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銀の天使 3
3
獅子の形をした岩を目印に、その周囲の看板を辿れば到着する町ベイ。広大な砂漠の中心に位置するためか、ウラウローの物的流通は大抵この町を経由する。必然的に商人が集まり、そして仕事のために移住してくる者も多い。ゆえに商人の町として名が通っておる。
詩人という職業柄なのか、語り上手なシーアの話はよく聞けば、なかなか興味深く面白かった。皮肉っぽく世事に疎いなどと言っておったが、その知識量は、商人としての学問や様々な雑学を幼少の頃から叩き込まれていたカルザスを凌駕している。
ベイの町に着いたからには、もう共に行動する必要はないのだが、夕刻だという事もあり、シーアが目星を付けた店で共に夕食をとる事になった。食事が終われば早々に宿を見つけ、明日からまた仕事を探さねばならない。
運ばれてきた大皿から、自分の皿に必要分を取り分けながら、カルザスは改めてシーアを見つめる。
「……シーアさんはあまり日に焼けないんですね」
「そう? 自分では随分日焼けしたと思うんだけど」
カルザスと同じような褐色の肌に黒髪という者もおれば、濃茶の髪に赤銅色の肌という者もおる。ウラウローでは髪や肌の色素が濃い色の人種がほとんどなのだ。
ゆえにシーアと同じような容姿の者は、ウラウローではかなり珍しい。そのためかシーアは黙っておっても他者の目に留まる。そこへ奴の美貌を加えれば、嫌でも男どもの視線を惹きつけてしまうのだ。ある意味、詩人として最適な看板を持っていると言えよう。
「いつかはお金を貯めて、北の国に行きたいとは思ってるんだけどね。なかなかタイミングと決心がつかなくて」
向かい側であるカルザスの前にある皿に手を伸ばそうと、シーアが椅子から腰を浮かせた時だ。穏やかだったシーアの表情が突然険しくなり、テーブルの隅に置かれたままになっていた、給仕の女が忘れていった角盆を掴んだ。そして振り返り様、背後にいた男の顎に叩きつけたのだ。
思い切り遠心力をつけて。しかも狙い澄ましたかのように“角”で。
ギャッという無様な男の悲鳴が店内に轟き、同時にシーアの掴んでいる角盆に、乾いた音を発てて深い亀裂が走った。
ど、どんなとんでもない力で殴ったのだ、この女は! いやそれよりも、なぜいきなり他者を器物で殴りつける必要がある?
「やわなお盆ねぇ」
シーアが小首を傾げてひび割れた角盆を見つめている。
「シ、シーアさん! 呑気に『やわなお盆ね』、じゃありませんよっ!」
カルザスがテーブルに両手をついて立ち上がる。
ふと気付けば、テーブルの周囲に野次馬たちが集まり、その者たちは美麗の詩人と、足元で伸びている間抜け面をした男とを見比べている。
「突然何をなさるんですかっ! 意図不明な乱暴はいけませんよ!」
「私はね! 黙っておとなしくお尻触られているようなタイプじゃないのよ! 痴漢行為は立派な犯罪よ。顎の骨、砕かれなかっただけマシだと思ってもらいたいわ!」
いや、砕けているだろう! 角盆がひび割れるほどなのだからな!
カルザスの糾弾に、即座に反論するシーア。手にした角盆を失神している男に投げ付け、そのまま両腕を組んで憤慨している。
掴み所がないというだけの性格だと思っていたが、ここまで破綻していようとは。悪いのは口だけかと思っておったが、気性の荒さに加え、手の早さも問題だぞ、こやつ。
騒ぎを聞きつけたらしい、店主が野次馬たちを掻き分けてやってくる。まずいな。カルザスが仲間だと思われては面倒な事になる。
「またヴァストか……今度は何を仕出かしたんだ?」
店主が呆れたように、失神している男の頬をペチペチと叩く。ん? 『また』だと?
「そいつ、手癖が悪いのよ。お仕置してやって、一から躾してあげた方がいいわよ。世の中のおとなしい女の子たちが迷惑するわ」
これが普通の神経をした店主なら、シーアを責め立てただろう。一見の客より、常連客の方が店としてはありがたいのだからな。嫌な噂をバラ撒かれては堪らん。
だが店主は豪快に笑いながら、シーアの肩を叩いた。
「こいつにゃ、いい薬になったろうよ。姐さん、やるね」
「全く、詩人に手を出すなんて、無礼極まりないわよ。ほんの気持ちだけど、騒ぎを起こしたお詫びよ」
と、シーアは朱色の紙に包まれた何かを店主に握らせる。
一応奴にも騒ぎを起こしたという自覚はあるらしい。チップを握らせるとはな。
シーアに渡された朱色の紙を手の中で広げた店主の顔色が変わる。一体幾ら包んであったというのだ? 顔色を変えるくらいだから、安い金額ではなかろう。詩人の稼ぎと言えば、傭兵より見劣りするものだと思っておったが。
「お仕事よりも、まずこんな奴に目をつけられるとは思ってもなかったわ」
「姐さんは詩人だって言ってたよな? だったら、明日からウチで歌わないか?」
ほう、シーアめ。なかなかついておるな。
大抵の飯屋では、宿屋や酒場を兼ねておる。この店もそれらの店と同じで、宿屋を兼ねていたのだろう。
詩人が仕事を探すのに最も手っ取り早い方法は、こういった店で片っ端から自分を売り込む事だ。それに比べて傭兵は、荒仕事などを一手に引き受ける傭兵ギルドなどの斡旋所に駆け込めば、いくらでも仕事を見つけられる。
詩人のシーアより、カルザスの方が楽に仕事が見つかると思っておったが。
「そうね。丁度いいからお世話になろうかしら」
シーアが目を細めて微笑むと、マスターは店の奥にいた従業員に合図して、伸びている男、ヴァストを外へ放り出すように指示した。
「上に部屋を用意させよう。ええと……そっちのあんたは連れかい……?」
「あ、僕は行きずりの縁で同行させていただいていただけなので結構です」
カルザスが遠慮すると、店主は首を傾げた。
「へぇ……妙な組み合わせだね。詩人と……傭兵さん?」
「はい。あ、シーアさんとはここでお別れですね」
「そうね。カルザスさんもいいお仕事見つけてね」
店主が促すと、シーアは小さく頷いて背を向けた。だが、ふいに振り返る。
「それじゃ、楽しかったわ。またどこかのお店で会えるといいわね」
「そうですね。では、お元気で」
「ええ。カルザスさんも充分に気をつけてね」
食事代を支払い、カルザスは店の外へと出た。
辺りはすっかり夜の帳が下り、酒場から漏れてくる嬌声が夜空に響いていた。
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