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風に巻き上げられた真っ白な花弁が、青空を彩る。
「カラノル様、おめでとうございます!」
「ミーア様、お幸せに!!」
祝福の声を燦燦と浴びながら、羊族の少女、ミーア・ケサ・オルファンは花嫁衣裳に見事なヴェールが付いていることに感謝した。そうでなければ、自分がどんな顔をしているか、周りの人に分かってしまうだろう。
巻き角に合わせた、巻貝のような模様がちりばめられた花嫁衣裳を身にまとい、ミーアは隣に立つ自身のつがいを見上げる。
「さあ、行こう、ミーア」
「はい……」
嬉しい、と感じた。
幸せ、そう思えた。
そのどれもに、ミーアは感謝していた。
(大丈夫……私はちゃんと、彼のつがいとして、振舞えているはず)
遠くに、ミーアの家族が見えた。妹たちは着飾っているが、全員、かちこちに緊張してまるで人形のように動かない。
(意外ね、緊張するなんて。あの子たちなら……大はしゃぎしてそうなものなのに)
そんなことを考えていると、カラノルが優しくミーアの手を握った。
「ミーア、大丈夫?」
小さく囁かれて、ミーアは首をかしげる。するとカラノルはより小さな声で答えた。
「ご家族を見たときから、君が緊張しだしたから……何か、あったかと思って」
「……いいえ、カラノル様。なんでもありません」
つがいだからか、それとも、カラノルだからなのか。
ミーアさえ気づかない、ミーア自身の変化を、カラノルは少しずつ教えてくれるようになった。その気遣いが、ミーアには苦しくてならない。
(また、私のことで……手間をかけさせてしまった)
でも一方で、そうして苦しくなると、反対に心が落ち着くのが分かる。
まるでいつも通りの自分になったかのようで、ミーアは少しだけ微笑むことさえできた。
「ありがとうございます、カラノル様」
「っ!! いや、いいんだ。ミーアが、その、平気なら」
尻尾をぴんと上向きにして、嬉しそうにするカラノルに、ミーアの胸がぽかぽかと温かくなる。それは嫌な感覚ではなく、むしろ。
(ああ、言葉をちゃんと聞いてもらえるって……こんなに、嬉しいのね)
そうやって、幸せに感じることさえできた。
(でも、期待したらダメ。もしかしたら、カラノル様も、いずれは……)
黙り込んだまま、ミーアは新郎新婦のための席に着いた。結婚の誓いが済んだ以上、後は順繰りに祝いの言葉を受け取るだけだ。
ところが誰も、言葉を述べに来ない。それこそ、この場で最も地位が高いはずのオヴァール辺境伯が動こうとしなかった。
(ひょっとして、オヴァール辺境伯より高位の方がいらっしゃる? だとしたら……)
するとその時だ。遠くから、美しい金色の髪を持った少年が、赤金の猫族の少年と共に歩いてくる。あちこちで彼らへ頭を垂れる動きが見え始め、カラノルが隣で嬉しそうに笑うのが分かった。
やってきた少年二人は、美しい所作で一礼し、それぞれの手に持つアマーシャの花束を掲げ持つ。
「カラノル兄さま! ご結婚おめでとうございます」
そう言ったのは、赤金の猫族の少年だった。ぱっと笑った顔は愛らしく、得意げに動く三角耳も、滑らかな肌も、全てが磨き上げられ、整えられていた。
隣に立つ金髪の少年は、美しい青の目をゆったりと瞬かせ、額のサークレットに金剛石や水晶を煌めかせている。
「ミーア、紹介させてほしい。我が弟のジャノル、そして」
金髪の少年の額に見えるかすかなふくらみに、ミーアは息をのんだ。
「アバールが誉れ高き一角獣族、その次代を担う、ケリャ王子だ」
どう仕草を取ればいいのか、どう対応すればいいのか、ミーアは分からなかった。ただただ頭が真っ白になって、何もできない。
(母様は、こんな時、どんな指示を? どんな言葉を、かけろとおっしゃるの? 母様、私に、教えて。母様……)
途端、カラノルの手が自分の腰を抱くのを感じ、ミーアはびくりと震えた。カラノルは慣れているのか、朗らかに二人へ声をかける。
「殿下におかれましては、ご機嫌麗しゅう」
「楽にしてくれ。今日はそなたらが主役、そなたらが寿がれるべき者。我はただ、ジャノルの付き添いだ」
「では。……ありがとう、ジャノル」
「はい! 王宮のアマーシャの花を、陛下より頂いてまいりました。殿下と一緒に包んだのです。……あの、み、ミーア姉さまと、よ、呼んでも、かまいませんか?」
尋ねられ、反射的にミーアは頷いた。
ぱっ、とジャノルが笑みを浮かべて、ぴこぴこと三角耳を揺らす。
「では、ミーア姉さま。あの。殿下にお願いして、王宮のアマーシャの花を摘んできたのです! 花束にするのも、手伝っていただきました。この柄は、ミーア姉さまがお好きだと伺って、それで、あの、その」
恐る恐る差し出された花束に、やっとミーアの思考が追いついた。白い花束は、これまた上等な真っ白い紙でくるまれ、飾りとして金や銀の糸であちこちに細工が成されている。包みを閉じる紐は幅があり、滑らかな輝きを見せる紅色で、婚姻にはぴったりだと思えた。
「その、お受け取り、頂けますか?」
ふっくらとした頬を赤く染め、見上げてくる小さな存在に、ミーアは酷く逃げ出したい気持ちに駆られていた。七歳の時から、将来の子爵という名の奴隷としてミーアは生きてきた。
だから。
こんな風に自分を見つめる人になんて、今まで行き遭わずに生きてきた。
「あ、あ、ありがとうございます……」
思わずところどころ言葉を噛みながら伝えてしまうミーアは、気を失いそうなほど緊張していた。しかしジャノルは気を悪くした様子もなく、嬉しそうににっこりと微笑む。
「お疲れのところ、お時間を頂き、ありがとうございます。ミーア姉さま、どうかカラノル兄さまと仲良くしてあげてください」
「こら、ジャノル」
「ふふっ。では……」
また優雅に一礼したジャノルが、ケリャ王子の方をちらりと見る。王子は頷き返すと、彼の手を握って、仲睦まじい様子で降りていった。
すっかり呆けてしまったミーアだが、腕に抱かれた白い花束は、消えることなくそこにある。
「ミーア?」
「カラノル、今のは、夢ではありませんよね?」
「もちろん、僕が保証するよ」
「……ありがとう、カラノル」
声を詰まらせ、ほろほろと泣き出したミーアに、カラノルが優しく頭を撫でる。仲睦まじそうな夫婦の様子に、微笑ましいものを見る時の、人々の柔らかな笑みが広がった。子爵という家柄上、王子その人とその婚約者より祝いの言葉をかけられ、感極まったのだろう、と。
(違う、ちがうの……)
ミーアは泣いた。
どんな色眼鏡もなく、ただミーアに喜んでほしいのだと、花束を届けに来てくれたジャノルの笑顔がよぎる。その笑顔を受け取れたのは、その花束がもらえたのは、ひとえにカラノルが隣にいてくれたからだと、ようやく気付いた。
少しでも、ミーアが自分に向けられる好意を受け取れるように、カラノルが接してくれたおかげだった。
「ありがとう」
麗しく微笑んだ乙女に、思わずカラノルがレースを持ち上げ口づけを落とす。
それは、オヴァール辺境伯があきれるほどの熱々ぶりで、後々まで幸福な夫妻として語り継がれる二人の始まりでもあった。
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