[TARGET]

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 俺は殺し屋を生業としている者だ。  全ての殺しを完全にこなし、行く手を遮る人間は、いない。  ターゲットの暗殺成功率は、無論、100%。当然だ。プロに失敗は許されない。そうでなければ闇の中に身を置く、自分自身の存在意義は無いのだ。殺しの送り人としてのプライドも含めて。  ある意味では殺し屋とは職業ではない。  生き様だ。  殺し、とは仕事であると同時に、自らの生き方を肯定する宿命であり続けなければならない。  例えそれが悪業(カルマ)であっても。  そして、今回の殺しの依頼は、どうやら女に騙されて、その女を殺してくれという事だ。やれやれ、世も末だ。たかだか女に騙されてぐらいで、相手の女を殺そうという発想に至るものかね。女一人にフラれたぐらいで……ん? フラれた恨み辛みの節はこの資料によると書いてないな。ただ、騙された、という所だけ強調してあるだけだ。まあ、別に事務関連の資料までいちいちその内容の確認を取るほど俺は野暮ではないが。  そう、確かに世も末だ。俺ほどの殺しの腕前を持ちながらも、世知辛い現代じゃ一匹狼を気取って食ってはいけない。所詮、狼は群れをなす獣。今どきの殺しの仕事は殺し屋の組合、言わばマーダー・ギルドに加入していなきゃ、入転がりこんでは来ない。  それだけ世の中が平和ボケして、わざわざプロの殺し屋に直接頼み込んで来るような、いや、もはや裏のネットワークも機能してない状況。  だいたい闇社会の殺しの仕事は、安価な雇い賃で済む東南アジア系の素人ヒットマンに流れてしまうこのご時世。  つまり、俺のような殺しに芸術性と美学を添えるような真のプロには生き難い世の中なわけ。  だから世を忍びつつ、殺し屋が集まる組織に入って、そこを介して殺しの依頼を貰う。言ってみれば殺し屋サラリーマンだ。  だが、俺のようなプロフェッショナルは高額ながら完璧に仕事をこなすから、切れ目無く依頼が舞い込んでくる。まあ、俺の殺しの思想とは齟齬はあるものの、結局の所は効率的かつ経済的である殺しのジョブが出来るから皮肉ではある。  と、そんな私事とは別に俺は、その女がこれから入店すると言われている喫茶店に向けて、遠方のビルの屋上からライフルで狙っている。  ただ奇妙なのは、ターゲットの女の写真が無い、という事だ。内情はあまりにも依頼主が怒髪天して、全ての女に関する写真、どころか様々な写メにしろ動画画像にしろ、それら全てを消去してしまったという。ヒステリックにも程がある行動だ。しかし、必ず紫のワンピースを羽織っており、決まった時間にお気に入りの喫茶店に入店するから、その女を撃てば良い、とのこと。  いやはや、そんなアバウトな情報で誤認射殺しても俺は責任は取るつもりはないが、それだけ依頼主の冷静さや理性を失わせるような女というものにも興味は出てくる。基本的に女を殺すのには、さすがの俺でも多少の抵抗はあるが、成人の女ならば仕事として割り切って撃つことは出来る。  それが冷徹非情のプロの殺し屋というものだ。  うむ? 俺のスコープに何やら紫色のワンピースを着た女が入り込んで来た。例の喫茶店に向かっている。間違いないな。  躊躇なく撃つ。  ……つもりだった。  だが、撃たれたのは俺の方だった。  俺のハートを射抜いたのはあの女の方だった。  何てこった。薄汚れたこの世の中に、そう、蛆が湧き腐りきった地上に舞い降りたエンジェルのような可憐さ、美しさではないか! 少しばかりメイクが濃いといえば濃いが、それはマスカラが眼に、チークが肌にノっているということ。それにスコープ越しとはいえ、背が高くスレンダーでカラスの濡れ羽も見劣りするような艶のある黒の長髪。  兎にも角にも、俺はこんなイイ女に生まれてこの方出会った事が無い。こんなイイ女を殺せるはずがない。そんな人類レベルの損失をさせてたまるか。  俺はこの仕事から降りる事にした。  だが、分かっていたが、そうなると他の殺し屋が彼女を狙う事になる。  だから、つまり、俺は彼女の見えざる盾になる事に決めた。  彼女を標的にする殺し屋全員を密かに抹殺する、という意味だ。盾と言えど、その実は槍。  