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外伝:贈り物に風切羽を
朝起きて、言語学、地理学、植物学、衛生学、お茶会がてら社交。ダンスはちょっとだけ。午後が来て、護身術と毒の見分けと、それから。
あと、なんだっけ。復習しなきゃ。
天井を見上げて、翼をぱたぱたする。気が晴れない。
「……ふう」
「エレ様」
「ごめんね、ご飯だよね」
「良いのです。どうなさいますか? 早めに休まれますか?」
侍従のマラナが、不安そうな顔してる。ごめんね。
本当は、勉強で疲れたわけじゃない。
勉強は嫌いじゃないし、楽しい。古鳥族に文字を書く文化が無いから、本より口伝で物を覚える。文字を打つ道具は一族の領地に置いてきちゃったから、今のところ『全部音で覚えてる』と言ったら、とってもとっても驚かれた。
それでちゃんと覚えてるのを試験でも証明してからは、誰からも何も言われていない。
いまのところ、ジャノル王妃からも、とっても良くできてるって褒められてるし。
それに困った時には、エレナが助けてくれる。
何にも悪くない。
とっても順調。
でも、一個だけ不満。
(……アーリャ)
すん、と、鼻を鳴らしてしまった。
アーリャは数日前から、辺境のオヴァール領に行っている。最近は陛下の仕事を少しずつ任されるようになって、今日はその一つ。でも僕はいろいろ不十分で、まだ公務に出ちゃダメって言われている。
僕より二十年以上も早く生まれて、王子として育ったアーリャ。
卵で二十年、孵化してまだ七年で、羽のそろったばかりの僕。
ついて行けるわけもないって、頭では理解しているけど。
(……寂しいと思う、自分が嫌だ)
すん、と、また鼻が鳴る。
アーリャと会ったのは、僕が生まれてすぐだった。
そして僕が正式にアーリャの婚約者になったのは、それから五年後のこと。
その間ずっと待てたのに、ちゃんと婚約者になってから二年。全然、我慢が出来なくなった。
「……よっし!」
気合を入れて、ぴょんと腰の反動で立つ。侍従たちが心配そうな顔をしてくれるから、笑って見せた。
「ごめんね、うじうじしちゃって。ご飯何かな?」
寂しいを我慢するのは、慣れたはずだった。
会ったその日に王宮に連れて帰ることもできたのに、アーリャは僕の気持ちを待つと言って、そのまま帰って行ってしまった。
僕は生まれてすぐだけど、勝手にずっと一緒にいるんだと思い込んでいた。待っても待っても帰ってこないアーリャに会いたくて。あの頃はずっと泣いて、泣いて、一族をとても困らせてしまった。
泣きすぎて声が枯れて出なくなったころ、やっと。
僕はアーリャに見捨てられたわけではなく、選ぶ時間をもらえたのだと知った。
一族の長であるエッケハー様は、あれこれ僕に世話を焼いてくれた。最低限の貴人としての知識や、王宮がどんなところで、それを治める一角獣族がどんな一族か、話してくれた。
だから時間が必要なこと、アーリャ王子の一存では決められないこと、つがいというだけでは一緒にはいられないこと。
それをやっと聞き分けたころには、三カ月が過ぎていた。
今度こそアーリャに見捨てられるのは嫌だった。
もう二度と会えないくらいなら、会えるかもしれない可能性を残したかった。
そう決めた僕に、エッケハー様が言った。
「我々の種族は、卵の中で多くを過ごす。お前も卵の中で二十年を過ごしたからこそ、年だけならアーリャ王子と同い年、だがそれでもお前は卵の中にいたヒナに過ぎない。……今は耐えなさい、王子のことを想うならな」
会いたいと泣くのは簡単だ。でも、会いに行くために、僕はもっと努力しなくちゃいけない。
僕はつがいの証を布の下に隠し、それからは、外のことを学んだ。その中で泣き続けた僕の声はがびがびで、しばらく声を出さないようにしないと、本当に喉が潰れてしまうと言われた。
(アーリャのこと、呼べないのは嫌だ……)
そう思って、声が元に戻るまで、喉は使わないことを決めた。
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