第一王子と幼き鳥

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第一王子と幼き鳥

 からからと、音が鳴る。  これは蹄の音色。先往く馬の数々が、響き奏でる、美しき音。  我が名はアーリャ。栄えある一角獣族が王、ケリャの第一子として生を受けて、今年で十七を数えた。 「兄さま! 見てください、アレハの街です!」  愛らしい三角耳をピンと立てて、妹のエレナが興奮気味に言う。  王都より東へ。そこに、古鳥種と呼ばれる、手ではなく翼をもつ獣人の領地がある。アバールの東の国境地帯を守る彼らは、一角獣族より歴史が長い。  鳥を名前に持つ一族は多く、鶏族や鴉族など様々だが、古鳥種はその大本にあたる種族だ。一角獣族や宝玉族のように、長い長い時を生きる。  いうなれば先住民族であり、彼らを一角獣族は長く尊敬し、隣国として扱ってきた。  しかし、時代の流れは、アバールにあった。  古きを重んじた彼らだが、一方でそれは他国との軋轢を生んだ。一時期は戦争にもつれ込むことも多かったという。それを案じた一角獣族の提案を受け、彼らはアバールにおける『古鳥種の自治区』として、現在に至る。  他国から見れば、アバールが信頼する一族、というだけでも、多少なりとも厄介ごとを避けられる。  それに危機を救ったアバールからならば、古鳥種もなにかと意見を聞き入れてくれた。おかげでこの辺りは古き趣を残しつつ、新たな貿易の玄関口として、アバールでもまたとない場所になっている。 「ああ、本当だ。ほら、あれが古鳥種だ。皆、我々にある手がないだろう?」 「ええ。鳥種の背中にある翼が、彼らはそのまま腕の位置にあるのね? それに足にシーアのような鱗があるわ」 「シーアの足を見たのか!?」  母様の侍従であるシーアは、蛇族だ。滅多に足を見せないと言うが……。 「母様の入浴を手伝った時に見たのです」  父様譲りの角をこちらへ向け、母様の三角耳を震わせて、エレナが言った。 「……そうか」  母様は、私とエレナのように長くは生きられないと教えられている。父様の血を色濃く引く私はもちろん、稀なる混ざり者として生まれたエレナも、同様に長く生きる。  私たちを産んでからかれこれ二十年以上過ぎ、母様は以前より体が弱くなられた。  そのことで一時は悩みもしたが、当の母様が『これで父様にもあなたたちにも、思う存分甘えられますね』と笑っているのだから、父様も何も言えなくなった。すると不思議なことに、かつて私たちが母様にしていただいたように、私たちが母様の世話をする機会が出来たのだ。  王たる父様が健在である以上、私もエレナも、まだ婚約の話はちらりとも出ていない。  祖父である先々代の陛下は、祖母が二人目の妻であったと聞いている。  母様は大変に若くして私たちを産んだのだと、何度聞かされたか分からない。 「兄さまは、ラノルおじ様の講義を受けてらっしゃいましたもの。仕方ありませんわ」 「ありがとう、エレナ」 「いいのです」  私を気遣ってくれるエレナは、自慢の妹だ。  そんな妹と私は、古鳥種の一族が住まうこの土地に親善大使としてやってきた。  王の二子が、一方を王都へ残すことなく訪れる。これは古鳥種に対し、最大限の尊敬と信頼を示すためのものだ。 「着いたか」 「楽しみですね、兄さま!」 「ああ」  馬車を降りると、色とりどりの鮮やかな羽があちこちで羽ばたきを起こし、風がエレナと私の衣装をたなびかせる。特にエレナは母様譲りの赤金の髪を長く伸ばしており、それが風によって膨らんで、大変に美しい。  古鳥種は手を持たない。彼らは翼で空を飛び、足でものを掴む。そのためこの羽ばたきは、彼らにとって我々の拍手やお辞儀と同義だ。  天空を舞うように飛び交う古鳥種たちは、赤や青、黄色、紫など、七色の羽根を空に輝かせていた。 「ようこそ、ケリャ王の子。稀なる一角獣族、そして栄えある交りの子」 「お招きに感謝いたします。古き鳥種の長、エッケハー様」  嬉しそうに頷いたのは、極彩色の羽根を全身にまとい、ほっそりと長い鳥足に数多の青い鱗をはやした老人だった。エッケハーという彼は、父様の前の前、祖父様が即位なさっていた時よりさらに前から、ここで長を務めているという。  底知れぬ鉛色の目の奥に、キラキラとした輝きが見えた。 「此度、実はご報告申し上げたいことがございましてな」 「はい」 「我らの卵が一つ、新たに孵ったのです。