一台は普通車で、もう一台はトラック。もちろん双方がそれぞれ傷ついたのだが、やはり普通車の方が大きな被害を受けた。車は大破し、乗っていた男女三名が大きな怪我をした。  被害に遭った男女三名は、僕の両親と僕のことだ。僕が化け物になる前の最後の記憶はこの事故だった。あれから、気付けば化け物になってこの廃墟にいるから、あの瞬間のこと以外のことを実はほとんど知らない。両親の容態も、トラックの運転手の名前も、何にも知らない。ここにはテレビもラジオも新聞もないから、知りようがなかった。 「……ご両親、病院からいなくなっちゃった」  陽向は言った。その顔は預かっていた何か大切なものを失くしてしまったかのような申し訳ない顔だったけれど、僕は軽蔑したり驚いたりはしない。 「……ごめんね」 「どうして謝るのさ。君は何も悪くない」 「ううん、私は悪いんだよ。ゆーくんの代わりにちゃんと見ておかなきゃいけなかった」  と、彼女は顔を伏せる。  いなくなったというなら、社会から見れば僕だって同じだ。病院なんかで治せない病みたいなものにかかって、社会からいなくなっている。  それに、彼女が責任を感じる必要はない。彼女は事故にも両親の失踪にも、何のかかわりがないことを僕が()()()()知っているから。 「探してくれたの?」 「探したよ。お医者さんとか看護師さんとかと一緒に、一日中探したよ。でも、全然見つからなくて……」 「そっか……」 「本当にごめん。絶対見つけるから」 「陽向のせいじゃないから、落ち着いて」  僕は慰める。しかし、慰めになっているかは正直微妙だ。()()言葉は慰めではないのだから。  陽向は「ありがとう」と言った。お礼をされるようなことは全くしてないのだけれど、彼女の言葉にとりあえず頷いて応えるしかできなかった。 「ねえ、ゆーくん」  彼女は手元のりんごに視線を戻して呼びかけた。 「何?」 「もしご両親が見つかったら……家には帰る?」  その言葉に、僕は頷かない。 「……帰れないよね」 「お見舞いは?」 「それはもっと無理だよ」  陽向は僕の体を舐めるように見てから、「……だよね」と呟いた。 「ちょっとご両親の顔を見るだけなら、いいんじゃない?」  僕は横に首を振った。 「そっか」 「僕はこんな姿なんだ、親になんて会えない」 「私は怖くないよ」 「怖いとか怖くないとかの話じゃないんだ」  そう、そこが問題じゃない。そこはむしろどうでもいい。  僕は目の前の()()から目を背ける。  僕の腹がぐうっと鳴る。陽向の食事を見たからだろうか、ただ腹が減っているだけだからだろうか、それとも――  僕は三つ目の理由を考えるのをやめた。僕は残酷なことはしたくない。  陽向の手元に注目すると、りんごの皮はすっかり剥かれていた。白く丸々としたその実は、本当は美味しく見えるはずだった。  りんごはそれからざくざくと十二等分された。偶数である必要はないのだけれど、綺麗に等分された。 「いただきます」  陽向はそれを食べ始める。デザートタイムにしては地味で寂しい時間だったけれど、彼女はさくさくと音を立てながらりんごを食した。  人間だった頃、確かに僕はりんごが好きだった。時期じゃなくても買って食べるくらい、大好きだった。だからあの白い実が美味しいことはよく知っている。  なのに、目の前のそれを僕は美味しそうだと微塵も思えない。腹が鳴るのに思えない。それよりもそれを食す人物の方に目が行く。咀嚼する口、動く喉、伸びる手――絶対に美味しくないものを美味しそうだと思っている。  僕は唾液を飲み込んだ。そして歯を食いしばった。  あれは美味くない。  あれは美味くない。  まるで暗示をかけるように頭の中で唱えた。しかしそんなのは全く無意味で、気休めにもならない。理性がもう、本能に勝てなくなっている。 「ごちそうさまでした」  陽向は丁寧に挨拶した。 「美味しかった?」 「うん」 「よかったね」  僕は言う。  何がよかったのか。こいつはただ、自分で持ってきたりんごを自分で剥いて食べただけだ。僕が食べられないから一人で食べただけだ。