《69》

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 侍大将の男が眦を裂いた。 「数、いえ」 言い掛けて、男は首を振った。言葉の続き、信康にはわかった。数正殿のご承諾は、と言い掛けたのだ。 「数正や親吉に気づかれぬよう、静かに集めるのだ」  男は直立し、小走りでどこかに消えた。気が小さく、信康に対して従順な男だ。だから、直轄の侍大将にしている。まぁ、名前すら憶えていないのだが。  ほどなく、20名が信康の前に集まった。 この陣所には8百の兵が集まっている。その中の20名しか信康は自由にできないのだ。 兵のほとんどは数正の命令を優先する。 自分と数正の大きな違い、それはやはり戦歴だった。 そこで張り合えば初陣の信康は敵いようがないのだ。 「見ておれよ」 自分にしか聞こえない小さな声で信康は呟いた。 「馬は遣わぬ。全員徒歩で行く」 槍持ちから渡された槍を掲げて信康は言った。 「街道を真っ直ぐ行けば例の埋伏地点である森を通らねばなりません」 侍大将の男が言う。 「街道を迂回し、山道から武田の城砦建設現場を襲いましょう」 「いや」 信康は言った。 「街道を真っ直ぐ行く」 「それでは敵の伏勢にぶつかりますぞ」 「斥候が報告してきたのは何刻前だと思っている」 信康は笑いながら言った。策敵したのは昼頃。今は、深夜である。 「そんなに長い刻、待っていられるものか。もう撤収しているに決まっている。だから心配いらぬ」 「しかし」 「街道だ。山道など通らぬ」 信康は言って、陣所の出入口に足を向けた。
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