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喉を使わないことを決めた僕は、代わりに古鳥族でも使える筆記用具を作った。
翼の動きは限られているから、羽そのものに文字を指示する道具をとりつけて、共通文字を色粉を入れた板の中に浮かび上がらせる道具を作った。書物を作るときに使うという、印刷機をもっと簡略化して、色粉に砂鉄を混ぜて動かすようにしただけだから、そんなに時間がかからずにできた。
見た目は、一抱え位ある箱を胸に下げているような形だ。
でも、何故かエッケハー様は酷く驚いて、一族でも使ってくれるようになった。
今まで、ああいうものはなかったんだって。
「エレ、もしかしたらお前は、本当にアーリャ王子の元に行けるかもしれないな」
たとえ嘘でも、エッケハー様がそう言ってくれるのは嬉しかった。
周りにこの文字を打つ機械が広まるころには、アーリャと初めて会ってから、五年が過ぎていた。アーリャから連絡はなく、僕も会いに行きたいと泣かなくなった。
代わりに、僕は外のことを学ぶ。本を読み、人の話を聞いて、じっと黙る。そのころには、本当にアーリャのところへ行きたいと言っていいのか、とうとう分からなくなっていた。
つがいは本能なんだって。
だから、これは、眠りたいとか、食べたいとかと同じくらい強い欲求。
けど、アーリャを好きということなのかは、分からなかった。
僕はアーリャに会いたいけど、それは好きだからじゃなくて、つがいだからだ。
(つがいってだけで、本当に会っていいのかな……)
そんな、ある日のことだ。
「そういえば噂を聞いたかい? アーリャ王子がとうとう、婚約者を決められるという噂だよ」
そんな声が、風に乗って聞こえてきた。
眼を見開く。
僕がアーリャのつがいだということは、一族でも秘密中の秘密だ。僕のつがいの印は隠されているから、この声の主も知らなくても無理はない。
「アーリャ王子もこれで婚約者が決まれば、王位継承者となられるでしょうねえ」
アーリャは、王子だ。国のため、一族のためを思えば、つがいだって理由だけで僕が傍にいる必要はない。そのはずだ。そうでなくちゃいけない。好きかどうかも分からない僕が、そんなことをしていいはずがない。
その日はすっかり気落ちしてしまい、翼を繕ってみても、足の爪を整えても、気が晴れない。このままアーリャを諦めてしまうにはどうしたらいいか、考えていた時だった。
「ではこの勘定でちょうどなんですね?」
「うむ、早めに届けたいのでな。少し飛んで行ってくれるか?」
「お安い御用ですよ、エッケハー様」
家の下から、そんな会話が聞こえてきた。
それは何気ない会話だったと思う。でも僕には、天啓のように聞こえた。
……飛ぶ。飛んで行く。
窓の外を見ると、同じ古鳥族が鮮やかに空を飛んでいるのが見えた。僕らは手を持たない代わりに、自分の力で空を舞うことができる。足も普通の脚じゃなくて、何て言えばいいか。鱗が生えたかぎ爪付きの脚だから、このおかげで細い木の枝でも体を支えられる。
僕は、空を飛んだことはない。
でも空は、きっと、アーリャの元までつながっている。
そう思ったらもう、堪えられなかった。
窓の枠に足の爪先をかけ、ぱっと飛び出したときには、風が僕を迎え、高い高い空へ向かわせてくれた。
翼が翻る。風をつかむ。分かる、わかる。空に出れば、風に揺らされるより早く、遠くへ行ける。
後ろから誰かが追いかける音が聞こえたけど、すぐに風が教えてくれた。こっちに行けばいいって。誰かの気配は消えていき、あっという間に僕の体は遠くへ、とおくへ飛んでいく。
「……あー、りゃ!!」
声が出た。ずっと、五年間、黙っていた。
アーリャの名前を、もう一度呼びたくて、それだけだった。
気が抜けて落っこちそうになったけど、風が後ろから押してくれた。
会いたい。
会いたいよ、アーリャ。
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