別に彼女によかったことなんて一つもない。  そんなことを言うと、僕にはあるのかと尋ねたくなるだろうが――ない、と断言はできない。  彼女はパンとりんごを食し、腹が満たされた。養分として蓄えられた。蓄えた分、彼女は少なからず体重を増やした――太った。  餌は太らせてから食え。  僕は目の前の食後の人間を眺めた。よだれが垂れた。もう本能が独走している。理性が追いついてない。  ダメだ、ダメだ。こいつは食糧なんかじゃない。全然美味そうなんかじゃない。美味しそうなんかじゃ、決してない。僕が美味しそうだと思っているのは、さっき食べられたりんごの方だ。または二つ買ってきたというパンの方だ。彼女が美味そうなんじゃない。美味そうなんかじゃ―― 「……だから、食べていいのに」  静かになったこの空間に、一言、呟きが聞こえた。 「は?」 「私のこと食べちゃえば、お腹いっぱいにならなくても、その場凌ぎにはなるんでしょ」  彼女は言った。 「ふ……ふざけんなよ」  空腹の僕は、化け物としての本能にすでに敗北している僕は、これを本音だと胸を張ることはできない。  しかし彼女は言う。 「ふざけてないよ。私はそのためにも来ているんだから」 「いや……」  いや。  否定の言葉が出るが、本当に否定したいのか。否定すべきは僕の発言ではないか。理性の飛んだ僕に、もはや人間を食うなんてできないと否定することができない。  しかし、僕は本能に逆らおうとした。 「いやいやいや、それはできない。君を食べるなんて」 「それしかないよ」 「それしかないなら、僕は死んだ方がましだ」 「ゆーくんが死ぬくらいなら、食べられた方がまし」  僕らの意見は噛み合わない。化け物と人間なのだから――捕食者と食糧なのだから、噛み合う必要がない。  そもそも交わらないはずなのだ。太陽の下で生きる人間と、月の下で目を覚ます化け物がこうして接点を持つこと自体、本来はあり得ない。  いや、それだけじゃない。ただの人間と化け物の関係だったら、関係なんて生まれない。僕がこうして彼女と会話ができるのは、百パーセント彼女が要因なのである。  彼女が僕に寄ってきた。人間が化け物に寄り添ってきた。例えば起きている時間を。例えば場所を――それでも食を寄せることはしなかった。  だからずっと言っている。人間と化け物が交わることはないのだと。 「……帰れ」 「嫌だ」 「僕が食っちまうぞ」 「それでいいって言ってるでしょ」  陽向は立ち上がる。りんごを剥いたナイフを握っていた。何をするのかと見ていると、彼女はその刃を結った髪に当てた。  ぱさっ。  そんな軽い音が小さくして、まとまっていた髪は一気に解かれた。  ナイフを持つ手とは逆の手で、黒髪の束を持っていた。 「これなら、食べてくれる?」  陽向は言った。  ――そういうことなのか。  僕は短くなった彼女の髪と切り落とされた束を見比べた。  ――それを食えということか。  不本意ながら口内が唾液で満たされるのが分かった。  これは確かに人間の一部だ。肉も骨も血液もないけれど、これを食べれば飢えが軽減される。空腹に苦しみながら死を待つことなんてしなくていいんだ。それに命を奪うわけじゃない。髪ならまた生えてくる。そうか、最初からこうすればよかったんだ。これなら僕は人間を殺めずに――  僕は全力で首を横に振る。  いらない――いらないいらない。  僕は食べない。ここで気を抜いてはダメだ。()()()()()()()()()()()()。求めて人間を襲い始める。  ()()人間を食うなんてしたくない。  陽向は髪の束を段ボールの上に置いた。 「ゆーくんはこれを食べるしかない。それは野性ってやつだよ」 「……黙れよ」 「ゆーくんはそれに従うしかないんだから」 「黙れって!」 「――何かを食べる生き物の限りね」  陽向は欠陥だらけのこの廃ビルに吹き込む風で短い髪を揺らしながら、立ち上がった。座る僕を見(おろ)す目は、もはや友人を見る目ではなかった。  そんな目をしないでくれ。  僕は今でも――化け物になっても、君を友人だと思いたい。  