それはまさに水面下ながらの必死の殺し合いだった。さすがは一級の殺し屋ギルドの連中である。俺も無傷で済む事はなく、情け無用の殺しのバトルロイヤルが続いた。  しかし、それでも数多の殺し屋どもを葬って、彼女を陰ながら守り続けた。そして、とうとうギルド側も、何故に突然反旗を翻して仲間の殺し屋を俺が抹殺し続け、さらには俺の手によって屍の山が出来た事により、恐らく俺の心情の不可解さと大量の犠牲者を鑑みて、彼女への追撃はやがて止まった。  終わった。  俺はその安堵の気持ちが彼女への愛に変わっていくのに気づいた。  愛。  人として生まれて以来、そんな気持ちが芽生えるとは露とも思っていなかった俺だが、彼女はそんな荒んだ俺の砂漠のような心の中の今やオアシス。  もはや次に実行する事は決まっていた。  彼女に愛の告白を告げに行くこと。  彼女の行動パターンは分かっている。例の喫茶店に行けば会える。そうと決まれば思い立ったが吉日。俺はすぐに彼女の元へ向かった。殺し屋どもから背に受けた数発の弾痕も気にせずに。  案の定、彼女はいつもの喫茶店にいた。俺は店の外から彼女の優雅な有閑を眺めていたが、この距離で眺める彼女の佇まいも予想を裏切らないオーラを放っていた。やはり一流のプロのスナイパーでもある俺の目は狂っていなかった。つまり、俺のスコープ越しの的確な視線は審美眼にも繋がっていたという証左だ。  それにしてもこの悪寒は何だ。  女一人に打ち震えている俺は何だ。  俺ほどの男でも滑稽ではあるが緊張で近づけないものか?  まるでウブな中坊のよう屹立している俺。  しばらくすると、彼女が店を出てきた。チャンスとばかりに俺は彼女に近づき告白のタイミングを窺ったが、なかなかそれが出来ない。本当にまるで女を知らないチェリー坊やの気分だ……と思いつつ、仕方ないので俺はストーカーのごとく彼女の後を追った。  すると彼女はとある店の前に止まり、店のドアの鍵を開けようとした。  その店の名は『ニューハーフBAR トマトちゃん』。  は?  唖然とする俺を他所に彼女の元に一人の中年オヤジが彼女に近づいてきて話を始めた。  中年オヤジが、お、やっと開店だね、と嬌声じみた声で言うと、今度は彼女が、もう、早く来すぎですよぉ、欲張りさんなんだから、と野太い声をしつつも甘ったるいその一言。さらに中年オヤジが、何を言ってるんだい、そのお股のフグリの中をを工事した費用は誰が払ったっていうんだい、テヘヘ! と頬を赤らめて返す。そして、彼女、いや、元・彼の現在・彼女の彼女が、もう、いやあだぁ、と言って中年オヤジの肩に触れてスキンシップ。  ……なるほどね。  俺はふと彼女を殺してほしいと依頼した見知らぬ依頼主の事を思い出した。女に騙されて、という言葉が適切だったかどうか、と。  その時、突如大量のパトカーがやって来て、大人数の警官たちが俺を囲んだ。どうやら俺が殺しまくってきた殺し屋の痕跡にアシが付いたらしい。まあ、秘密裡に殺してきたとはいえ、アレだけ殺せば死体も見つかる。それとも誰かのタレ込みか。  どちらにしろやって来た警察は俺に手を上げろと執拗に恫喝する。周りは騒然とし、彼女、ではなくて正式にはかつて男であった彼女も、どうやら身震いして俺の方を見ていた。この時になってようやく俺という存在を、彼女、ではなくて……もうイイか。兎に角、彼女の目に焼き付けられたようだ。これまた皮肉なものだ。  終わった。  俺は警察の指示に従う事無く、内ポケットに手を入れた。すると一堂にして警官たちは拳銃を取り出して俺に向ける。俺は内ポケットから末期の一服として煙草を取り出したかったのだが、恐らく警察連中は俺が拳銃を取り出そうとしていると思っているのだろう。  確かに俺の内ポケットの中には煙草の他にも拳銃が一丁潜んでいる。だが、銃の中には弾丸が込められていない。そう、このハジキにはタマがない。凶器にはならない。  だからせめて煙草の一本でも最期に吸わせてほしいものだ。  灰になるまで待つぐらいの気遣いを俺は望むだけ。                               了
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