プロローグ

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プロローグ

    プロローグ 「ああ、すみません。僕、盗賊さんにお渡しできるようなものは、何も持ってないんですよ。わざわざご足労いただいたのに申し訳ないです」  息巻く盗賊達を揶揄する訳でもなく、心底真面目に奴らを挑発するような事をほざいたのは、傭兵と名乗るにはあまりに温厚な、少々間抜けな善人面をした若い男。  年齢は二十二、名はカルザス・トーレムという。褐色の肌と黒い髪、黒い瞳は、この砂漠の国に住む者の特徴だ。  外周は黒く険しい岩山に囲まれ、内陸は白く細かな砂に覆われた国ウラウロー。ここに住む者も他国の者も、岩山を碗、広大な砂漠をスープに見立て、腹の膨らまぬスープだと一笑に付す。  ウラウローでは水源が乏しいため、植物は満足に育たない。砂でなく、土があっても痩せていて、農作物が全く育たない訳ではないが、あまり向いているとは言い難い。それゆえにこの国に住む者たちは、ごく僅かな水源地と痩せこけた土地に必死にしがみつくように暮らしている。  そんな僅かな水源地や痩せた土地だけで、ウラウロー全ての民が生きてゆける訳がない。ゆえに商人たちは傭兵達を雇い、険しい岩山を越えて他国との交易に精を出す事となる。  岩山さえ越えれば緑豊かな地が広がっているのだが、その道のりは険しく、今、カルザスを襲っているような盗賊などという愚かな輩もいる。身を護る(すべ)を持たぬ者たちが、そのような場所を無事無傷で越える事など不可能だと言えよう。  カルザスの実家も、そういった商人の家系である。  おとなしく家業を継いでおれば、金に困る事も、盗賊どもと直接剣を交える危険を冒す事もなかったというのに、こやつは父親に反発し、家出同然に実家を飛び出して今に至る。  間抜けな善人面と称したが、柔和でおとなしい顔つきの割には、少々強情で頑固な一面があるのだ、この男は。  単身家を出てくるくらいであるから、カルザスは自分の腕に多少なりとも自信を持っておる。事実、砂漠を渡る最中に出会ってしまったこの盗賊どもを、余裕の笑みさえ浮かべながら軽くあしらっておる。  いや。余裕の笑みというより、こいつの場合は気合の足りぬこの顔が地顔なのだがな。  そして俺はカルザスと共に、カルザスの実家を出てきた者だ。いや、たとえ出て行きたくなくとも、同行せねばならなかったと言うべきか。  それは俺が、カルザスと体を共有しておるからなのだ。  理由など分からん。  俺はここに“いる”のだと気付いた時、すでに俺はカルザスの中に精神だけの存在としてあったのだ。  俺はカルザスという男から生まれたもう一人のカルザス、そう、多重人格症のようなものであるかとも考えたが、そういった奇妙怪奇な病にかかるような家庭環境ではなかった。父親との確執さえなければ、それなりに円満な家庭だったのだ。  カルザスという男は間違いなくカルザスだ。だが、俺という存在は、明らかにカルザスとは別の人格を持っておるのだ。  しかも俺には過去の一切の記憶がなく、どこに住んでいたか、どんな経歴を持っておったのか、そして自身の容姿はもちろん、名前すら思い出せん。  自由に動かせる体もなく、記憶もない。カルザスの中に存在する、意識だけの“希薄な存在”──それが俺だ。  便宜上“カルザスに憑依している”という表現をするが、俺は幽霊ではない。死んだ覚えはなく、俺はカルザスとは別の人間で、体は無くとも“生きている”のだと確信している。それにカルザス自身も己の体にある俺の存在に、具体的に述べられぬ違和感があると言う。  いや……違和感と称するにはいささか不適合な表現だな。窮屈と表現すべきが一番近いか。  一つの体に二人の精神が詰め込まれているという意識的、感覚的な窮屈さだ。  とは言うものの、カルザスが俺の存在を無視し、否定すれば俺は存在できなかったのだろう。だがカルザスは俺を受け入れた。  何事にも甘い坊やだが、自分の事以上に他者を尊重するという姿勢は素晴らしいと思う。意思の弱い者には真似できぬ真の強さがあるのだろう。  カルザスが父親の方針に反発したという点も家出理由の一つだが、最大の要因は俺の存在である事は間違いない。  俺は何者で、どうしてカルザスに憑依しているのか。俺自身もそれを知りたいと願っておるし、カルザスにもそれを知る権利がある。  過程はどうあれ、辿りつく先、求めるものが同じゆえに、傭兵として金を稼ぎつつ、真実を求めて俺とカルザスはウラウローの各地を放浪しておるのだ。 「これからは悪い事をしちゃダメですよ」  自分の倍以上の年齢差があるであろう男に、カルザスはにこりと微笑みかけながら、そうたしなめる。  ある者は足の腱を切られ、ある者は気絶させられ、と、いつの間にやら盗賊どもを皆、ねじ伏せてしまいおったか。こやつの剣の腕前はこういったところだ。決して口だけの弱者ではない。が、少なくとも剣豪ではない。  盗賊退治にしろ、傭兵の仕事にしろ、手伝おうにも俺には実体がないのだし、声をかければカルザスの集中力を乱す事にしかならん。俺はカルザスの目を通して、様子を眺めているだけしかできんのだ。  歯痒いといえば歯痒いが、楽ができるのでこれでもよい、などとはカルザスには言えんだろうな。ふふ。  ──相変わらず詰めの甘い男だ。盗賊などという愚かな奴らに、恩情など必要あるまい。  俺とカルザスは体こそ共有しているものの、別人格であるために、互いの意思の疎通には言葉を必要とする。  カルザスは声を口に出して意思を示せばよいが、俺の場合は肝心の口がない。そのため、わざわざ声を出すイメージを思い描きながら強く念じなければ、こやつに意思が伝わらないのだ。 「そういう訳にもいきませんよ。盗賊さんだって、同じ人間ですから。命の重さは人間平等であるべきです」  剣に付着した血と脂を拭きながら、砂漠の要所にある水源地近辺に点在する町の方角を確かめるカルザス。  一見善良そのものの意見だが、炎天下の砂漠の只中(ただなか)に、負傷した盗賊を置き去りにするあたり、純粋に間が抜けているのか、根は腹黒いのか、どうも理解に苦しむ。  おそらくは、前者だが。 「ええと、僕たちは向こうから来たのですから、真っ直ぐ進むと……多分あちらがベイ方面ですね」  ベイといえばこの辺りではかなり大きな町になる。地下から水が湧き出ているのだ。  負傷に苦しむ盗賊たちに背を向け、カルザスは日よけのフードを目深に被る。 「夕暮れまでに着くといいのですけれど」  ──ベイで仕事をこなして、しばらくゆっくりしてはどうだ? たまには休息も必要であろう? 「それはいい案ですね。いい仕事が見つかったらそうします。人間、休息は大事ですからね」  カルザスはさほど疲れた様子もなく、照りつける日差しを斜めに見上げた。
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