そう願うことは、人間を食う生き物として間違っているのだろうか――否、間違っている。僕にそんな権利は、もうないのだ。  ――最初の食糧に両親を()()()、僕には。  あれが衝動的なものだったら、言い訳もできたかもしれない。あの瞬間、衝動敵的な部分をあっただろうが、確かに己の理性を働かせた上で彼らの肉体に噛みついた。  彼女はそのことを知っているのだろうか。もし知っていたとしても、彼女は僕にその身を捧げると言うのだろうか。  本当のところなんて、きっと永遠に分からない。分からなくていいだろう。化け物が人間の――食糧の気持ちを理解する必要なんて、どこにもないのだから。  陽向は僕に背を向けて去って行く。僕はそれに手を振りもせず、目の前に置かれた黒髪への欲求を必死に抑え込んでいた――  これが夢だと気付くのに、そう時間はかからなかった。目覚めたとき、あの小汚い廃ビルの暗い天井ではなく、清潔感の塊である白い天井があった。それだけでなく、ベッドの暖かい感触や足に装着したギブスの重さがこれが現実であることを語っていた。  僕は清潔感の溢れる囲いの中で目を覚ました。四方をパーテーションで囲まれていた。ベッドの横には心電計と点滴がある。それだけでここが病院であると認識するには十分だった。 「起きたんだね、ゆーくん」  そんな驚くような声がして、そっちを向いた。案の定、それは陽向だった。 「陽向」 「よかったあ」  彼女は花を抱えていた。見舞いの花らしい。ベッドの脇のテーブルに花瓶があって、そこに花を挿した。 「僕、どれくらい眠ってた?」 「半日とちょっとくらい。手術は成功したって」 「そっか」 「……どこまで覚えてる?」  その質問に僕は、さっと答えられなかった。  どこまで――というのは、きっと事故のことを言っているのだろうと分かっていたし、何も覚えていないわけではない。むしろ嫌になるほど全てをはっきりと覚えている。覚えていなかったら、もっとすっきりとした目覚めだったろう、と思うほど。 「……父さんと母さんは?」  分かり切った質問を僕はした。僕の目覚めを喜んでいる風ではない顔が、緩やかに強張っていく――やがて、彼女は首を横に振った。 「……そっか」 「ゆーくんは悪くないよ。あれは事故なんだから」  慰めのつもりだろうが、それをありがたく受け取れるほど、僕の記憶は曖昧じゃない。本当にしっかりと記憶している。事故のことも――爆発も。  あの事故はただの事故で終わらなかった。衝突した衝撃でガソリンが漏れ、爆発を起こした。車は横転していたから逃げるのは難しかった。でも後部座席にいた僕はなんとか逃げられた。だから懸命に逃げた――なりふり構わず。両親の最期の言葉さえ聞かず。僕だけ助かろうと、逃げた。  僕は両親を捨てて逃げたのだ。自分だけ助かろうとした。結果、僕だけ生き延びた。  親を殺したいとか、死んでほしいとか、思っていたわけじゃない。普通に仲のいい一般的な三人家族だった。特に山も谷もなく生きてきた。それでもそれなりに家族三人支え合いながらやってきた。普通の親らしく僕を育ててくれた。だから両親には人並みに感謝しているし、それなりに愛着はある。  でも、僕はこういうときに一人だけ助かろうとする。迷わず家族を助けようともしないで。  夢の中で化け物として両親を食ったように。  現実で僕は両親を見殺した。 「……どうしたの、ゆーくん」  そう言ってくれる彼女も、いざとなったら僕の生きる踏み台になるのかもしれない。  いや、彼女ならすすんで踏み台になるかもしれない。夢の中で僕に髪をくれたように。現実でも僕を生かせようとするかもしれない。  僕にはもったいない、友達だ。  陽向は強張る顔をなんとか緩めて、僕に微笑んだ。 「大丈夫。すぐにご両親と会わせてあげるから」  そう言うと、彼女は大きく口を開けた。そこから見える鋭い牙は、僕が夢で見た化け物の牙と全く同じだった――
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