ミルクミントの魔法

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 大通りに出た。片側二車線で、境界には緑が植えられている大きな道だ。交通量はそこそこに多いけれど歩道がきちんと整備されているのであまり危険な印象はない。  ここの横断歩道を渡って五分も歩けば自宅は目と鼻の先だった。  信号を待ちながら亜衣香はぎゅっと拳を握る。「ねえ」と意を決して口を開けば彼の視線がこちらに向いた。 「久しぶりにうちに寄っていかない? 篤志(あつし)もお母さんも、郁に会えたら喜ぶし……」  何より一番喜ぶのはわたしだけど。そんな本音はさすがに恥ずかしく、都合よく弟を口実に使ってしまう。  そっと胸を高鳴らせ見上げていると郁はうーんと宙を仰いだ。それからごめんと謝った。 「せっかくだけど帰るよ。レポートをまとめなきゃいけないし、明日も講義取ってるから」 「えっ土曜日なのに!?」 「大学は休みじゃないからね」  そう言われてしまえば亜衣香にはどうしようもなかった。残念だが郁の勉強の邪魔をするわけにはいかない。  盛大に溜息をつきたいのをぐっと堪え、亜衣香は大通りの一方を指差した。 「じゃあここでいいわ。郁はこの道をまっすぐ行った方が駅に近いもの。送ってくれてありがとう」 「え、大丈夫か?」 「まだ七時前よ。郁こそ、帰り道気をつけてね」  そのとき信号が青に変わった。亜衣香はもう一度「ありがとう」と声をかけて足を踏み出した。 後ろ髪を引かれる思いに耐え、縞模様の上を進んでいく。    今日は最良の日だった。郁と一緒に帰れて、お菓子を貰った。そのうえ好みを覚えるとまで言ってくれた。  さっきはお菓子の味が苦手だと文句をつけたが、実のところ何も問題はなかった。どうせ勿体なくて食べられない。 (大事にしよう)  人目につく場所に堂々と置けて、隠す必要もない。そんな何の変哲もないミントタブレット。だけど亜衣香にとっては大事な宝物だ。  ポケットの上からタブレットケースの存在を確かめ、亜衣香はニマニマと頬を緩めた。 「亜衣ちゃん!」  半分ほど進んだところで背中に声が飛んできた。振り向くと郁が駆け寄ってくる。  彼はカードケースほどの何かを亜衣香に握らせて、その耳元に顔を寄せた。 「これもあげる」  不意に囁かれた吐息混じりの言葉に思わず亜衣香が振り仰ぐ。その視線が絡む前に、郁は有無を言わせず彼女の背を押し出した。歩行者用信号が点滅し出していた。  間髪入れず上がった「走って!」という声に脊髄反射で従った。あたふたと渡り切るとすぐに背後で自動車のエンジン音が聞こえ出した。肩で息をしながら、亜衣香はそこで手渡された物を確認した。  形から薄々勘づいていたがやはりミントタブレット。けれどそれは眠気覚ましのスーパーミントではなくて。  新商品の、ミルクミント。  亜衣香は目を見開いた。ふたりで学校を出てからここまでどこにも寄り道はしていない。第一、通学路にはコンビニなどの店自体がない。  では郁は始めからこれを持っていたのか。可能性としてはスーパーミントを買うときにこれも一緒に買ったという線が一番高い……。  何故と思うそばで、もしかしてと期待が膨らむ。 (だって郁はわたしがミルクキャンディ好きなの覚えてたわ。未開封のまま持っていたのは始めからわたしに渡すつもりだったから──?)  パッと顔を上げる。郁は横断歩道の向こうからこちらを見ていた。車の往来の合間に片手が上がるのが見える。  亜衣香も同じように手を上げかけたところで、郁の左手が彼の口許に添えられた。 「また、学校で!」  ──また、学校で。なんて素敵な挨拶なんだろう。  亜衣香も「また明日!」と声をあげた。ミントタブレットを持った手を大きく振って。
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