最終章「他愛ない溺愛」

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「あの大会で、君が助けた坊主の男を覚えていないか?」 「私が助けた、坊主の男…?」 善一さんの腕の中で一生懸命頭を捻って、ふと自分が言った台詞を思い出した。 ーー綺麗な手、してますね。 「…」 「思い出した?」 「…思い出した」 「あれ、俺」 「あれ、俺…お、俺!?俺って、善一さん!?」 ガバッと顔を上げた私に、善一さんは予想通りの反応とでも言いたげにクスクス笑う。 「え、え、えぇ…っ」 正直、顔はおぼろげ。だけど確かに、私はその人を助けたことがあった。助けたってほどじゃない気もするけど… 「気付いてないだろうと思ってた」 楽しそうな、善一さん。 「気付くわけないよ。だって、あの人坊主だったし、目付き悪かったような気もするし…」 「訓練中眼鏡が邪魔で、だけどコンタクトもまだ作っていなかったから」 「そっかぁ。あの時のあの警察官、善一さんだったんだ」 口に出せば出すほど、思い出がクリアになっていった。 「肉離れ起こして、それを隠して走っていた 俺に一番に気が付いたのは君だった。あの頃は俺も必死で、教官が怖くて言い出せなかった」 「警察学校、大変そうだもんね…」 「君に声をかけられてもまだ走ろうとした俺を、君は一喝した。無理して足が使い物にならなくなったらどうするんだ、と」 「アハハ…」 今思えば、ただの大学生のボランティアが警察官注意するとか無謀としか思えない。 「君があの時止めてくれなければ、筋肉が断裂して手術が必要になっていただろうと、医者に言われた。しかも君は、俺に肩を貸した」 「…あんまり意味なかったような記憶だけど」 善一さんは、私をまた優しく抱き締める。トクトク、という穏やかなリズムが耳に心地良く響いた。 「今でもずっと感謝してる。俺に優しくしてくれた恵麻に。連絡先なんか聞く勇気もなかった俺が、まさか職場で恵麻と再会できるとは夢にも思わなかった」 「確かに、凄い偶然だね」 「入署してすぐ、恵麻は俺にまた言ったんだ。“手が綺麗だ”と。根暗で話しにくいと言われていた俺にも、恵麻は態度を変えることなく笑顔で新しい名刺を渡してくれた」 入りたての頃、顔や名前を覚える目的も兼ねて警察官の人達に新しく届いた名刺を一人一人手渡しで届けた。 その時に善一さんにも手渡ししたことは、覚えてる。だけど自分が言った台詞は、覚えていなかった。 「恵麻にとっては、他愛ない会話と普段通りの態度だったんだろう。だけど俺にとっては、一度目も二度目も、人生が変わるような出来事だった。恵麻はすぐに周りから慕われ、俺なんか相手にされないだろうと思うと中々言い出せなかったんだ」 少し下がった声のトーンに、私は顔を上げて彼の頬にそっとキスを落とした。 「ありがとう、勇気出してくれて」 あの日善一さんが私の所まで携帯を届けてくれたから、今私はこうして幸せの真ん中に居られる。
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