《67》

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 警策棒が小気味の良い音を立てて虎松の右肩を打った。 「ありがとうございます」と言って虎松は頭を下げた。南渓が無表情で頷く。庭から聞こえる蝉の声がかまびすしい。 右隣で昊天(コウテン)が心配そうな表情を浮かべて虎松を見ている。昊天はかつて川辺屋久松と名乗っていて、今川の旧臣の子息だった。 ひょんな事から虎松の配下になり、共に鳳来寺に入り、南渓から昊天という僧名を賜ったのだ。 左隣で禅を結ぶ傑山という大男は彫像のように動かない。この寺で修行を始めてから5年になるらしい傑山の歳は、もう30が近いという話だ。 「乱れが見えるぞ、虎松」 静かな声音で南渓が言った。 「心気を澄ませろ」 「はい」 虎松は床に手をついて頭を更に深く下げた。  花を摘む、かよの笑顔を思い浮かべていたのだ。南渓はさすがである。虎松の雑念を見逃さない。 開けられた障子戸の向こうに見える鳳来寺の庭は、石灯籠と池と塔婆の墓があるだけの地味な造りだが、心に沁み入ってくるような赴きと背筋が自然と伸びる威厳があった。 元来、遠江龍譚寺の住職である南渓が三河鳳来寺も兼任し始めたのはもう10年以上前になる。 それまでの鳳来寺は贅沢三昧で生臭さが漂う寺だった。 10年前、前住職を叩きだし、南渓が鳳来寺を改革したのだ。  南渓は金箔をあしらった仏像をすべて破壊し、無駄に建造物の多かった庭を一新した。
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