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帰宅後、ミーアは家族にこのことを相談できなかった。
しかしそれが、災いしたのだろう。
数日のうち、カラノルから話がしたいと手紙か来て、文通が重なるころにはとうとう、正式に結婚を申し込まれた。
これには、流石のミーアも家族へ相談せざるを得ない。
ところがミーアがこの話を切り出した時、両親の反応は彼女の想像をあっさりと裏切った。
「あなたが選びなさい、ミーア」
「え? ……」
「結婚は大切な選択。あなた自身が決めるのよ」
母はそう言うと、部屋を出ていく。
父もそれに続いてしまい、ミーアは思わず立ち上がった。
(わたしが、きめる?)
明日の服、夕食の食べ方、化粧の選び方、衣服の纏い方。
何もかもを指示してきた母が、突然指示することを放り投げた事実に、ミーアの頭が真っ白になった。結婚が大切であることは分かる。でもそれ以上に、不安な気持ち、母親だからこそ相談したかった思い、その全部が消えていくのを感じた。
「か、母様! 父様!」
「ミーア、あなたももう良い大人なのだから。自分でキチンと決めなさい」
「で、でも。これは、オルファン子爵家にもかかわる」
「あなたの問題よ!!」
金切り声を浴びせられ、ミーアは凍り付く。脳裏に、思い通りにミーアが行動しなかった時の母の顔がよぎった。
「も、申し訳ありません」
思わず彼女が誤ると、母はすぐさまその部屋から出てしまう。
たった一人取り残されて、ミーアは悩んだ。
家族のため、領地のためには、この婚姻は引き受けるべきなのだろう。妹たちがゆくゆくは、ミーアと同じように教育を受け、子爵家を引き継げばよい。代わりに自分はオヴァール辺境伯の第一の側近であるカラノルに嫁げば、後々、子爵家を大いに盛り上げる手助けにもなる。
でも一方で、カラノルという類まれなる青年を支えられるような人間なのか、自分では判断も何もかもできない。いや、それどころか、彼が自分にプロポーズしたのが嘘なのではないか、とさえ感じてしまう。
(でもつがいの証……ツタ模様の葉は……。ここにある)
左の薬指をじっと見つめて、ミーアは考え込む。
カラノルが見せた、優しい笑みが脳裏をよぎった。自分に『触れても良いか』と尋ねた声も、何もかも、嬉しくて、幸せでならなかった。
(やっぱり……彼を裏切ることなんて、できない)
正式な結婚の申し込みから四日後、ミーアはカラノルの申し出を受け入れることを決めた。
母を含め、家族はそのことに何も言わない。そればかりか、服装も、食事も、化粧も、外出も、家族から何の束縛も受けなくなったことに、ミーアはただただ、戸惑っていた。
(どうして? どうして、母様、父様)
疑問を抱えながら、ミーアはいつも通りに妹たちのためのお菓子を焼き上げた。そろそろ持っていかないと『女主人として気構えがない』と、彼女たちになじられてしまうだろう。
茶器とお菓子、それから熱湯を車輪付きのテーブルへ乗せると、ミーアはそれを押して妹たちがいるはずの部屋へと向かった。妹付きの侍女たちが青ざめた顔をして、こちらへ小鳥が飛ぶかのように駆け寄ってくる。
「ミーア様!!」
「失礼します。妹たちは? アルーナも、シーエにミシナラもいるでしょう?」
「は、はい! ただいまお伺いします!!」
ミーアは、目を丸く見開いた。
妹付きの侍女たちから、こんな丁寧な対応を受けたことなどなかったのだ。驚いたミーアから、これ幸いと侍女がテーブルを引き受ける。
「ミーア様はどうかおやすみください。こちら、わたくしたちが手配いたします」
「そうですわ!」
にこにこと笑顔なのに、彼女たちの目には一様に、焦りが見えた。
(……ああ、そうか)
ミーアの心が、すっ、と冷えるのが分かった。
最後までどこかに残っていた、家族への愛情のようなものが、掻き消えていく。
(怖れているんだ。カラノル様のつがいと分かって、オヴァール辺境伯の関係者になるだろう私のことを、怖れている。仕返しされないかって、恨まれているんじゃないかって……父様も、母様も……だから何も、もう言わないのだわ)
彼女の頬がゆっくりともち上がり、美しい笑みを浮かべる。
「そう。なら、お願いするわ。……あと、それと」
ミーアは侍女たちの目を、一人ずつ順番に、真っすぐ見つめた。
「わたくし、あなたたちのことなど、ちっとも、何も、気になどしてこなかったのだから。どうか私のことは、忘れて頂戴ね」
呆けた顔をした彼女らを置いて、ミーアは部屋へ戻る。
そして真っ先に、カラノルへの返事の手紙を書き、誰よりも早くミーアの言うことを聞いてくれるようになった執事に手紙を出すよう依頼するのだった。
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