〈Terrified car interior〉

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〈Terrified car interior〉

 都内の某所。  この近辺で幾つかの殺人事件が多発していた。恐らくは同一犯の仕業と睨んでいる警察。そんな渦中に、タクシー運転手のKは運良くというか運悪くというか、殺人現場を目撃してしまった。殺人現場を目撃したとは言っても、かなり夜も深い時間で、その現場は人気のない公園内。しかも公園外の側でタクシーを駐車して一時休憩中、そのリラックスした状態の車内からたまたま遠目でKは見たので、犯人の顔は朧気の記憶。ただ犯人が被害者の首を絞めていたシルエットが分かった程度。また、強引ながらも詳細にその他の犯人の特徴をあげるとしたら、眼鏡をかけていたかも、体型からして若者風かも、くらいの曖昧な証言。さらに危うい直感をしたので、すぐにその場からKは逃れるようにタクシーを出したので、その後の詳らかな事件の過程は分からない。それぐらいの情報しかKにはなかったが、この事件が殺人と知った時にはさすがに無関係とはせず、自ら警察に頼りない目撃者として出頭した。そして、少ない情報ではあるが、知る限りは警察に喋ったのだった。市民の責務として。 「ふう、とんだ藪蛇ってヤツか」  深夜運転勤務中のKは、本日行った事情聴取を思い出し、やはり金にならなそうな事に協力するのは打算的ではないな、と思って独り言をした。 「本当に金にならない。金にならなくて楽しい事なんて、自分の趣味事だけだよ」  Kは無駄にまた独り言を呟くと、制服の内ポケットを何かまさぐるように手を突っ込み、なかなか客が捕まらない苛立ちを抑えながら、アクセルをやや強く踏んだ。  そんなKが警察に供述してから数日後のやはり深夜。  Kがいつものルートをタクシーで運行している途中、一人の人間が路肩で手を挙げた。客か、と特に何の疑いも持たずKは覚え、道路脇にタクシーを寄せた。何の疑いもなく、というのは、この近辺は以前Kが目撃した殺人現場の公園があっての事だったが、K自身はそのような事は気にも懸けていなかった、という意にもなっていた。  そんなKは後部座席の自動ドアを開いて乗客を招き入れると、普段通りバック・ミラー越しに後ろを確認しながら、 「お客さん、何処まで?」  と何の変哲もないタクシー運転手としてのクリシェを放った。 「とりあえず□△方面まで。付近まで行ったら到着場所を指示するんで」  フードを深めに被った乗客は、やや早めの口調でKに答えた。Kは客を乗り入れると、慣れた手つきで発車し□△方面へ繋がる大通りへ向かった。  この夜半、フードを被り顔を隠すような恰好を乗客はしているので、芸能関係の人間か、とKは穿ってみたが、昨今の客はあまり根掘り葉掘り身の上を話したがらない傾向にあるのを承知していたので、Kは黙して忠実に職務をこなすことにした。 「…………」  あまりにも無言の空間。せめて乗客の方がスマホをいじっていても良いのだが、後部座席の客はほとんど身動きせず、やはりいまだにフードを深々と被ったまま、パーカーの両ポケットに手を突っ込んだ状態で黙っていた。  だが、乗客から発する怪しい佇まいに、Kが流石に居心地の悪さを感じ始め、こんな夜遅くまでご苦労様ですね、とでも何気ない会話の端緒の一言をしようとした時だった。 「最近、この辺りで殺人事件が多発しているらしいですね」  と意外にも乗客の方から籠りがちな声で話しかけてきた。Kは虚を突かれたもののタイムリーな話なので、 「そうなんですよね。物騒な事件が度々重なっているみたいで。実は私ね、ここだけの話なんですけど、その殺人事件の現場を見ちゃいまして、警察に聞き込みされたんですよ」 「え?」  案の定、乗客はやや前屈みになり、話に食いつけてきた、とKは得意になり、さらに口を開いた。 「いえね、たまたま目撃しちゃいましてね、近くの公園で。そうは言っても暗がりでだったんで、ほとんど犯人の特徴なんて分からなかったんですが、一応は事情聴取ってヤツですか。その時、何とか記憶にある部分を無理矢理ひねり出しまして刑事さんには話しましたけど。それにしたって取調室って所に初めて入ってみたんですけど、なかなかどうして新鮮な体験でしたね。それにそこって思いの外に殺風景で、窓なんかも……」 「何をどれだけ話したんですか?」  突如、Kの話を遮って、乗客が食い気味に問いかけてきた。 「え、ああ、そうですね。どうやら犯人は紐のような物を使って被害者を絞殺したようだ、とか、遠くから見た雰囲気的には体型は若者のような感じで、後は、眼鏡をかけていたかも知れない程度の情報ですか。だから、ほとんど参考にはならない証言ってヤツですよ」  Kは軽やかにハンドルを右に切りながら、何の躊躇もなく警察で事情聴取された内容を語った。特に情報提供などの守秘義務など警察からは強要されてないので、Kはむしろ話のネタとして嬉々として喋る。  すると乗客は、 「そうですか。それは良かった。その程度の話なら」 「はい?」  奇妙な乗客のリアクションの台詞。だが、そんなKの心中の疑問符とは他所に、乗客はフードを徐に捌けて自らの顔を晒した。その素顔は黒髪短髪で眼鏡をかけた容貌だった。 「普段は眼鏡じゃなくてコンタクトを付けてるんですけど、眼鏡をかけている方が多少顔を誤魔化せると思いましてね」  先ほどから違和感を覚える乗客の言葉にKは気に懸かり、バック・ミラーを一瞥して乗客の様子を窺った。  