プロローグ

2/5
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ
※  午後から降るといっていた雨は、昼前には雨雲を見せ、早々にアスファルト を濡らしていた、遠くで雷の音も聞こえてくる。 沙那子は、外に干してあった洗濯物をとりこみ、部屋干しへと切り替える。 ゆっくりと窓を閉め、カーテンを引きながら遠目にうかぶ空に、ため息をおと すと“まるで私の心のようだ”と思った。 「こないだ、あれだけの台風が来たというのに、また雨なんて。気持ちも滅 入るわね、沙那子さん」 「そうですね…お義母さん」  婚約者であった安藤健次が、ある日を境に行方不明になって、約一年と半 年、躍起になって沙那子と共にひとり息子を探し回った母、安藤光子も。 最近では、半分諦めたように朝刊の新聞を目を通したあとは、週に何度か、 息子が暮らしていたこの家にやって来ては沙那子とお茶を飲むようになった。  光子は、六十歳の頃に連れ合いを早くに失い、今年で七十四歳、一般的に は、まだまだ元気なはずだろうが、健次が消息を経ってからというもの気力 に穴が空きはじめたのか? 白髪を隠すこともなくなり、急激に日々老いているように見える。 「せっかく、健次が、沙那子さんのような素敵な女性と出会ってくれて、も うすぐ結婚だという時に…ああ、あの子は、一体どうなってしまったんだろ うねぇ…」 「…お義母さん、気を、しっかり持ってください。きっと、警察の方々も探 してくれているはずです」 すっかり慣れた手つきで、ふせぎこむ光子の背中をさすりながら、沙那子は 同じ言葉を同じように繰り返す。 大丈夫です…必ず健次さんは、帰ってきます…大丈夫。 「ああ…何で、あの子が…あんな優しい子が…せめて、あの子の子供でもい てくれたら、まだ、救われたのに。私ね、楽しみにしてたのよ?健次と沙那 子さんの子供…孫の顔が早く見たいって、よく言ってたの」 「…お義母さん…すいません」  沙那子は、伏し目がちに頭を下げる…唇の奥をギュッと噛みしめながら、 膝の上のスカートに無数の皺が寄る。 紹介された時から義母といえば、顔を合わす度にいつもこうだ。 正直、沙那子はうんざりしていた…できれば本当は、顔も見たくない、光子 の遠回しな、針で刺すような小言の数々。  こんな母親の息子だから、健次もあんな風に育ってしまったんだ。 できれば最終的に、こいつも殺してしまいたい…何か、うまいやり方はない だろうか? じわじわと精神的に崩れ、老いていく姿を見るのも楽しかったが、もう少し 命の時計の針を進ませる方法はないだろうか? そんなことを頭によぎらせながら、怒りに震えていると、肩にそっと手を置 かれた。 「ごめんなさいね、沙那子さん。あなたも苦しいのよね?私だけじゃない、 私だけじゃないのにね?ごめんなさいね…」  どうやら、沙那子の肩が震えているのを感じ、義母になる予定だった人は、 都合のよい勘違いをしているらしい、まったくバカな女だと思う。 ピンポーン、ピンポーン…  玄関の呼び出しベルが鳴る。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!