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買ったボールで、ビビりながらもハナと遊ぶ事が出来た彼方は、非常にご機嫌でベットに入った。
バイトでの接客の仕方や挨拶などは、夕食後に橋水に教えて貰った。苦戦していた最初の時より、彼方は随分マシになったと言える。
これで大丈夫だろ。彼方は安心して眠りについた。
彼方と橋水が、バイト先である《神楽》の敷居を跨いだのは、午後6時を回った頃だった。
神楽は、橋水の家の最寄駅から3駅先の繁華街にあった。そこは、賑わいを見せる街の中でも特にデープな場所であり、表通りを離れ地下へ続く階段を下れば、煉瓦造りの小洒落た店が顔を覗かせた。
カランコロン。扉が開くと、下駄で地を蹴ったような音が鳴る。
「いらっしゃー…って桃矢かよ」
外見に反して、テーブル席が6つしかないこじんまりとした店内。
店に入ると、すぐに目につく大きな木のカウンターの向こうで、ウェーブがかった髪を一つ結びにした男性が肩透かしをくらったような顔をした。
彼方は一眼で、その人物が橋水の兄だと分かった。橋水とよく似て引き締まった顔立ちをしている。特に目元がそっくりだった。
「お前、裏から入れっつたろー?あ、紹介しますわ、お客さん。ウチの愚弟です。顔だけは俺に似て格好いいでしょ?」
「…兄貴、やめてくれ。東山連れて来たから、奥借りるよ」
カウンターで飲んでいた中年男性に調子良く話しかける兄に、橋水は溜息をついた。
その頃後ろでは、彼方は兄の言葉に盛り上がってしまった客に「綺麗な子だね〜。この子が宏也の弟かい?」と話しかけられていた。
「いや、違う」と首をブンブン振り、彼方はさっさと進もうとする橋水の後ろに張り付く。
初めて体験する雰囲気と人に、彼方はフィクション世界にいるような気分だった。
「ちょっと店空けるわー。斎藤さんヨロシク」橋水と彼方を奥の事務所に押し込めて、宏也はヒラヒラと手を振った。
「あいよ。新田さんが居ないと手が回らないねぇ〜」
カウンター隅に座っていた斎藤は揶揄うように言う。客と店主、その関係にしては友人のような気安さがある。
宏也は斎藤に笑って奥へと入った。部屋の中では、彼方が下ろし立ての仕事用の服に着替えている最中で。
ヒューと宏也が口笛を鳴らす。
「東山さん家のガキが、とんでもない美形だっていうのは本当らしいな」
橋水が宏也を咎める。宏也が口角を上げて肩を竦めた。彼方はそんな宏也が橋水と重なって見えた。良く橋水もそうやって話を煙に巻こうとする。
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