見た事がある、気がする。  朧気ではあるがKはそのような印象を覚えた。  さらに乗客は小さな声量でKに問う。まるで怪談話をするかのように。 「○✕公園、ですか。現場は?」 「へ? そ、そうですけど……よくご存じで。新聞か何かでお知りになったんで」 「いや、違いますよ。知った、というよりは居たんですよ、その時に」 「は?」  しばしの沈黙。さっきまで手際良くハンドルを捌いていたKの手が、左折する際、必要以上に慎重にスピードを落とし曲がる。  だが、徐行に近い速度で曲がり切った後、広い通りに入るとKは逆にアクセルを強く踏み、スピードを上げた。  乗客は首を左右に曲げてコリコリと音を鳴らすと、 「静かな公園の近くで急に車のエンジン音が鳴り発進したら、そりゃあ目立ちますよ、タクシーならさらに。僕の目も補正すれば1.0位の視力にはなるんでね。タクシーのルーフに飾ってある、タクシー会社名の電光掲示板みたいなヤツ程度は見えますから。XYZ交通ってね。つまり、僕は僕の方で見つけちゃったんですよね、目撃者みたいな存在を。あ、気づいたって言った方が正解かも」 「…………」   あくまで滔々と言葉を連ねる後部座席の乗客。Kはバック・ミラーからは目を逸らし、ハンドルを力強く握って平静を装いながらさらにアクセル深く踏んだ。 「いや、決してこの邂逅ってヤツは凄い確率の偶然ってわけではないですよ。例の公園の周辺でXYZ交通のタクシーを狙って乗車していましたから。ただまさかこんな早く見つかるとは思ってなかったんですけど、初恋の人が。ふふふ」  今度は楽し気な口調で一人ほくそ笑む乗客。Kは目をキョロキョロさせながら、 「まさか、アンタがあの絞殺犯なのか?」 「ですね」 「じょ、冗談じゃない。そんな偶然が……」 「だから、それ程の偶然じゃないんですって。僕の方は探していたんですから」 「しかし、そい言った所で一体アンタは私をどうする気なんだ?」 「勿論、悪いけど死んでもらいますよ」 「な、何故?」 「だって出会っちゃったし、目撃者は殺すってのが鉄則でしょ。大した目撃情報を話したようではないけど、変にその後に色々と思い出せられたら困るし」  乗客はそういうとパーカーの中からロープを取り出して、 「やはり絞縄はポリエチレンに限りますよ」  と一度ロープをしならせた。  その時、タクシーがさらに加速した。乗客は一瞬体勢が揺らいだものの、 「おっと。そんないきなりスピードを上げてGをかけた所で僕はバランスを崩しませんよ。もうこの状況を覚悟して下さい。あなたは無防備でさらに後姿を晒したまま。殺されるしかないんです。いやはや、一度殺しの快感を覚えると止められなくなるって、あながち嘘ではありませんね。ただ僕は前回の絞殺が初犯の殺しで、あの近辺のその他の連続殺人とは無関係なんですよ、本当に。だって他の殺人って刺殺でしょ。人を刺し殺すなんて、全然が芸術性が無くって、ただ残酷なだけで……」  と饒舌に喋ってる最中、ふと周りを見渡してみると、どうにも□△通りに向かって行く道にしては、車の往来どころか人気のない森林道に近い雰囲気の道路に見えた。  その時、Kは一言告げた。 「今晩は綺麗な満月ですね」 「は?」  乗客がキョトンとした表情になったのも束の間、Kは路肩寄りに走って急ブレーキを踏んで、その反動で乗客が身を前部座席に乗り出すと、電光石火がごときの動きでKは自らの制服の内ポケットからナイフを取り出し、乗客の心臓に一突き刺した。  そして、ただちに乗客の口を塞いで、 「座席は血で汚したくないんで、ナイフを抜くと血が噴出するから、ナイフは抜かず……それに、あんまり暴れないでくれよ」  と言ってブルブルと痙攣する乗客を、自動ドアを開けて外に蹴落とした。  周りは街灯もなく畦道に近い場所。人一人通ってはいない。明らかに□△通りの方ではない。  Kはゆっくりと乗客の口から手を離す。もはや絶命寸前の乗客は、身体を震わせながらも、何かを喋ろうと口を動かしていたが、アワアワと唇が僅かに揺れるだけ。顔面蒼白、青息吐息、悪寒の汗。乗客の顔が徐々に青ざめていく。  そんな乗客をKは見下ろしながら、 「凶器を出したら直ぐに殺しにかからなきゃ。君は話が長すぎるんだよ。あと、人殺しに変な美学とかもたないように。ただの趣味なんだから。ただ一度その味を知っちゃったら、止められなくなるというのは激しく同意。だけどアレだよね。あの近辺の殺人はあくまで、連続、だからね。君の言っていた他の殺人は私のヤマなんだけど、それらの殺人はバレてはいないとはいえ、危うくこっちもとばっちりを受ける所だったから、結局はこんな感じの着地点で良かったのかもな。変な奇遇として。それにベタだけど満月の夜って人を殺したくなるんで、今夜も誰かを殺す予定だったし。一月一殺のルーティンは守らないと。しかし、予定していた殺人とは違うアレだから焦ったけど、やっぱりタクシー・ドライバーという職業はメリットあるね。仕事柄、常に手袋をはめてるから、急な展開、指紋付かなくナイフ掴んで刺してもOK、みたいな。いやあ、天職だわ……って言うかもう死んでるか。周りに人は……いないっぽいな、よし」  と先ほどの乗客以上に、その乗客の死体の前で冗長に独り言をすると、再びタクシーに乗り込み、乗客の刺殺体もそのまま、月がとっても青いから~、と口ずさみながら、元の轍をなぞって去って行った。  再び、同じ道を。                          了
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