《87》

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「勝った時の事よりも、敗けた後の道をつける」 昌信が虚空を見つめて言う。 「真田昌幸。あの男は、どこまでも軍師ですな」 「それにしても、本当に多くの者が死んだのだな」 俯き、勝頼は言った。 「お館様は生きておられます」 微笑み、昌信が言う。 「何人死のうが、お館様さえ生きておれば、何度でも再起できます」  勝頼は力無く笑った。 「信玄越えどころではない。俺は父上の足下にも及んでいなかった。その事が痛いほどよくわかった」 「これを機に、武田信玄の呪縛は断ち切りなされ」 昌信が言って勝頼の背中を強く叩いた。 「大敗の上に時代を築き上げるのです。武田勝頼という新たな時代を武田家の中に創造しましょうぞ」 「俺の時代」 勝頼が呟いた時、外に行っていた定忠が足音を乱れさせて本堂に駆け込んできた。食い物を取りに行った筈だが、定忠は手に何も持っていなかった。 「どうした、定忠。そんなに慌てて」 「大変です、お館様。おもてに軍勢が」 息を喘がせて定忠が言った。 「山裾からこの寺を目指し、登ってきています」 「慌てるな定忠殿」 立ち上がり、昌信が言う。 「山裾からこの寺に至るまで私の直轄3千が待機し、眼を光らせているのだ。敵なる者はこの寺まで簡単にたどり着く事はできん」  勝頼は立ち上がり、外に向かって歩き始めた。 「どちらへ、お館様。まだ動かぬ方がよろしいですぞ」 昌信が言っている。勝頼は止まらなかった。予感があった。死線を越えて帰ってきたのだ。勝頼は自ら迎えてやりたいと思った。
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