それも、本日、明朝にございます」  私とエレナは驚いて、顔を見合わせる。一緒に来ていた侍従や外交官、武官たちにも、どよめきが広がるのが分かった。  一角獣族をはじめ、長命の一族は子供が生まれにくい。  古鳥種は卵から生まれるが、卵が稀なばかりか、卵から出てくるまでにも長い時間をかけるという。 「何とめでたいことでしょう!」  エレナが嬉しそうに言えば、エッケハー様も頷いて答えた。 「はい。我らにとっても、待望の子。故に一つ、お願いが」 「何でしょうか?」 「是非ともお行き会いしていただき、どうか子へ幸いを願っていただけませぬか」  私もエレナも、すぐさま頷いた。 「もちろんです。本来なら王宮へ参られるのが通例ですが……どう思う?」  侍従の後ろ、外交官らへ問いかけると、彼らは私の意をくむ様に頷いた。最も地位の高い官が前へ出て、私とエッケハー様へ言う。 「我々より陛下にも話を通しましょう。生まれてすぐのあどけなき命に、長旅を強いるのは陛下も好みませぬから」 「おお。感謝いたしますぞ……。さあ、こちらへ」  さらさらと、砂が音を立てる。  楽園というにふさわしい、澄み切った水を満々とたたえた泉が幾重にも続いている。岸壁は緑、宝石と見まごうばかりに輝いていた。 「あれを」  指示された方角を見て、私の喉がひくついた。  嬉しそうに小さな椅子を取り囲む古鳥種の女性たち。軽やかな声をあげ、跳ねるように踊る。その中央に、年にして5歳ほどの古鳥種の少年が座っていた。  彼らは卵で長い時を過ごすため、生まれる時にはそれに応じた姿になるという。  だがそんなことより、私はただただ、指に走った衝撃に耐えていた。 「彼は」 「おお、我らの性別が分かりますか。エレ、と名付けました。わたくしの末の末の、そのまたさらに末の妹の息子にございます」 「エレ」  私は、前へ出た。  指先が、薬指が、じくじくと、痛みにも似た衝動を訴えている。隣にいるエレナが、何かを言いかけて、そしてやめるのが分かった。  そこで初めて、私は父の悲しみを思い知った。 「……あ」  エレが、こちらを見た。その額に、真っ白なツタ模様が生まれていく。  古鳥種は、翼をもたない。だからつがいのツタ模様は、額や首といった部位に現れる。 「お前が、いや、君が……」  エッケハー様が、目を見開くのが分かる。自然と伸ばした左手の先で、私の指に同じく白いツタ模様が現れている。  獣人の本能、つがいの衝動。それがどれほど耐え難いのか、私は思い知った。父様が母様を選んだこと、その愛の深さに圧倒された。それくらい壮絶な衝動で、私は耐えきることさえできず、思わず後ずさる女性たちの真ん中にいるエレを、抱きしめていた。  小さな体だった。  纏う羽根は濃紺、見上げる目は深紅。私の両腕に収まるほど軽い体の下に、細い足が伸びている。どんなものより美しく、いかなるものより優先したく、どれほどの言葉を尽くしても、そのすべてを言いあらわせなかった。 「……この結論は、もっと遠くで良い。私がそのように采配する」  私がそう言うと、不思議そうにエレが言葉を繰り返した。 「とおく?」 「エレが、きちんと、決められるその日を待つ。私の妃となってよい、そういえる、その日を待つよ、エレ……」  抱きしめたエレの体は軽く、翼は柔らかく、暖かだった。  指のないエレの額に生まれたツタ模様に、私は額を合わせる。良かった、と、素直に思えた。私がまだ角を持たない、まろやかな額で良かった、と。 「エレ、私の唯一。私のつがい」 「アーリャ、なかないで」 「君に幸いがあらんことを」  私がエレを連れ帰らないことを、族長以下、ほとんどの古鳥種が驚きをもって迎えた。 「いつかエレが、私を求める日が来たのなら、その時は我が妃として迎えたい。今は生まれてあどけない、いくらなんでも、無体が過ぎよう」  建前だった。耳触りの良い言葉だった。  私のための、言葉だった。  私は王族だ。これ以上の采配は、より多くの知見と、多くの人員が必須だ。そして何より、私がいまだ幼きエレを王宮へ迎えて、なおかつ、守り切るだけの地盤がいる。  父たるケリャ王と、母たるジャノル王妃が健在な今だからこそ、私だけの愛で動くわけにはいかない。 「兄さま」  気遣うようなエレナの声が、小さく響いた。
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